・・The XX Files 20th.
Please Don't Korea❗️
Truth ・・真実は動き始めた
Han-nichi is Never Over⁉️
This is a Fact
Go Now ‼️ No Times❗️No Place⁉️
Sub Title "Back To 戦後 Beginning"
We are SumerJapanese.Departure.
(FunnyBomb).
■ジャズとGHQ
昭和24年(1949)、特別調達庁設置法が施行されます。
特別調達庁は、GHQ占領下の日本の省庁でした。
グレン・ミラー楽団、レス・ブラウン楽団、フランク・シナトラ。
占領下の暗く重苦しい世情の日本で、耳障りの良いジャズ音楽が、ラジオから流れていました。
GHQ(General Headquarters)は、日本語では「進駐軍」と呼ばれていました。
進駐軍、GHQは、東京の日比谷・第一生命ビルに本部を置いていました。
進駐軍兵士には、ジャズ音楽が好まれていたので、米軍は米国本土から大勢のジャズミュージシャンを呼び寄せていましたが、絶対的人数が不足していました。
そこで、特別調達庁は進駐軍の要請に答えます。
特別調達庁の本来の任務は、進駐軍の要求する道路・橋の修理、軍需品の運搬作業等に従事する労務職を確保する事でしたが、不足するジャズ・ミュージシャンを東京中から集めて、日本人Jaz Manを提供する任務も請け負いました。
東京周辺で集められたJazMusicianは、東京市、厚木町、横浜市等にあった米軍キャンプや基地に派遣されました。
言ってみれば、進駐軍相手の慰問演奏です。
演奏はその他、接収されたビジネスビルや、ホテルに設けられた米軍高級将校、軍属の宿舎(ハイツ)などで行われました。
ジャズ喫茶なるものも登場します。
日本文化には、存在しなかったキャバレーやダンスホールなども、この頃に造成されBandMan達のステージとなりました。
米兵達の一番のお気に入りは、ジャズでしたが、徐々にカントリー・ウエスタン、ロカビリー、ハワイアン、フォーク、ワルツなども取り入れられていきました。
その中には、後のハナ肇、植木等、谷啓、桜井センリ、犬塚弘等、クレージーキャッツのメンバーや、フランキー堺、江利チエミ、ペギー葉山、ドリフターズ(いかりや長介・加藤茶・荒井注等)、ジミー時田、小野ヤスシ、渡辺晋(後に芸能プロダクション・ナベプロの社長となる)などもいました。
バンドマン達の出演は、現金とは限りませんでしたが、ギャラ収入が得られ、戦後の意図しない失職により、経済的に貧窮していた日本人にはうってつけの就職先で、楽器が演奏できない者まで、どさくさ紛れにバンド稼業に就く始末でした。
貪欲な米兵達のニーズは、音楽だけではなく、一定のユーモアも求められました。
ですから、バンドマン達のステージには、トーク術や笑いのセンスも要求され、コミックバンドも出現します。
そうして、排出されたのが、後のクレージー・キャッツやドリフターズでした。
■中華人民共和国成立・中華民国逃亡
昭和24年(1949)4月、120万人の毛沢東中共軍が南京に向かって進軍開始。中共軍は、蒋介石政権の首都、南京を占領し、22年に亘る中華民国の歴史に終止符を打ちました。
蒋介石は、間も無く上海を経由し、海峡を越えて台湾へ逃亡します。
毛は、内戦に勝利し首都を北京に改めました。
昭和24年(1949) 10月、モスクワが支那版クレムリンと呼ぶ中南海に、毛は移り住み、紫禁城を背にした天安門の楼上に立ち、中華人民共和国の成立を高らかに宣言しました。しかし、毛政権が着手した政策は、人民の為のものなどなく、更なる恐怖と粛清、虐殺の連続だったのです。
■東映の隆盛と戦後の娯楽映画
昭和24年(1949)10月に設立された映画会社。
それが東映です。
正式名称は、東京映画配給株式会社。
昭和26年(1951)、東映株式会社に社名変更します。
松竹から美空ひばりを引き抜き、大成功を収めます。
看板スターに、片岡千恵蔵、北王子欣也、中村錦之助、高倉健、佐久間良子、梅宮辰夫、千葉真一、若山富三郎、菅原文太等がいました。
代表作として、仁義なき戦いシリーズ、トラック野郎シリーズがあります。
昭和40年代に入り、映画製作は、予算がかかると共に、興行収入が低迷すると、東映はアニメ部門、テレビ部門、不動産部門にも力を入れ、映画製作を補完する様になります。
又、欧米のポルノ映画、香港映画のブルース・リー(昭和48年(1973)〜昭和53年 1978))やジャッキー・チェン(昭和53年(1978)〜昭和63年(1988))等のカンフー映画を配給。
宇宙戦艦ヤマトなども、子供達を中心にヒットし、邦画製作部門を支えます。
