・・『Zipangu』Is Japanese
Big Picture First.
Please Don't Korea❗️
Truth ・・真実は動き始めた
2020年(R2)、Big China、Small China(Special Asia)3国は呪詛、憎しみ、Ttongsulに満ちていた。
The XXX Files ・・・20th .
Future Generation !
真実と闘え・・・
Zipangu Independence Banzai⁉️
Go Now ‼️ No Times❗️No Place⁉️
Sub Title "Don't be afraid ・Back To 近代 Beginning With You"
(FunnyBomb).
■ww1での日本の国際貢献
日本海軍は、沈没するトランシルバニア号の人員を必死に救助しました。
敵軍の攻撃に晒されながら、沈没を始めた艦船からほぼ全員の人命を海上で救助した事例は、これが史上初です。
この救助劇は、偉業として英国人に迎え入れられ、英国内のマスコミでもスクープとなりました。
又、当時の英国王、ジョージ5世は、日本の駆逐艦の士官7人、下士官20人に、功績を称え勲章を贈呈しました。
日本艦隊は、大正7年(1918)11月までに、実に348回出撃し、788隻の軍艦や輸送船の護衛を行い、何千人もの人員を救助しました。
その出撃率は、英国が60%、仏国40%、イタリアが40%だったのに対し、日本海軍は、なんと72%だったそうで、日本艦隊の護衛がなければ出港しないと言い出す国もあったほどでした。
■抗日(反日)運動激化とワシントン体制
さて、ここまでの歴史において、日本は、辛くも日露戦争に勝利しました。
ww1で、日本は支那領土、山東省青島(チンタオ)に進軍し町を攻略します。
又、独国が保有していた支那の膠州湾租借地の権益を取得しました。
●対華21カ条要求
しかし、支那はこれに反発し、日本が支那領土から出ていく事を要求します。
大正4年(1915)1月18日、日本は、国際条約に反発した支那に対して、「対華21カ条の要求」を出します。
この「要求」と言う表現を見ると、表向き日本が支那政府に対して強行に圧力をかけたかの様に聞こえます。
しかし、実態は、当時の北京政府の中華民国臨時大統領で、北洋軍閥の長・袁世凱(エンセイガイ)臨時大統領が納得した上で「要求と言う形にして欲しい。やむなく調印したと言う形にしたいから」と言い出したから要求と言う表現を使ったのです。
当時、統一支那国家・中華民国の、もう一つの首都、南京政府の孫文臨時大統領は、こう言っています。
「21カ条要求は、袁世凱自身によって起草され、要求された策略であり、皇帝である事を認めてもらう為に、袁世凱が日本に支払った代償である」と。
独国権益の膠州湾租借地の譲渡、南樺太及び満鉄の特殊権益の譲渡等は、全て国際法に準拠した手続きにより、合法的に行われてきたものでしたが、中華民国政府は独善的にそれまで支那の統治下に置かれていなかった北満洲を突如支那領であると主張し日本を排斥しようとしたのです。
因みに、「袁世凱」は、あのラストエンペラー溥儀(フギ)を清朝から正式に退位させた人であり、「孫文」は、辛亥革命の中心人物で、清朝を武力により打倒した支那国民革命軍の責任者です。
●抗日運動と匪賊
日本の21カ条の要求に対し、更に日本の排斥に火がついた支那では、国内で激しい反日デモが起きました。
後を追うように、朝鮮半島でも三・一独立運動(大正8年(1919))が行われます。
当時の抗日運動や満洲軍閥の凄まじい破壊活動は、満洲周辺を跳梁跋扈する非人道的な犯罪集団、所謂、匪賊によるもので、その猟奇的生態は酷いものでした。
匪賊とは、集団的に掠奪行為や暴力等を働く賊の事で、具体化すると下記の様になります。
馬賊と言うと、それを馬の機動力を活かして行う賊の事となり、馬賊の頭領とも言えるのが、あの有名な毛沢東です。
❶ 半農半賊(雑賊)
環境によって、匪賊になったり、良民になったりする農民
❷ 宗教匪(会匪)
宗教的秘密結社の集団匪賊
❸ 政治匪(兵匪)
満洲事変以後、転覆撹乱を目的とする旧東北軍系敗残兵
❹ 共匪(赤匪)(共産ゲリラ)
政治匪、土匪などを糾合して、共産革命工作を企てる共産ゲリラ。
これ等以外に、モンゴル人匪、朝鮮人匪がいたそうです。
そして、その時代、匪賊と呼ばれた彼等を現代の支那社会は、ひとくくりに抗日(反日)ゲリラと呼んでいるのです。〜
当時の中華民国政府の国軍、国民党軍に合流した張学良は、「国権回復運動」と言って、過激な抗日運動(現・反日運動)を展開しました。
満鉄に対して二本の並行線を敷設、武装警官が満洲国の日系工場を襲撃して閉鎖を命じ、設備を破壊、鉱山採掘を禁止し坑道爆破して破壊。
中華民国大統領名義の(懲弁)国賊条例(大正4年(1915))なる法令を施行し、日本人や朝鮮人に土地を貸したり売ったりした者を処罰しました。
満洲に入植していた朝鮮族は、土地を奪われ、大量に奉天監獄へと収監されます。
