隠されてきた親日国家 Vol.6〜Singapore1 | box03のブログ

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 シュメール人はBC2千年に、メソポタミアの地から突如消えました。 彼等の行方は分かっていません。
 著者・岩田氏は、彼等の行方を突き止める為、徹底的に追跡を始めました。
 そして、著者は大胆な仮説に行き着きます。

・・『Zipangu』Is Japanese 
Big Picture First. 
・・Cause Miracle!Politics
・・・ Beyond The Past . 
To The Future ! 
   Now  Main Stage・・It's・・・
Dramatic Politices!!!
Japan Is sanctuary .
J.FRB Hannichi Labo.
   Please Don't Korea❗️
 
   Long Time Ago・・
長い間、現実は歪められ、
情報は操作されて来た・・
   Truth ・・真実は動き始めた
The XX Files ・・・Fifth .
Future Generation !
真実と闘え・・・
I Want It . To Believe .(Funny !) 
Zipangu & Singapore
Independence Banzai⁉️
   Go Now ‼️ No Times❗️No Place⁉️
   We Are Sumer‐Japanese・・
We Believe Batman ・・・
Even If Isn't You ⁉️
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■Singapore(シンガポール)独立
   シンガポールの隣国、マレーシアは、1963年(S38)にマラヤ連邦、英国領サバとサラワク、自治領シンガポールが合併して新連邦マレーシアとして独立しました。
   シンガポールは、そのマレーシアから1965年(S40)、分離独立した小さな都市型小国家です。
   民族的相違から、種族の事情でマレーシアが、一方的にシンガポールを分離して、いわばマレーシアから追い出された形でシンガポールは分離独立したのです。
   マレーシア連邦政府が、自国シンガポール自治区を分離する決定を下した根拠は、「マレー人によるマレーシアの国造り」が理由だった様です。
   また、マレーシアが新連邦結成直前と後に、シンガポール華語派が「共産主義者」として相次いで逮捕された為に、シンガポールの治安上の不安が殆ど解消されていた事も、シンガポール分離を決定した事の背景でした。
   因みに、マレーシアもれっきとした親日国の一つです。
 
■シンガポール共和国の歴史教科書
   次の内容は、シンガポールの小学校の歴史教科書です。
   第1章『シンガポール陥落に至るまでの出来事』
   戦前日本の軍事的拡張に対する英国の防衛戦略、日本が戦争を始めた背景、真珠湾とシンガポールがほぼ同時に爆撃されて戦争が始まった事、シンガポール陥落の理由、特に英国が降伏に至る過程が詳細に描かれています。
   第2章『日本占領下のシンガポール』
   日本軍の捕虜の扱いが酷かった事、皇民化教育、報道統制、華僑粛清を行った事、シンガポール全ての民族にとって、日本占領期が苦しみに満ちた時代であった事などが述べられています。
   第3章『日本占領の終焉』
   1944年から始まった連合軍によるシンガポール爆撃、硫黄島・沖縄の占領、原爆投下から日本の降伏に至るまでの経緯、英国のシンガポール再上陸など。
   第4章『我が戦争のヒーロー』
   WW2で日本軍に抵抗したヒーロー、マレー連隊長アドゥナン・サイディ(Adnan Saidi)、愛国烈士・林謀盛(Lim Bo Seng)のエピソードが詳細に描かれています。
   国が危機に陥った際には、現在のシンガポールの若者も戦争のヒーローと同じ様に、国の為に最後まで戦う様意識付けようとしているのです。
 
   これらの教科書に記述された日本占領期の歴史は、シンガポール国立博物館に展示物として視覚的に表現されています。
   これらは、かなりネガティヴなイメージとして日本占領期のシンガポールが現地人にとって暗黒時代だった事を示しています。
 
   また、教科書ではかなり日本占領期について、細かく教えていますが、にもかかわらず、シンガポール住民は一般的に親日的です。
 
■シンガポール親日度
   それは、何故なのか❓
   グローバルマーケティング事業を展開するアウンコンサルティングが実施した「アジア10カ国の親日度アンケート調査」というものがあります。
   それによると、「日本人が好きですか」という設問に対し、タイ、マレーシア、ベトナム、フィリピン、インドネシアは、「好き、大好き」と答えた人が80%以上を超えました。
   中でもシンガポール、ベトナム、フィリピンは90%を超えています。
   特にシンガポールが、日本人を「好き、又は大好き」と答えた割合は、何と驚異の94%で、ぶっち切りの1位という結果です。
   東南アジアにおける抗日運動の拠点となっていたシンガポール、華人が人口の7割を占めるシンガポールで、ここまでの親日的評価がある理由は、
❶戦後の日本の謝罪と賠償に対して、シンガポール側が正当な判断を下した事。
❷そして中韓に見られる様な反日教育がシンガポールには存在しなかった事が大きな要因となっています。
1984年(S59)まで小中学校では、一定期間歴史教育がなかった事。
❹シンガポール政府は、常に戦争の問題が反日や反英に繋がらないように気をつけている事。
❺またシンガポールでは、1970年代から「日本に学べキャンペーン」が行われ、比較的早くから戦争以外の日本文化が大量に流入した事。
❻そして、シンガポールのナショナリズムが、マレーシアとの対抗関係によって形成される場合が多い事なども影響していると言います。
 