1970年代後半から、映画プロデューサーの角川春樹と提携し、悪魔が来たりて笛を吹く、魔界転生等の角川映画を配給し始めます。
又、平成元年(1989)から東映Vシネマ(ビデオのみの配給として、映画興行を行わない作品)の製作に取り掛かります。
Vシネマには、萩原健一、哀川翔、神田正輝、仲村トオル、椎名桔平、谷原章介、豊川悦司、大杉漣などが出演しセールスに成功します。
1960年代からスタートした東映まんがまつりも長い間邦画製作を下支えしますが、平成8年(1996)頃から低迷していきます。
一方で、子供向けの作品では、実写版も多く制作し、テレビ放映していました。
主なものとして、仮面ライダーシリーズ、仮面の忍者赤影、七色仮面シリーズ、キカイダーシリーズ、戦隊シリーズ等があります。
時代の変遷と共に、ヤクザ路線、時代劇などの興行は下火となっていきます。
時代劇部門では、遠山の金さんシリーズ、暴れん坊将軍、影の軍団シリーズ(忍者もの)、銭形平次、桃太郎侍等があります。
キイハンター、スケバン刑事、G'メン75、はぐれ刑事純情派、相棒シリーズ等も東映作品です。
■第1次レッドパージ
昭和25年(1950)6月6日。
日本共産党員24人逮捕。
マ元帥(マッカーサー元帥)は、日本共産党が事件を起こすのを待ち構えていたかの様に、吉田総理に日本共産党中央委員24人をレッドパージ(共産党追放)せよ❗️と命じました。
吉田総理は、この赤狩り命令をマ元帥本人から直接手渡されました。
同日、増長した日本共産党はマ元帥と吉田総理を敵に回し声明を発表しました。
その声明は、現在の立民党(旧民主党)や山本太郎と愉快な仲間達などの主張と酷似しています。
「世界の歴史は、ヒトラー、東條の様に、共産党を粉砕しようとする者は、逆に粉砕されて、墓場に追いやられる事を教えている。全国の愛国者諸君、我々と共に決起して、自由、平和、独立の為に、敵の陰謀を粉砕し、新しいヒトラー、東條を墓場に追放せよ❗️」。
マ元帥と吉田総理は、ヒトラー、東條と比較された事を大変な侮辱と見なしました。
翌日、マ元帥は吉田に赤旗の編集者17人を逮捕する様に命じました。
マスゴミの赤狩りも徹底しました。
各TV局と新聞社は、自主的に共産主義の職員を解雇しました。「アカヒ」72人、「変態毎日」49人、「日経」20人、「東京新聞」8人、「NHK」99人、「時事通信」16人、「共同通信」33人。
やはりダントツでNHK、アカヒがパージされています。この2社は昔から変わってませんね。
レッドパージは効果的でした。赤狩りの恐怖の輪は、教育界にまで波及しました。
戦前の危険思想弾圧の痛々しい記憶はまだ新しく残っていました。
イールズ博士(スタンフォード大学准教授)の報告によれば「昭和23年、約1200人の共産主義の教師、又はシンパの教師が、辞職勧告され、殆どは辞職した」とあります。
■土地改革運動(闘地主活動)
昭和25年(1950)、支那中共は、土地改革運動(闘地主活動)の名の下に、国民200万人を虐殺
■第2次レッドパージ
昭和25年(1950)6月26日。
新聞赤旗発行停止処分命令並びに新聞赤旗編集委員 17人逮捕。
■朝鮮戦争(韓国での呼称:韓国戦争)
昭和25年(1950年)〜昭和28年(1953年)。
戦力:連合国側99万2千余人、対する共産主義側164万2千余人。
死者数:連合国側約70万人、それ以外に民間人約133万人、対する共産主義側約50万人、それ以外に民間人約250万人。
千年反日宣言(平成25年(2013))を発表した韓国の間では、韓国戦争と命名された戦争ですが、そんな戦争は世界的に存在しません。
朝鮮半島は、38度線を境に引き裂かれました。
日本に避難民が朝鮮から密航して来ます。
特に済州島からの密航が多かったと言われます。
38度線には、無数の地雷が埋設され、厚い有刺鉄線バリケードが延々と立ち並び、警備兵が機関銃を所持し、この運命のボーダーに近づいた者を射殺しました。
North Korea は共産独裁国家となりソ連の友邦に、South Korea は強制的に西側米国陣営に組み込まれました。
覇権を独占しようとしていた米ソの死闘に巻き込まれた「代理戦争」、それが朝鮮戦争でした。表面上は、朝鮮半島の内戦ではありましたが、米ソ2つの超大国が覇権を争う代理戦争の為、米本国は現実に第三次世界大戦の引き金になる事を危惧していました。
ソ連は、核開発に成功していました。
昭和25年(1950年)6月2日、北の軍は38度線を破り南下して来ました。韓国軍は瞬く間に惨敗しました。
To be Continue
乱筆乱文長文をここまで読んで下さった、奇跡の人には謝意を表します(爆)
出典:vol.3参照