・・・Welcome To The Real Worlds!!!
・・『Zipangu』Is Japanese
Big Picture First.
Please Don't Korea❗️
Truth ・・真実は動き始めた
The XX Files ・・・17th .
Future Generation !
真実と闘え・・・
Zipangu Independence Banzai⁉️
Go Now ‼️ No Times❗️No Place⁉️
We Are Sumer Japanese・・
これから、記紀の物語を書いていきますが、原文は当然、100%漢字表記の為、現代人の私達にはストレートに意味が伝わりませんので、あくまで現代語訳での表現となります。
また、字数制限により全文を搭載する事は困難ですが、可能な範疇で記紀の総論を説明出来れば幸いです。
■第1話 天地開闢・国生み
遥か昔、ようやく天と地の区別がつき始めた時、天上の高天原(タカマノハラ)に最初の神、❶天之御中主神(アメノ・ミナカヌシ・ノカミ)が出現しました。
更に、❷高御産巣日神(タカミムス・ヒノカミ)、❸神産巣日神(カムムス・ヒノカミ)が生まれましたが、国土はまだ固まらず漂っていました。
やがて、その泥沼の様な国土から、❹宇摩志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビ・ヒコジノカミ)と❺天之常立神(アメノ・トコタチノカミ)が勢いよく成り出ます。
ここまでの五神は、天神(アマツカミ。言ってみれば包括的な天上界の神)の中でも特別の存在で、別天神(コト・アマツカミ)と言います。
次に、国之常立神(クニノ・トコタチノカミ)と豊雲野神(トヨクモノカミ)が出現し、夫婦神が4組出来たあと、最後に男神の伊邪那岐神(イザナギノカミ)と女神の伊邪那美神(イザナミノカミ)が登場します。
この二神が、次々と島を誕生させていき、日本の国土が完成しました。
最初に大八島国(オオヤシマ・ノクニ、❶淡路島❷四国❸隠岐(オキ)の島❹九州❺壱岐島❻対馬❼佐渡ヶ島❽本州)を生み、続けて、❶児島半島❷小豆島❸周防大島❹姫島❺五島列島❻男女群島)の6島を生みました。
国之常立からこの伊邪那岐、伊邪那美に至る迄の時代或いは神々を指して神世七代(カミヨナナヨ)と呼んでいます。
国生みを終了した伊邪那岐(イザナギ)と伊邪那美(イザナミ)は、次に神生みを開始して、多くの神々を誕生させていきました。
海の神・大綿津見神(オオワタツミ・ノカミ)や風の神・志那都比古神(シナツヒコ・ノカミ)、山の神・大山津見神(オオヤマツミ・ノカミ)、大国主神(オオクニヌシ・ノカミ)の国譲りの段に登場してくる、天と地を駆ける天鳥船(アメノトリフネ)もこの時に生まれました。
しかし、火之迦具土神(ヒノカグツチ・ノカミ)を出産した事が原因で、伊邪那美は亡くなりました。
伊邪那岐は、妻の遺体を出雲と伯耆(ホウキ)の境にある比婆山(ヒバヤマ)に埋葬しました。
泣き悲しんだ挙句、伊邪那岐は、剣で妻の死を招いた迦具土の首をはねてしまいます。
その剣に着いた血から、国譲りを担う武神の建御雷之男神(タケミカズチ・ノオノカミ)や、水神の闇淤加美神(クラオカミ・ノカミ)ほか、8神が成り出てきました。
殺された迦具土の体の部分からも8神の山に関連する神々が現れます。
妻を忘れられない伊邪那岐は、黄泉の国に訪ねて行きます。
扉を挟んで帰って来てくれと語りかけると、伊邪那美は黄泉の国の神と相談すると答え、その間、自分の姿を見ないで欲しいと言い残してその場を離れました。
ところが、いつまで経っても妻は帰ってきません。遂に待ちきれず伊邪那岐は闇に踏み込んでしまいます。
そこで見たものは、ウジがたかり、雷神が湧き出る伊邪那美のおぞましい姿でした。
驚いた伊邪那岐は、黄泉の国から逃げ出します。
伊邪那岐は、何とか黄泉の国と現世の境にある黄泉比良坂(ヨモツヒラサカ)迄たどり着きます。
不浄な黄泉の国の汚れを祓う為、伊邪那岐は日向の阿波岐原(アワキハラ)に行って禊ぎの儀式を行いました。
その禊ぎの過程で、綿津見(ワタツミ)三神や住吉三神が生まれました。
禊ぎの最後に、伊邪那岐が顔を洗うと、左目から天照大御神が、右目から月読命(ツキヨミ・ノミコト)、鼻からは須佐之男命(スサノオ・ノミコト)が誕生しました。
伊邪那岐は、天照に高天原(天上界)を、月読には夜の世界を、須佐之男には海原国の統治を委ねました。
※天照大御神:天照大御神は、現在の天皇陛下に至るまで歴代天皇の皇祖神(祖先神)である事が古事記には表現されています。
これは、端的に言うと天照大御神から現在の天皇陛下迄が一つの系図で繋がっている事を意味し、その事を指して「万世一系」と言います(一つの系統が万世に続くと言う意味)。
