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私は地球からできている

自分の地球に対する感触や感想を記録として書きとめておこうと思いました。

時々、自分のだらしなさに嫌気が差すときがあります。

ついつい、だらだらと日々過ごしていたり、

大事な時間を無駄にしたり・・・。


そんな自分に自己嫌悪を感じ、

「俺ってダメだなぁ~」って落ち込んだりします。


自分を責めがちになってしまうことってよくありますが、

自分の存在を自己否定するようなことはよくないことです。


なので私はそういうときに他人に擦り付ける方法を利用します。

最低ですね。

でも他人のせいにして自分の存在価値を見つけないと、

ドンドン悪い方向に落ちていく経験は沢山したので、

今は、自分をアゲて、他人のせいにして、悪い習慣を払拭すべく、

生活のリセットをはかります。


私の悪習を擦り付ける相手なのですが、

人間相手に擦り付けると悪い「縁」を起こしてしまうので、

人間のせいにはしません。



「悪霊」のせいにします。



朝起きてベッドメイキングが面倒なとき、

「悪霊退散!!」と叫びきれいにします。


洗濯も、皿洗いも、掃除も、

「汚い=悪霊がいる」と思い込むようにして、

「悪霊たいさ~ん!!」と叫び、処理しています。



不思議なもので、瞑想を毎朝毎晩行い、

ヨガも毎日やって、自分自身のコンディションが最高の状態に近づいてくると、

必ずといっていいほど、誘惑が襲ってきます。


飲みに誘われたりとか、そんなときに異性からモテたりとか、

カジノ(ギャンブル)に誘われたりとか・・・。


そしてまんまとカジノに行って一晩で何十万円も捨てたこともあります。

そして落ち込み、またダラダラの日々に戻ってしまう。



「俺はダメだなぁ~。本当にダメだぁ~」

と自分のコンディションも最低になり、底辺に落ちた感覚でしたね。



自分が弱いのですが、

そればかり考えてると、本当にネガティブになります。



そんなときに読んだ本で、

お釈迦様も悟りの境地を会得される寸前に、

様々な誘惑が襲ってきたという文章に目が留まりました。


Youtubeでも「釈迦、悟りの瞬間」という映画のクリップがありますが、

その文章を映像化したものだと思います。


http://www.youtube.com/watch?v=8_yiXPbrbDY



そして私の考えが変わりました。



瞑想やヨガを毎日行い、

精神的にも、肉体的にもコンディションがよく、

平安を感じれるようになるとき、

私の霊的なものが上昇しようとしていると思うのです。


そうなると、世の中に「良い人」が1人増えるわけです。

それは悪霊からすると、都合が悪いことですから、

そうなる前に、誘惑して地に落とそうとするのだと考えるようになりました。



天国も地獄も自分の捕らえ方で変わりますし、

自分の中に天使も悪魔も住んでいると思います。


その悪魔は消し去ろうとしても中々消えてはくれません。

お釈迦様でも最後まで誘惑されたわけですから、

私などにすると、まだまだ悟りからは遠く離れており、

今後もまだまだ誘惑は私を襲ってくるでしょう。


なのでこの悪魔が滅することは考えられないので、

どのようにコントロールするかの術を覚えないといけないと思います。


自分の行動を客観的に考え、

その行動は良いことなのか、悪いことなのか?

誘惑が私の欲を刺激しているだけではないのかということを考えるようにしています。


多重人格者みたいですが、

おそらく、天使と悪魔という異なる人格は誰でも持っていると思います。

心の中で天使と悪魔が戦っているという表現をよく見聞しますが、

実際にこの2つの感情が戦っていると理解できるのは、感情から距離を置いた客観的な自分の位置から

見ているからこそ理解できるのであって、普段の生活で悪魔の自分が表に出ているときは、

自分が一人称の悪魔になっていて、天使の自分は消えてしまっていることが多いと思います。


しっかり自分を持つことで、

この自分の心からの距離を一定に保つ努力が必要です。


iPadのCMでも、

子供のためになる良い使い方もあれば、

子供が夜更かししてしまう原因も作ってしまいます。

だったらあのタブレットは悪霊の産物なのでしょうか?