﹅支那人移民国家・シンガポール
   日本占領下、日本軍が特に厳しく取り締まったのが、華僑・華人でした。
   因みに華僑とは、「支那以外の外国、この場合、支那本土、香港、台湾、マカオ以外の国に移民し、支那中共の国籍を持ち、移民先の国籍を保有しない支那人」で、華人とは、「支那以外の外国に移民し、移民先の国籍を保有している支那人」と定義されます。
   当時、シンガポールにも、抗日運動の波が押し寄せていましたから、日本人から見て、抗日運動を行う華僑・華人は、イコール共産主義者、共匪(赤匪)でした。
   実際に、中共員や国民党員がシンガポール内で抗日運動を展開していた事が幾多の書籍でも確認できます。
   その為、日本軍が統治し、軍政をスタートさせてから、抗日活動家、及びその支援者と判断された華僑・華人(華僑義勇軍、共産党員、抗日団体に所属する者、蒋介石国民革命軍への献金者・抗日軍への資金援助者)は何千人と逮捕、死刑に処されました。
   戦後、日本政府はシンガポールが独立国家になった翌年(1966年(S41))賠償金名目のお金6千万ドルを支払い謝罪しています。
 
■ハリマオ
   シンガポール市内には、日本人墓地公園があり、WW2で戦死、殉死、戦病死、BC級戦犯として処刑された日本人等、日本軍将兵、軍人軍属の遺骸が納められています。
   そして、この日本人墓地公園の中で見逃してならないのが、「マレーのハリマオ」の石碑です。
   Japaneseで「ハリマオ」、マレーシア語で「ハリマオ」➡︎Harimau→Tiger(虎)を意味しますが、マレー(シア)の虎と言えば、真っ先に追憶しなければならないのは、旧日本軍・山下奉文将軍でしょう。
   「マレーの虎  山下奉文の生涯」(ジョン・D・ポッター著)と言う本にも書かれ、マレー・シンガポール攻略戦で指揮官を務めた日本軍将校です。
   山下将軍は、シンガポールのリゾートアイランド、セントーサ島にある博物館に、当時の英軍で降伏文書に署名した敗戦の将、パーシバル将軍と共に銅像となり、また両軍の指揮官と幕僚達の等身大人形も再現展示されています。
   でもマレーのハリマオは、一人ではありませんでした。
   戦時中、映画にもなった『マラィ(マレー)の虎』の主人公は「モハメド・アリー・ビン・アブドラ」ですが、実はこの人は実在するJapaneseでした・・。
   彼は、マレーシアの盗賊団の頭領でもありました。
   もう一人の「マレーの虎」の日本名は『谷豊』と言う実在する日本人青年です。
   明治44(1911)年に福岡で出生したハリマオ・谷豊は、父の仕事でAsean諸国・マレー半島のトレンガヌに移住し、外国で床屋を経営する親の稼業を手伝っていました。
   ある日、彼が単身で日本に帰国した際、満洲事変(S6)が勃発・・。
   マレーの虎(Harimau)が、マレーシア(Malaysia)に残した家族は、華僑(華人)による反日運動で幼い妹まで惨殺されたのです・・。
   支那人お得意の・・ミューティレーション(Mutilation)による猟奇殺人だった事は、想像に難くありません‼️
   知らせを受けて、電撃的にマレーシアに戻った谷豊は、泣き叫びながら、同時に在マレーシア領に住む華僑・華人、罪人を特赦により釈放した英国への復讐を誓い盗賊となりました。
   当時、もう一人のHarimauは若干26歳。
   彼は、2千人のマレーシア人を率いて裕福な英国人、裕福な華僑を次々に襲うのでした。
   その存在は、たちまちマレー半島全域に知れ渡り、いつしか彼は民衆からも畏敬の念を込めて、マレー語の「虎」を意味する「ハリマオ」と呼ばれる様になったのです。
   そんなハリマオに、日本軍への協力を呼びかけたのが日本陸軍の神本利男(カモトトシオ(北海道出身))でした。
   神本は、満洲国を始め各戦場を渡り歩いて諜報活動を行い、生涯をアジア解放に捧げた人物でした。若くして戦死した様です。
   彼はハリマオをこう説得します。
   『もし、戦争が始まったら、その戦争は、このマラヤの大地をマレー人の物にする戦いの始まりだと俺は考えている。
   今のマレー人の力では、とても英軍をこのマレー半島から追い出す事は不可能だが、日本軍の軍事力に、多くのマレー人が協力するなら、150年もマレー半島を支配した英軍と収奪の植民地勢力を、このマレー半島から追い出す事ができると・・』
   ハリマオの一団は、労働者に成りすまして半島最大の英軍防御陣地ジットラの工事現場に潜入します。
   敵軍の陣地や周辺地図作成、貴重な軍事情報が彼等から日本軍へ提供されます。
   また、意図的に工事を遅らせたり、作業機械を故障させるなどの裏工作も彼等によって実行され、日本軍の勝利に陰日向に貢献したのでした。
   日本軍がマレー・シンガポール攻略戦で勝利できたのは彼等の力が深く影響しています。
 
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出典:シンガポールを知るための65章(田村慶子著)、wikipedia japan、AWAY MEDIA、日本が戦ってくれて感謝しています2(井上和彦著)、AMEBRO、Yahoo 知恵袋
 
乱筆乱文駄文をここまで読んで下さった、奇跡の人には謝意を表します(爆) 
 
(あれっっ???半分にして聞いて下さいね)残念ながらまだ大脳皮質は正常(だと思います)認知能力は曖昧ですけど(Funny)) 
 
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