先日、加護さんという方が 「世界に名を残したい」という目標があると
何かで読みました。
世界に名を残すとは、世界中の人に自身の存在を知ってもらうということでしょうかね?
「歴史に名前を残す」わけではないですね。
歴史に名を残すということはそう簡単ではないです。
レディー・ガガさん(NH<風)でも、
歴史には名を残せないと思います。
マイケル・ジャクソンでも、
今10歳の子供の何割が知ってるでしょうか?
恐らく芸能人は、
その時代を一緒に生きてる人たちの中で、
彼らの記憶に残ることはあっても、
世代を超えて、その存在を残すということは、
3世代くらいが限界のように思えます。
名前が後世に渡って残るとは、
本人の意思よりも、周りの記憶の問題なので、
いくら歴史に名を刻むことを目標にしても、
それは他力本願な話のように思えます。
人は他人に認めてもらいたいという欲があります。
しかし、そればかりに目を奪われると、
自分自身がなくなってしまうように思えてしまうのです。
自分がこの人生で何をすべきか?
そういう問題を考え、悩んでいる方もいらっしゃると思いますが、
人から賞賛してもらうとか、敬われるとか、尊ばれることを
探すべきではないと思うのです。
それは他人から見た自分のイメージを自分でコントロールしてるだけであって、
本当に自分が今生でやるべきことから乖離(かいり)しているのではないでしょうか?
褒められるから、ボランティアをする。
褒められるから、人を助ける。
では褒められなかったら、ボランティアや他人のために行動しないのでしょうか?
桜は皆に「きれい」と褒めてもらいたいから咲いてるわけではありません。
永平寺の第78世貫首
宮崎奕保禅師の言葉です。
初めてテレビでこの言葉を聴いたとき、
なぜか目が潤みました。
これこそ真理を説いていると感動しました。
以下抜粋
自然は立派やね
わたしは日記をつけておるけれども
何月何日に花が咲いた
何月何日に虫が鳴いた
ほとんど違わない 規則正しい
そういうのが 法だ
法にかなったのが 大自然だ
法にかなっておる
だから 自然の法則をまねて人間が暮らす
人間の欲望に従っては 迷いの世界だ
真理を黙って実行するというのが 大自然だ
誰に褒められるということも思わんし
これだけのことをしたら これだけの報酬が
もらえるということもない
時が来たならば ちゃんと花が咲き
そして黙って 褒められても 褒められんでも
すべきことをして 黙って去っていく
そういうのが 実行であり 教えであり 真理だ
抜粋終了
学生さんの就職ガイダンスなどで
スピーチをすることがありますが、
「世の中の役に立ちたい」
「世界の困っている人を助けたい」
そういう素晴らしい意思を持った学生さんが数多くおられます。
彼らが就職を志望する先で多いのが、
「国連」
「ユニセフ」
「JICA」
が多いですね。
「どうすれば入れるでしょう?」という質問を受けたりします。
そんなとき、いつも逆に質問します。
「もし貴方が国連に入れなかったら・・・
貴方は世の中の役に立つことはしないのでしょうか?」
「貴方の周りの困っている人を、貴方は今まで助けてきましたか?
それは外の世界ではなく、貴方の家族も含めて、助けましたか?」
彼らの中の何人が、
国連に入れなかったときに、
どこか企業に就職し、就業後や休日を使って
ボランティアをするのでしょう?
自分の給与からほんの少しでも寄付するのでしょう?
そうなって欲しい。
でもどれくらいの人が、そのような行動をしてくれるかは分かりません。
現実には、今回の震災で沢山の方々が
手弁当でボランティアに参加しました。現在もされています。
彼ら学生諸君がこのような人に育ってくれることを望んでいます。