それは使い方次第。

自分が中毒にならないようにコントロールする必要があります。

それが心からの一定の距離だと思います。



悪習は悪霊の仕業ととらえ、

悪霊の誘惑にハマってしまわないように、

「悪霊を退散」させましょう。


駅前や家への訪問など、

宗教の勧誘って結構あると聞いています。

ここアメリカでも家に勧誘に来られたりすることがあったりします。


しかし、私はそのような勧誘は宗教には不必要ではないかと思うのです。


確かに宗教を運営していく上で、

会員を増やすことが安定運営には重要なポイントであることは理解します。

しかし、それはスポーツクラブなどの会員制ビジネスと同じで、

母体の存続を主として考えているいわばビジネスと言えるのではないでしょうか?


信者。


と書いて、



儲かる



と読みます。



儲かる秘訣はその商品やサービスを信じる人を増やすことなのかもしれませんね。



しかし、宗教とは信仰であり、ビジネスではないはずです。


しかし、ネットを見てみると、

宗教向けの経営コンサルもありますし、

宗教のM&Aというのには笑いましたが、

その宗教自体の転売を仲介するブローカーもいるようですね。


ただの脱税の隠れ蓑(カクレミノ)になってるだけなんじゃないでしょうか?

そんな野郎は、商売すべきじゃないし、その土地から去れといいたいです。

そんな脱税まがいの節税(?)をしてる輩が、

「皆様のお陰です」なんて言ってたら、余計に腹が立ちます。

「皆様のお陰」なら皆様に還元すべく、税金をきちんと払うべきだと思います。



さて、そんな企業化した宗教に話は戻りますが、


そもそも何の為に宗教をやっているのか?

ということです。


もちろん自分の信じる道を少しでも多くの人に知ってもらいたいという気持ちも分かります。

しかし、それは本当に勧誘という形がベストなのでしょうか?



私は違うと思います。


何も宗教に税金の控除なんかする必要もないと思います。



信者がいなくて運営できない宗教なんかなくなればいいはずです。

誰にも必要とされないものは存在意義がないのですから、

そしてその宗教の開祖となる人は、普通に仕事して食っていけばいいんです。

信仰は、何も仕事を放棄して拝み続ける必要はないはずです。

まず開祖した方が、自分の生き方の姿勢を貫くことが一番大事で、

それに賛同する人が少しずつでも増えればいい。


宗教は、その会員の人格が誰から見ても素晴らしく見えたのなら、

周りの人が、「あの人はいつも朗らかで素晴らしい人だなぁ、あの人は何を信じているのだろう?」

とその方の信仰に興味を抱いてくれるはずです。



結局は、お釈迦様も、親鸞聖人も道元禅師も、

一生懸命に勧誘活動していたわけではなく、

自分の信仰の道を貫き、貧しさを恐れず、人間の最も大事なものは何なのかを

求め続けた姿勢を見ていた周りの人々が、サポーターというかたちで

信者になっていったのではないでしょうか?



信仰を持つ人の素晴らしさに惹かれ、

その信仰に興味を持つというのが、一番健全な布教活動だと私は思います。



しかし、この健全な布教活動というものは、あまり出会うことがありません。



日本の信仰は、本当にお手軽信仰だと思います。

新興宗教も沢山ありますが、

結婚式はクリスチャン風、葬式は仏式がほとんどではないでしょうか?



悪く言えばサークル活動的な宗教が非常に多い気がします。

それもいいとは思いますが、そんなサークル活動でも、

会員が増えれば、献金も増え、宗教法人登録して税金の控除が受けられるのは疑問です。



信仰の自由は認めますが、

本当に信仰なのか?よく分からないものが多すぎます。


沢山信者を集めすぎるから、

統制が取れなくなったり、

信仰の中身が信者に伝わっていなかったり、

口だけの布教で行動が伴わない信者を増やしているのではないでしょうか?



「教えとは、行動するためにある」のです。



「私は●●教です」と信者は看板を背負っているわけです。

各信者が看板に泥を塗るような発言や行動をすることに

宗教団体は危機感を感じないことが不思議です。



信仰に生きるなら、

●貧しさを恐れるな!

●口だけの布教ではなく、行動で表せ!

●ずるいことはもってのほか!

●自分を磨け!



