流転の戦後日本11 | box03のブログ

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 シュメール人はBC2千年に、メソポタミアの地から突如消えました。 彼等の行方は分かっていません。
 著者・岩田氏は、彼等の行方を突き止める為、徹底的に追跡を始めました。
 そして、著者は大胆な仮説に行き着きます。

・・The XX Files 20th.

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   Truth ・・真実は動き始めた

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吉田茂自由党退陣、日本民主党旗揚げ

 昭和28年(19534、通産大臣の池田勇人が失言した事がキッカケとなり、野党の質問攻勢を浴びた吉田茂首相がバカヤローと呟いた事により、解散総選挙が行われました。

 バカヤロー解散と呼ばれました。

 開票の結果、吉田自由党は199議席を獲得し、第五次吉田内閣がスタートしました。

 しかし、吉田茂には、与党内でも「マッカーサー憲法を日本人が自主的に決めたと言う欺瞞を継続していく事」に対する一定の批判があり、戦後日本の独立後、速やかに政界から退場する事が求められていました。

   その反吉田の急先鋒が、岸信介、鳩山一郎、三木武吉等でした。

 打倒吉田を模索していた岸は、吉田自由党から除名処分を受けます。

   処分の2日後、岸、鳩山、三木武吉、石橋、芦田らが参会し新党を結成しました。

   新党の政党名は「日本民主党」

   総裁には、鳩山一郎、副総裁に重光葵を選任し、岸が幹事長に就任します。

   岸は野党も巻き込み吉田内閣不信任案を国会に提出します。

   吉田内閣は遂に総辞職しました。

 

日本航空(株) Japan Air Lines 就航

 昭和28年(195310JALが民間航空機を飛ばす様になりました。

 昭和26年にサンフランシスコ講和条約が結ばれ、米軍の占領が解かれた事によって、民間航空の保有が認められた瞬間でした。

 

政権交代・鳩山一郎内閣樹立

   昭和29年(19541210、首班指名選挙で選ばれた日本民主党・鳩山一郎が総理大臣に就任します。

   自由党から日本民主党への政権交代劇が実現した瞬間でした。

 昭和30年(1955124、安定多数を得る為、鳩山民主党は解散し、同年227、総選挙が実施されます。

 日本民主党は、大きく議席を増やし、185議席を獲得、国民の信任を受け名実ともに第一党に躍進します。

 世は、空前の鳩山ブームとなりました。  

 テレビの開票速報が初めて放送されたのは、この選挙からでした。

   吉田茂が権威主義的であったのに対し、鳩山は、自分の警護に当たるSPや、首相公邸を返上したり、番記者との会食等の行動に見るように庶民的だったと評価されていた様です。

 

政界再編・三木武吉と自由民主党誕生

 政権交代を果たす事が出来た要因の一つに、「ヤジ将軍」「策士」「鳩山の軍師」「自民党を作った男」などの異名を持つ三木武吉と言う後ろ盾の存在がありました。

   岸信介が、幹事長になれたのも、鳩山が総理大臣になれたのも三木武吉と言うKing Maker(キングメーカー)があっての事でした。

   第二次鳩山政権(昭和30年(1955319日〜1122)の頃、総務会長を務めていた三木武吉は地方遊説中、突如衝動的発言をしてしまいます。

   保守結集の為、鳩山が障害になるとしたら、鳩山内閣は総辞職してもいいし、民主党は解党しても差し支えない。

 かくして、三木武吉の衝動発言によって日本民主党、自由党は自ら解散し、昭和301115、保守結集の名の下に自由民主党が結党されました。

   それが、今の自民党です。

 初代・自民党総裁は、鳩山です。

 岸は、初代・自民党幹事長に就任します。

 74早朝、三木の秘書から岸は訃報を知らされました。

   三木武吉昭和31年(195674日逝去。享年71歳。

 

 

◆2つの自民党系譜◆

   以来、戦後日本の政治を一身に背負い、55年体制を走ってきた自民党は、旧・自由党系と旧・日本民主党系(以下、民主党)2つの潮流に大別されます。

   因みに、55年体制と言うのは、自民党結党の年が1955年(S30だったところから来ています。

   又、自民党結党のこの年、事態を憂慮した右派社会党と左派社会党が合流(統一)し社会党を結成、野党第一党となります。

   旧自由党系は、言うなれば吉田茂の思想を受け継ぐリベラル派で護憲派旧民主党系は、岸や鳩山一郎、三木武吉らの思想を受け継ぐ革新的保守派で改憲派

   この2つの自民党潮流により戦後の国政は運営されて来ました。

   旧自由党系、リベラル護憲派の血統には、

緒方竹虎(旧自由党総裁)、佐藤栄作元総理、池田勇人元総理、大野伴睦、田中角栄元総理、竹下登元総理、小渕恵三元総理、橋本龍太郎元総理、麻生太郎元総理、岸田文雄

 

