・・『Zipangu』Is Japanese
Big Picture First.
Please Don't Korea❗️
Truth ・・真実は動き始めた
2020年(R2)、Big China、Small China(Special Asia)3国は呪詛、憎しみ、Ttongsulに満ちていた。
The XXX Files ・・・20th .
Future Generation !
真実と闘え・・・
Zipangu Independence Banzai⁉️
Go Now ‼️ No Times❗️No Place⁉️
Sub Title "Don't be afraid ・Back To 近代 Beginning With You"
(FunnyBomb).
■満蒙問題、チベット・新疆独立問題
天保11年(1840)のアヘン戦争後、ロシアの南下政策により、満洲地域の勢力図に大きな変化がありました。
日清戦争(明治27年(1894))、義和団事件(明治32年(1899))、日露戦争(明治37年(1904))等によって、満洲の地図は大きく塗り替えられました。
当時の中華世界では、自然環境と社会に加速的崩壊が進行していたのです。
これが大量の漢人流民を生み出し、それが満洲に流れ込み、満洲は変わっていきました。
回乱(イスラムの反乱)を契機に、列強諸国の脅威から、清朝は満洲への移民を解禁する事になりました。
それまで満洲は「封禁の地」(立入禁止の土地)であり、漢人と満族との結婚禁止も廃止され、民族融和も進められました。
しかし、そこに辛亥革命(明治44年(1911))が起きます。
清朝が、孫文ら革命派によって打倒され、革命後17世紀以降清朝が征服していた土地は、全て中華民国に継承されるのか、それぞれ満・蒙・回(イスラム)・蔵(チベット)の諸民族が分割相続すべきかという遺産相続問題が生じました。そこに「列強」が口を挟みます。
こうして生まれたのが、満蒙問題、満蒙疆
独立問題、チベット・新疆独立問題です。
話が逸れますが、ww1でバルカン諸国が民族国家独立で揺れていた時にも、列強はバルカン諸国に口を挟んでいます。
日清戦争後の三国干渉でも同じ手法で口を挟んで来たと言えます。
それらと全く同じ干渉を、満蒙問題でも犯していたのです。
●列強干渉により大混乱した満洲地域
清朝末期になると、満洲人は民族としての団結力を失いつつありました。
清朝が消滅すると、満洲人はもはや帰る故郷も無くなりました。列強諸国が覇権を争っている時代、満洲地域は、南北に分かれて日本とロシアの勢力下におかれ、中華世界から雪崩込む流民の新天地になりました。
清朝崩壊後、20世紀初めの満洲を支配したのは、所謂、張作霖・張学良親子の満洲軍閥・所謂奉天軍でした。
満洲軍閥による満洲支配は、一言で言って厳しい重税の徴収と恐怖政治でした。
重税と言う意味は、単に税負担が重いと言う事ではなく、曖昧な課税根拠で二重にも三重にも重複した不当な税取立てがされていたと言う意味です。
貨幣経済は乱れに乱れ、満洲社会は大混乱に陥りました。
しかし、日本人は、その満洲社会の停滞と、どん底の貧窮状態を、近代的で豊かな資本主義社会へと大改造していったのです。
日本人のやり方は、どの列強諸国がアジアで行ってきた植民地支配(収奪)とも全く異なった、近代国家建設の理想と情熱を持ち、立ち遅れた満洲を開発し、僅か13年半という短期間に、無政府状態の大平原に法治が行き渡る近代国家を築き上げたのです。
これは西欧白人はもとより、支那人や朝鮮人にも到底出来ないアジア史上、奇跡的な偉業でした。
満洲国に、何故1年に100万人の流民が万里の長城を越えて、移民してきたのですか❓
この質問に支那人は、あえてそれを歴史的事実として黙秘する事しか出来ません。