■第2話 天の岩屋戸(イワヤド)
父の伊邪那岐から海原国の統治を命じられた須佐之男でしたが、亡き母伊邪那美への恋しさから毎日泣き暮らし、その泣き声で山々の緑が枯れ、悪しき神々が世界に災いを振りまき始めました。
伊邪那岐は、須佐之男を海原国から追放する事を決めました。
父の伊邪那岐神(イザナギノカミ)から海原国を追放され、須佐之男は姉の天照大御神が治める天上の高天原(タカマノハラ)へ行きます。
しかし、須佐之男は高天原で暴れまくった為に、怒った天照は、天の岩屋戸に籠ってしまいます。
太陽神が隠れた事で、世界は暗闇に覆われます。
悪い神々が、暗躍し災いをもたらし始めました。
困った高天原の神々は、天安河原に集まり、対応を協議します。
神々から相談を受けた思金神(オモイカネ・ノカミ)は、鏡と勾玉(マガタマ)を作らせて聖なる木に飾り、その木を中心に祭りを開きます。
※(この鏡が八咫の鏡(ヤタノカガミ)、勾玉が「八尺瓊の勾玉」(ヤサカニノマガタマ)と言われるもので、後にこれらに草薙(クサナギノ)剣を加えて、これらを三種の神器と言います)。
知恵者の思金神(オモイカネ・ノカミ)は、天宇受売命(アメノウズメ・ノミコト)に踊る様命じました。
天宇受売が裸踊りで乱舞すると、天界の神々からどっと笑い声が巻き起こり、その歓声は高天原にこだましました。
天照は、不思議に思い岩戸を少しだけ開けます。
その隙をついて、男神の天手力男神(アメノタヂカラオ・ノカミ)が天照を引っ張り出し、布刀玉命(フトダマ・ノミコト)が再び天照が岩屋戸に戻らない様に岩屋戸に注連縄をかけました。
世界は再度光に満ち溢れ、平安を取り戻しました。
岩屋戸から出てきた天照は、もう弟に翻弄される神ではなく、尊厳に満ちた偉大な最高神へと変わっていました。
暴虐を働いた須佐之男は、刑罰を科せられ、高天原からも追われます。
天の岩屋戸の説話に出てくる、思金神が聖なる木を中心に開いたと言う祭りが神社祭りの原形と言う事が出来ます。
※鎮守の森:
鎮守の森とは、神社を囲む様に存在した森林の事で、基本的には、森の入口に鳥居があり、それをくぐると、参道が鳥居から森の深部迄繋がっています。
参道を通り森を抜けると神社が出てきます。森を杜(モリ)とも書きますが、これはどちらでも構いません。
鎮守の森は、神道の根幹でもある地域共同体を守る、具体的には民の身の安全を守る為、又、自然信仰の観点から「森」に自然神の息吹を感じ取り、畏敬の念を抱かせる為に存在しました。
家内安全から地域の安全、豊作祈願から始まり、結婚祈願(縁結び)、雨乞いやその他様々な祈りや願いが捧げられます。
中でも豊作祈願は、神道にとって重要なウェイトを占め、旧・新嘗祭、今の勤労感謝の日、この日は今でも天皇陛下自らが「豊作」を祝い、神に新米を供えると言う儀式ですが、鎮守の森では各共同体単位で同じ様なお祭りが催されていました。
それが、今でも神社祭りとして全国の町に残っているのです。
鎮守の森は、元々森林が先にあって、その中に神社、参道を建設していったと言うのが通常ですが、明治以降に作られたものは逆で、先に神社を建設し、それを囲む様に後に鎮守の森を設置したと言うものもあります。
代表例として、明治神宮、靖国神社(旧・東京招魂社)などはそうです。
日露戦争(明治37年)開戦以前の日本には、どの町にも必ず「鎮守の森」がありました。
恐らく、単一の集落、部落単位に存在したと推定され、市町村単位ともなれば多数の鎮守の森が存在した筈です。
明治期に入り、欧米列強に対抗する為の「富国強兵」が始まり、大増税を背景に明治政府は、日露戦争に勝利した後、神社合祀令を公布し、集落毎に複数あった神社を統廃合し、数を減らし神々を片っぱしから合祀しました。
その後も、日本は日韓併合(明治43年)、WW1(大正3年)参戦と世界のGreat Gameに歩を進めていった訳ですが、明治憲法下、神社は宗教の扱いではなかったので、神社中心説を根拠に「地方政治は神社を中心として行うべきだ」と言う考え方がありました。
この事から、神社の運営を政府が財政支援し鎮守の森は、町村単位に集約されていきました。
同時に、政府は鎮守の森の森林を伐採し、その資材の売買や伐採工事の雇用創出等によって経済力を向上させようとしました。
この政策によって鎮守の森は、神社と共に激減し、三重県などは9割の神社が廃止されました。
合祀の反対が分祀で、国会野党と中韓人が常日頃騒いでる「A級戦犯分祀論」などは、元A級戦犯の神霊を「靖国から分祀し排除しろ」と言う事です。
乱筆乱文長文を、ここまで読んで下さった奇跡の人には謝意を表します(爆)
出典:地図と写真から見える古事記・日本書紀(山本明著)、wikipedia japan