   旧民主党系、保守本流改憲派の血統には、

鳩山一郎元総理、岸信介元総理、石橋湛山元総理、三木武吉、福田赳夫元総理、中曽根康弘元総理、安倍晋太郎、山崎拓、亀井静香、森喜朗元総理、町村信孝(町村派)、小泉純一郎元総理、安倍晋三現総理   そういう系譜となります。

 

 その後、鳩山内閣は、昭和31年(19561223まで続き、旧・日本民主党系の石橋湛山へ政権交代した後、幕を降ろします。

 

粛清反革命分子運動

 昭和30 1955年、支那中共は、粛清反革命分子運動の名の下に、国民130万人を逮捕、8万人処刑。

 

ベトナム戦争

 昭和30 1955年)〜昭和50年(1975年

 ベトナム戦争は、北ベトナム(共産主義側)と南ベトナム(民主主義側)との戦争。

 他国の事なので、あれですが、この戦争は、両者共に宣戦布告しないまま開戦した戦後最大の戦争です。

 戦死者は、北側が約1177千人、南側が約275千人で、北側(共産主義)の勝利で終結します。

 ベトナム戦争は、朝鮮半島の次に分断国家を作ろうとした東西代理戦争でした。

 南ベトナム陣営に「米国、韓国、フィリピン、豪州、タイ、西独国等」。

   北ベトナム陣営に「ソ連、支那中共、北朝鮮、ポーランド、東独国等」。

   そして南ベトナム陣営が負けたのです。

   南ベトナム陣営に参戦した米国以外の国で最も戦力が大規模だったのが韓国です。

   分断直後の韓国は、世界最貧国の一つでしたが、この戦争特需で経済回復したと言われます。

   三星(サムスン)、韓進(ハンジン)、現代(ヒュンダイ)など国内GDP7割を占める10大財閥の基盤を形成したのもこの頃で、漢江(ハンガン)の奇跡の要因に深く関わっています。

   韓国兵は恐れられていました残忍な方法でベトナム人女性をレイプし殺す例が多かったからです。

   韓国軍は、日中に結婚行列を襲い、花嫁含む7人の女性を強姦の挙句、結婚式客の宝石等掠奪の上、3人の女性を川へ投げ込む様な鬼畜軍隊だったのです。

   (ベトナム戦争)戦後も、平成19年(2007の事、韓国は、米国務省人身売買報告書の中で、韓国人男性と東南アジアの女性との間で行われる国際結婚仲介は人身売買婚であると韓国人の悪行を指摘。

 これは、従軍慰安婦などの捏造証言と違い、その証拠として「ベトナム人女性、絶対に逃げません」と書かれた女衒(ゼゲン)(売春斡旋業者)の横断幕の写真まで存在します。  

   韓国農村に掲げられた宣伝文句は「生娘」「再婚者・障害者大歓迎」「後払い制」等々。

   これが、国連人権委で高らかに「女性の人権」を訴える韓国の真の姿なのです。

 

ベ平連

 日本には、ベ平連、正式名称・「ベトナムに平和を市民連合」という市民団体がありました。

 ベトナム戦争は、超大国、米国とソ連の東西代理戦争ではありましたが、ソ連は、米国とは違い、武器の横流しとプロパガンダ(政治宣伝)に重きを置き、戦場に直接自国軍を派遣していませんでした。

 そのプロパガンダは、世界のリベラル派と言われる階層が協力し米国を一方的に非難する動きを見せ、日本ではその一翼をベ平連が担っていました。

 彼等は、街頭での平和デモ活動や反米運動、成田闘争などを展開しました。

 後に冷戦終結後、ベ平連にはソ連のKGBから資金提供があった事が発覚します。

 つまり、平和を逆手にとり隠れ蓑として、ソ連の思惑を帯びて政治宣伝していたのです。

 彼等、ベ平連の矛先は米国ではありましたが、日本は同盟国なので、反米運動を行うと同時に、反日運動にも熱を入れていました。

 成田闘争は、その最たるものでした。

 

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 乱筆乱文長文をここまで読んで下さった、奇跡の人には謝意を表します(爆) 

 

出典:vol.3参照