支那人に出来るのは、ひたすら満洲国を「偽物」「傀儡国家」として非難し、日本人が掠奪、強制連行をしたと責任転嫁(Mirroring)する事だけです。
満洲国が、物理的に存在した事さえ史実から目を背けている事、それ自体が支那人の悲劇です。
●満洲国が、傀儡国家と呼ばれる根拠
満洲国、満洲政府を握っていたのは日本人、官僚以下は日本人が多く、国防は関東軍が引き受け、満洲国軍はその補助に過ぎなかったし、しかも国軍には日本軍将校が参加している。
産業開発の資本は全て日本からの投資であるし、ことに満洲電信電話会社は、完全に日本の会社であって、政治、軍事、経済の三つが日本に握られているではないか❗️
というのが、傀儡国家と糾弾する具体的ロジックです。
しかし、清朝が崩壊した理由は、正に政治、軍事、経済を近代様式に移行する事が出来なかった事に起因して、アヘン戦争、アロー戦争等により、列強に敗れた事が引金となっています。
だから、開発投資するには、それしかなかったのです。
日本も、最初は支那人、蒙古、朝鮮人等の動静を観察しましたが、最も有力とみなした支那人でさえ、いつまでも内乱を繰り返すだけで、近代国家を建設するのは無理だと判断したから踏み切った苦肉の策だったのです。
他に手段があったでしょうか。
満洲国軍が、攻撃されれば日本軍はバックアップしました。
それは、今で言う集団的自衛権の発動と同意だし、近代的軍隊としてヒヨコの同盟国に軍事顧問的立場で指導に当たるのは、ごく普通の事ではないでしょうか。
後述しますが、当時、その集団的自衛権を発動した戦闘・・それがノモンハン事件だったのです。
■植民地
誰が属国の為に現地政府よりも手厚い学校整備や電気、水道、ダム、道路網等ライフラインの整備、重工業設備の投資をするんですか❓
それは、植民地じゃないからに他なりません。
北や韓国、全学連・共産党シンパ出身の政治家、ジャーナリストに至っては「併合と言う名の植民地」などという戯れ言を言う事さえ認めません。
朝鮮総督府や満蒙開拓団、関東軍、満鉄、日産等は、現地をきちんとマネージメントし、治安を確保し、工業生産力を定着させ、平壌から北西に広がる満洲エリアの荒れた土地を、農産物が育つ近代的な田畑に土地改良しました。
当時の満鉄総裁は、松岡洋右で、松岡は岸信介の叔父の義兄であり、満業(日産)の鮎川義介の親戚でした。
満洲の5人の実力者として、「2キ3スケ」と呼ばれたのが、岸信介、鮎川義介、松岡洋右、そして元大蔵官僚の星野直樹、東條英機です。
生産高は右肩上がりで、現地に対して何一つマイナスになる事をしていません。
一方、共匪・共産党は市街を破壊し、国民を強盗殺戮し、掠奪、強姦に奔走していたので、日本陸軍で軍隊の基礎を学んでから、支那革命軍に従軍した経歴のある蒋介石は、抗日(反日)には反対だったのです。
本当の西欧型植民地とは、16世紀(文亀1 年(1501)~慶長5 年(1600))
に始まり、ヨーロッパ諸国が、ヨーロッパ以外の地域を征服し、経済的収奪、政治的支配の対象として、元々あった産業を破壊してプランテーションで一つの作物だけを大量に生産させる奴隷労働を行わせ、収益を得る様なやり方で、異民族支配の地域、宗主国に従属する地域を植民地と呼び、こういったやり方を植民地主義、帝国主義と言うのです。
植民地では、本国政府の憲法や法令が原則施行されず、結果、住民は政治的に抑圧支配されるのが通例でした。
勿論、宗主国が属国に対し、学校を建設する事などあり得ない❗️ご法度でした。
米国はインディアンの土地を奪い、大虐殺を展開しています。フィリピンでも初めはいい顔をしていましたが、しっかり収奪しています。
同様に、オランダはインドネシアに何をしたか、英国はインドに何をしたか、ナチスや露国はポーランドに何をしたか、本当に現地の人・文化・国土を破壊して、資源と財産を収奪していったのです。
●普通の植民地とは
ラテンアメリカでは、植民地政策により、自国固有の言語が消滅し、宗主国のローマ字を使っています。