ここまで書いて、ふと思いましたが、

上の箇条書きって・・・

本当に神様を信じていたら、そんなこと書く必要もないんですよね。


なーんだ、実際には信じてないんじゃないの?

そんな宗教滅びたほうがいい。

それも神様の意思だと思います。




京都・亀岡の「無免許居眠り事故」の一件で、

マスコミが病院に駆けつけ、霊安室の前でカメラを構えて遺族の姿を撮影してたらしいですね。


こういう被害者の心情を全く考えない取材方法は、

私が大学生だった20年前からありました。


いや、もっとその前からあったのかもしれません。


全てのマスコミが、そのような取材をするとは思いたくないのですが、

日本の大半のマスコミは、日本の文化レベルから、

かけ離れて低いレベルの仕事をしているようです。


恐らくまだ3日寝てないことを勲章にするような風土なんでしょう。

ま、私も出版にいましたので、時間が不規則なことは仕方ない業界だとは思いますが、

睡眠不足や不規則な生活を自慢するのではなく、

そのメッセージ性について、もっと技を磨いていただきたいです。


私たち日本人は日本の文化に誇りを持っています。

私のように海外で生活する者も、

海外に出て、その文化レベルの高さを改めて実感しています。


家電も車もお菓子も・・・

こんな消費者の立場になってモノ作りをしている国は日本がダントツのトップだと確信します。

お菓子ひとつ取っても、味も繊細さはもちろん、袋が開け易く作られていたり、

アメリカのお菓子も日本の100分の1でも見習って欲しいと思います。


しかし、

マスコミの報道に関しては、

昔から本当にレベルが上がりません。

各社、報道ポリシーというものを持っているとは思うのですが、

今回のような取材は、そのような崇高なポリシーを「絵に描いた餅」にしてしまいます。


私が大学生の頃、

上海で列車事故が起こり、日本の修学旅行生が巻き込まれ、

生徒27名と引率教諭1名が犠牲となり36名が負傷しました。


この報道の際、日本のマスコミは、

子供の身元確認に中国に急遽渡った親たちを

空港で待ち構え、子供の亡骸と帰国する失意の親たちの写真を撮り、取材しました。


非常に直接的な取材だなぁと学生ながら思っていました。


そしてこの同じ事件を特集したヨーロッパの国の番組を目にすることがあり、

その違いに驚きました。


どこの国かはもう忘れてしまったのですが、

特集の始まりの映像は今も忘れられません。

それは、嘆き悲しむ親や傷ついた学生を映すことなく、

名簿の映像から始まりました。

死亡者名簿です。

カメラは、死亡者名簿の年齢を上からゆっくりと移動していきました。

画面の真ん中には名前ではなく、年齢欄が映されていて

15歳16歳という年齢が数多くあったkとを覚えています。


将来を夢見る若い命が、これだけだ沢山、一瞬にして消えた・・・。

私が感じたメッセージです。


この伝え方がベストかは分かりませんが、

直接「涙」を撮らなければ、悲しみは伝わらないことはないとそのとき思いました。



今回の一件で、マスコミの取材方法がすごく残念に感じる一番の理由は、

「やればできるのに、やらない」ことに尽きます。


東日本大震災のとき、

流されている人を出さないとか、色んな自粛を各報道機関は行い、

様々な伝え方を考え、メッセージを視聴者に送ったと思います。

それはこの大震災がとても身近なもので、

自分自身も揺れを感じた記者や被災した記者が、

悲しみの中に勇気を見出し、日本を一つにしたいという気持ちがあったからだと思います。



そういうことができるのに、

この亀岡の事件に関しては、マスコミは他人事なんだと思います。

他人事だから伝え方に工夫をしない、何を伝えたいかはっきりしていない、

居眠り無免許少年のつるし上げにしかならないと思います。



「事実をストレートに伝える!」そんなことをもっとも大切にしているなら、

文字だけで事実を伝えればいいわけで新聞なんか読む必要もなく、

ネットメディアだけで十分になります。

だから、テレビから人が離れると思います。



現在の情報化社会で、

メディアの生き残りはより過酷なものになるでしょう。

マスコミも、選ばれる時代がきています。

いつまでもこのような取材をしていたら、

既存のマスコミは淘汰されるでしょう。