・・・Welcome To The Real Worlds!!!
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J.FRB Hannichi Labo.Act.❶
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Subtitle"Sumer・King David・Babylon"
■運命の日、バビロン捕囚
ユダ国王の甥イザヤのメッセージが、エルサレム陥落寸前に人々の良心に浸透した事は間違いない事でした。
最後の破局を迎えるまでには、数十年間かかったそうですが、イザヤと並んでもう一人、人々の共感を呼び心胸打つ預言者が現れました。
エレミヤです。エレミヤは、ベニヤミン族の一人で、祭祀の家に生まれました。
ある程度イザヤの影響を受けてBC627年に説教を始めました。
エレミヤは「民が、恐ろしい程罪深く、破滅に向かって突き進んでいる。民には、強情で逆らう心がある。」と考えていました(エレミヤ書第5章23節)。
彼は、ヨシヤ王の元で始められた神殿を核とした大宗教改革を、大失敗と片付け、BC609年にヨシヤ王が死去した直後、神殿前で改革に反対する激しい説教を行いました。
しかし、間一髪で殺されそうになり、神殿に近づく事を禁止されます。
その後、エレミヤは故郷の村人や、家族からも見放され孤独になり、次第に孤立していきました。
エレミヤの病的兆候が聖書にも見られます。
「私が生まれた日は呪われよ(第20章14節)。何故、私の痛みは止む事なく、私の傷は癒えないのか(第15章18節)。」。
彼は、説教さえ禁じられ、彼の著作物は全て焼かれました。
しかし、エレミヤが嫌われたのには理由がありました。
彼が北からの敵と呼んだネブカドネザル王(バビロニアの王)とその軍勢の脅威が日に日に増し、王国全体が不安に満ち人々がこの災難を回避する術がないかと暗中模索している時に、彼の説教、主張が敗北主義を唱えているかの様に写ったからです。
エレミヤは、この時「民とその支配者は、自分達の邪悪さ故に、この危険を自ら招いたのだ。逆らっても仕方がない」などと訴えました。
しかし、同時代の同胞達は、エレミヤのもう一つの重要なメッセージに気がついていませんでした。
「王国の滅亡は大した事ではない、イスラエル人は依然として神から選ばれた民だ。捕囚と離散のはざかいにあっても、神が彼等に与えた使命を成功させるのは十分可能である。イスラエルと神との絆は、軍事的敗北によって揺らぎはしない。何故ならそれは目に見えず、従って破壊する事が出来ない性質のものだからだ」。
エレミヤは、絶望や敗北を広めていたのではなく、逆説的に彼は、同胞のイスラエル人に絶望に備えて、それを乗り越える準備をせよと示唆していたのです。
その頃、アッシリア国は突如崩壊します。それにより生じた力の空白を突いて、BC605年、バビロニアはエジプト軍に勝利を納めます。
エルサレムは、BC597年3月16日に陥落しました。
大英博物館に所蔵されているバビロニアの年代記に、こうあります。
「第7年、キスレヴの月、(ネブカドネザル王は)軍隊を召集し、ハッティの地へ進軍して、ユダの町を包囲した。アダルの月の第2日、町を攻略し王を捕らえた。自ら選んだ王をそこに任命し、多くの貢物を受け取り、(それを)バビロンへ送った」。
これが、エルサレム陥落の正確な日付を読み取る根拠とされています。
そして、エルサレムの官僚、軍人、職人をはじめ全ての国民が捕らえられ捕囚されていきました。
アッシリアは、北のイスラエル国を侵攻し、バビロニアは南のユダ国を征服した、しかし、両者には決定的な違いがありました。
バビロニア人は、アッシリア人ほど残酷ではなかったと言う事です。
ベニヤミン族は、BC588年に降伏した為か、殆ど捕囚されてませんでした。
しかし、ユダの地は他国の侵略によって荒廃しています。
ベニヤミン族は、自らよその地へ離散、ディアスポラしていきました。一部は、北のサマリア、エドムやモアブに離散、逃れました。
エジプトへディアスポラしたベニヤミン族もいました。
その一団の中にエレミヤも含まれていました。
■最初の捕囚、予言者エゼキエル
最初にバビロン捕囚された一団の中に、エゼキエルと言う長老がいました。
エゼキエルは、聖書記者の中でも偉大な執筆者と評されます。
この謎に満ち、神秘的で風変わりな人物、エゼキエルは、根底に確固たる強力なメッセージを持っていました。
それは「宗教的純粋さを通じてしか、救済は得られない」と言う思想でした。
長い目で見れば、国も王も帝国も問題ではない、神にはその全てを消滅させる力があるからです。
本当に問題なのは、神が自分の姿に似せて造った生き物、つまり人間です。
エゼキエルは、神に導かれて、ある谷を訪れる経験について語ります。
谷は骨で埋め尽くされています。
その時、突然神が彼に問います。
『人の子よ。これらの骨は生き返らせる事が出来るか』。
すると恐れおののくエゼキエルの眼前で、骨がカタカタと動き出し、一つにまとまって繋がりました。
更に、神は合体した骨に筋と肉と皮膚をつけ、最後に息を吹き込みました。
すると「彼等は生き返り、自分の足で立った。彼等は非常に多くの群衆となった」(エゼキエル書第37章)。
のちにキリシタンは、この恐ろしい情景を、死者の蘇りの光景として解釈しました。
しかし、エゼキエルやその周辺のユダヤ人にとっては、これは故郷イスラエルの復活を意味していたと言います。
もし、エレミヤが最初のユダヤ人だったとするなら、ユダヤ教成立に力強い息吹を与えたのはエゼキエルです。
バビロン捕囚は、必然的にユダヤの部族国家(Judaea Nation)との決別を意味しました。
実際、10部族は既に消えていました。
エゼキエルは、ユダヤ人の上に降り注いだ災難がトーラーを破ると言う罪を犯した事に直接起因する逃れようのない結果だと、強く主張しました。
個人と言う観念は、これまでもモーセ宗教と切り離す事の出来ない観念でした。
が、イザヤの教えは、この観念を飛躍的に強化しました。エゼキエルは、それを絶対的なものにしました。
⬛️ディアスポラの起源
Diaspora
これ以後、個人の責任は、ユダヤ人の宗教の真髄となりました。
BC734年からBC581年までに、バビロン捕囚はおよそ6回実施されました。
イスラエル・ユダ国が瓦解した際、ユダヤ人はバビロニアに捕囚された人口よりも、他国へディアスポラ(離散)した人口の方が高かったそうです。
この事は、バビロニアに捕囚された者も含めて、ユダヤ人が約束の地エルサレムより外に住む事を意味します。
この時からユダヤ人が、世界に散り散りになると言う離散・ディアスポラの旅が始まったのです。
実は、ユダヤ人はバビロン捕囚で酷い仕打ちを受けていた訳ではなく、それなりの生活を営んでいたと言う記録もあります。
捕囚の期間中に商人として成功したユダヤ人もいました。
それだけではなく、実はユダヤ人はトーラーを経典として整理し、編纂し、本として記録し配布すると言う事を捕囚されてから熱心に始めていました。
故郷を奪われ、神殿を破壊された為、必要に迫られての行動だったそうです。
しかし、バビロン捕囚をきっかけに、かえってユダヤ教の信仰心、戒律は向上したと言います。
出典:ユダヤ人の歴史(ポール・ジョンソン著)、Wikipedia Japan、Never(まとめSite)
乱筆乱文長文をここまで読んで下さった、奇跡の人には謝意を表します(爆) ・・・
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