(日本は韓国で、日本語と並行しハングルを奨励しました。今の韓国朝鮮人がハングルで読み書きしているのは、その名残り、日本語を強制しなかった証拠とも言えます。)
蘭国の植民地政策では、インドネシア人に対して、愚民政策・貧民政策を強行。
(日本は、韓国、満洲国で愚民政策・貧民政策をしたのでしょうか。
日本は、韓国で小学から大学まで学校を建設しました。
これは、愚民・貧民政策なんでしょうか。当時の世界中の被植民地国にそんな事をする宗主国があったでしょうか?ありません。愚民・貧民政策に反するからです。第一、属国で教育に投資する事は、損はしても得にならないからです)
その為、貧困にあえぐインドネシア人の平均寿命は、35才にまで低下しました。
(併合後の韓国の寿命は低下したんでしょうか?いえ、人口は日本統治により、日本が敗戦し、日本から独立する迄の間、倍に膨れ上がり約1700万人が約2500万人に、平均寿命は35歳から75歳に伸びているのです。
何故人口も寿命も倍に伸びたのでしょう。
左翼の人は、これをどう説明するのでしょうか。
満洲国も、建国後敗戦までに2700余人もの人口増加に繋がっています。)
被植民地国に、手厚い教育を施したり、産業、社会インフラ整備を行う事は、絶対にあり得ない事でした。
教育を施せば、識字率や知識、教養が向上し、愚民や貧民ではなくなり、それは統治国を脅かす事に繋がるからです。
話が脱線しましたが、植民地時代のインドネシア原住民とオランダ人の所得比は、1:13,000。
植民地統治とは、被植民地国を隷属下に置くという事です。
オランダが植民地にした国では、性病が蔓延して、街ゆく男たちの鼻骨が露出しているのは珍しくありませんでしたが、それでも被植民地国に対し、衛生教育一つさえ行いませんでした。
特にインドネシアを350年間も植民地とした蘭国植民地時代、オランダは残虐な行政でインドネシア人を家畜のように虐げました。
(蘭国統治下の属国では、オランダ人は主人であり、被植民地の国民は基本的に奴隷で、奴隷とは、主人から鞭で打たれ絶対服従と強制労働を強いられ、売買される商品。逆らえば社会的に抹殺される存在。)
「奴隷として扱われ、人間扱いしてくれなかった。」これは、インドを含むアジア、アフリカ圏の被植民地国の国民が口を揃えて証言する事実です。
特にアフリカ人(黒人)は、ポルトガル、スペイン、蘭国、英国、米国等旧宗主国からは、実際問題、奴隷貿易の商品として人身売買され、文字通りの奴隷として物扱いされて来たのです。
インドネシアでは、スカルノという独立心に燃えた現地人を指導者としたインドネシア独立軍が、オランダを破り、宗主国を母国から追い出しました。ところが、次は英国が侵略してきた。英国軍も蹴散らされ、インドネシアは独立を自国の意思で勝ち取りました。
スカルノを訓練し、共に戦ったのは旧日本軍兵士たちで、インドネシア独立軍が使用した武器は、旧日本軍が残していった武器でした。
旧日本軍の残党も独立軍に加勢し、共に蘭国、英国と戦ったとともに、謝罪と賠償を真摯に受け止めたからです。
オーストラリアには、原住民アボリジニが600万人いましたが、植民地化によって30万人まで激減しました。ナチスのホロコーストを凌ぐ大虐殺が行われたからです。
(確かに日本人を標的にした抗日テロ事件や、匪賊の悪質な暴動、騒乱に対しては、取締りや鎮圧、戦闘もあったでしょう。不法入国を取締るのは、当時も今と同じです。
が、それは警備治安維持の為で、統治前の犯罪地獄の様な無政府的朝鮮・満洲から、法手続きに基づいて治安を確保する為です。)
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乱筆乱文長文をここまで読んで下さった、奇跡の人には謝意を表します(爆)
出典:Vol.1参照