後に張学良は、満洲軍閥から追放されたと言います。
当時の趙(チョウ)・奉天市長は、張学良をこう評価しました。
『張学良は、昼に眠り、夜は遊女と戯れ博打三昧、アヘンに侵され精神疾患があったのではないか』と。
満洲の善良市民を塗炭の苦しみに貶めたのは、他ならぬ張学良・張作霖親子の満洲軍閥でした。
当時の趙奉天市長は、こうも言っています。
『日本軍が、張学良の奉天軍を殲滅し、大悪党(満洲軍閥)の手から東北市民を救出してくれた事を、深く感謝しなければならない』と(出典:満洲國史)。
※張学良:1901年生れ 2001年死没、
享年100歳。死没地:米国ハワイ州。
戦後、張はマスコミの自由な取材に応じ、自らアヘン患者だった事を述懐しています。
大正14年(1925)3月、支那で毛沢東と並び国父と呼ばれる孫文が、肝臓がんで他界します。
この後、蒋介石が中華民国の首席、国民党軍の委員長(総司令官)となります。
■ww1の戦後世界
話をww1に戻します。
ww1は連合国勝利で終戦を迎えます。
日本は、連合国側ですから戦勝国です。
ww1の戦後処理として大正8年(1919)、パリ講和会議で和平協定が結ばれました。
ベルサイユ条約です。
実は、このベルサイユ条約の規定から国連(国際連盟)が初めて設立される条文が設けられ、大正9年(1920)に旧United Nations・国際連盟が設立されました。
この条項を提唱したのは、実は国連に参加していない米国のウィルソン大統領でした。
日本は英仏伊と言う、列強と肩を並べる国連常任理事国となったのです。
又、日本は旧独国領だった南洋諸島、マリワナ諸島、マーシャル諸島、パラオ諸島、カロリン諸島の委任統治権を取得したのです。
山東省の租借権も独国から引き継ぎました。
日清、日露から始まった日本の連戦連勝の動きに欧米諸国は、次第に日本を警戒する様になり、又、支那朝鮮では、日本を英米と同列の欧米列強型・帝国主義国として見る様になっていきました。
■ワシントン体制
ww1が集結した頃には、ロシア革命(露国の内戦)に赤軍が勝利し、大正11年(1922)12月30日、史上初の共産国家「ソビエト連邦」が誕生しました。
又、日米の国際的地位が向上し、他方で支那朝鮮での反日運動の激化や、ww1集結から国連設立に至るヨーロッパでの平和志向の高まりなど、世界情勢も目まぐるしく変化していました。
こうした中、米国は虎視眈々と東アジアの動静に注視していました。
米国と言えば、国連を創設した張本人です。
米国は、東アジアの平和を保つ為には、日本の勢力拡大を抑える必要があると考えました。
そこで、列強間の勢力を現状維持しようとし、海軍軍縮の為の国際会議を提唱します。
その結果、大正10年(1921)〜大正11年(1922)米国で、ワシントン会議が開かれました。
この国際会議では、主に新たな価値観の国際条約が取り交わされました。
まず、日米英仏の4カ国条約として、❶太平洋における相互利権の尊重、❷日英同盟の廃棄。
次に、日米英仏伊、ベルギー、オランダ、ポルトガル、支那の9カ国条約として、支那の❶主権尊重、❷領土保全、❸門戸解放、❹機会均等。
次に、海軍軍縮条約が日米英仏伊間で締結され、「主力艦の保有量を制限し、10年間主力艦の建造を禁止」します。
これは、アジア、太平洋地域にも新たな新秩序の体制をもたらす事となりました。
この新秩序を「ワシントン体制」と言います。
この体制は、表向き、ww1の様な悲惨な戦争を二度と起こさない為の軍縮と平和希求を目的としていました。
が、誰がどう見ても、米国の支那大陸と言う巨大マーケットへの進出と、アジア唯一のUN常任理事国まで成り上がった日本と言う強国を抑えておきたいと言う策略でした。
日本側は、当事者の海軍はさておき、軍縮にはそう抵抗感はありませんでした。
問題は、日英同盟破棄です。
実を言うと、日本が日露戦争、ww1と二度の大戦争に順当に勝ち進んだのも、英国との同盟が少なからずポジティブに働いたからです。
日露では、露国の艦隊が日本海までたどり着く途上で、英国海軍が援護攻撃しているし、ww1では、英国に追従して連合国側に参戦した事が、戦勝国と言う勝ち馬に乗る結果へと繋がっています。
このワシントン体制の時、米国は既に日本を仮想敵国と見なし、英国と引き離した上で、単独となった日本を抑え込む腹だったのです。
乱筆乱文長文をここまで読んで下さった、奇跡の人には謝意を表します(爆)
出典:満州国の遺産(黄文雄著)、日本の戦争解剖図鑑(拳骨拓史著) 真実の満洲史 (宮脇淳子著) 支那・韓国が死んでも隠したい❗️本当は正しかった日本の戦争(黄文雄著)、通州事件 日本人はなぜ虐殺されたのか(藤岡信勝・三浦小太郎著)、ノモンハンの夏(半藤一利著)、Wikipedia、韓民族こそ歴史の加害者である(石平著) 天才戦略家としての肖像・石原莞爾(佐治芳彦著)、かくて昭和史は甦る(渡部昇一著)、国破れてマッカーサー(西鋭夫著)、日本が戦ってくれて感謝しています2(井上和彦著)、日本国紀(百田尚樹著)、ユダヤ人の歴史(ポール・ジョンソン著)