国破れてマッカーサー11 | box03のブログ

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 シュメール人はBC2千年に、メソポタミアの地から突如消えました。 彼等の行方は分かっていません。
 著者・岩田氏は、彼等の行方を突き止める為、徹底的に追跡を始めました。
 そして、著者は大胆な仮説に行き着きます。

・・・Welcome To The Real Worlds!!! 
・・『Zipangu』Is Japanese 
Big Picture 。
The XX Files ・・・Fourth .
Future Generation !
真実と闘え・・・
I Want It . To Believe .(Funny !) 
Zipangu Independence Banzai⁉️
   Go Now ‼️ No Times、No Place⁉️
76Years After The WW2 
   Please Don't Korea❗️
 
 
■太平洋戦争までも
   さて、日本が支那大陸や朝鮮半島を侵略した為に、遂に太平洋戦争に突入し300万人もの犠牲者を出して敗戦を迎える事になった、日本は取り返しのつかない過ちを犯したと言う人がいます。
   しかし、太平洋戦争、これも今では日本を戦争に引きずり込む為に、米国によって慎重に仕掛けられた罠であった事が判明しています。
   実は米国もコミンテルンに動かされていました。
   最も、コミンテルンなど現在は存在しませんけど。
   ヴェノナファイル(ヴェノナ文書)と言う米国の公式文書があります。
   ヴェノナファイルとは、コミンテルンと米国にいたエージェントとの交信記録を纏めたものです。
   米国は、1940年から1948年までの8年間、これをモニターしていました。
   当時、ソ連は1回限りの暗号書を使用していた為、米国はこれを解読出来ませんでした。そこで米国は、太平洋戦争の最中の1943年から解読作業を開始しました。
   そしてなんと、37年もかかってレーガン政権が出来る直前の1980年に至って解読作業を終えたと言うから驚きです。
   これによれば、1933年に生まれた米国のルーズベルト政権の中には300人のコミンテルンのスパイがいたと言います。
   その中で昇りつめたのは、財務次官補ハリー・ホワイトでした。
   ハリー・ホワイトは、日本に対する最後通牒ハルノートを書いた張本人と言われています。
   彼はルーズベルト大統領の親友であるモーゲンソー財務長官を通じてルーズベルト大統領を動かし我が国を太平洋戦争に追い込んでいきます。
   当時、ルーズベルトは共産主義の恐ろしさを認識していませんでした。
   彼は、ハリー・ホワイトを通じてコミンテルンの工作を受け、戦闘機100機からなるフライングタイガースを蒋介石国民党軍に派遣するなど、日本と戦う蒋介石を陰で強力に支援していました。
   真珠湾攻撃に先立つ1年半も前から支那大陸において、米国は、日本に対して、隠密に攻撃を開始していたのです。
   ルーズベルトは戦争をしないと言う公約で大統領になった為、日米戦争を開戦するにはどうしても見かけ上、日本に第一撃を引かせる必要がありました。
   日本は、まんまと大統領の仕掛けた罠にはまり真珠湾攻撃を決行する事になります。
 
■ハルノート
   さて、太平洋戦争は避ける事が出来たのでしょうか。
   日本が、米国の要求するハルノートを受け入れれば一時的にせよ太平洋戦争を避ける事が出来たかも知れません。しかし、一時的に戦争を避ける事が出来たとしても、当時の弱肉強食の国際情勢を考えれば、米国から第二、第三の要求が出てきたであろう事は容易に想像出来ます。
   結果として、現在に生きる私達は白人国家の植民地である日本で生活している可能性が大です。
   文明の利器である自動車や洗濯機、パソコンなどは放っておけば、いつかは誰かが作ります。
   しかし、人類の歴史の中で支配、被支配の関係は戦争によってのみ解決されて来ました。
   強者が自ら譲歩する事などあり得ません。
   戦わない者は支配される事に甘んじなければなりません。
   さて、大東亜戦争の後、多くのアジア、アフリカ諸国が白人国家の支配から解放される事になりました。
   人種平等の世界が到来し、国家間の問題も話合いによって解決されるようになりました。
   それは、日露戦争、そして大東亜戦争を戦った日本の力によるものです。
   もし日本が、あの時大東亜戦争を戦わなければ、現在の様な人種平等の世界が来るのが後百年、二百年遅れていたかも知れません。
   そういった意味で、私達は日本の国の為に戦った先人、そして国の為に尊い命を捧げた英霊に対し感謝しなければなりません。
   そのお陰で今日私達は、平和で豊かな生活を営む事が出来るのです。
   一方で大東亜戦争を「あの愚劣な戦争」などという人がいます。
   戦争などしなくても今日の平和で豊かな社会が実現できたと思っているのでしょう。
   当時の指導者は皆んな馬鹿で、やらなくても良い戦争をやって多くの日本国民の命を奪った、死亡した軍人、民間人は皆んな犬死だったと言っているのと同じです。
   しかし、人類の歴史を振り返れば事はそう簡単ではない事が分かります。
   現在でさえ一度決定された国際関係を覆す事は、極めて困難なのです。
   日米安保に基づき、米国は日本の首都圏にも立派な基地を保有しています。これを、日本が返してくれと言ってもそう簡単には返ってきません。
   ロシアとの関係でも北方領土は未だ返還されず不法占拠されたままです。
   竹島然り。東京裁判は、あの戦争の責任を全て日本に押し付けようとしたものです。
   そして、そのマインドコントロールは戦後70年を経てもなお日本人を惑わせています。
   日本の軍は、強くなると必ず暴走し他国を侵略する、だから自衛隊は出来るだけ動きにくくしておこうと言うものです。
   自衛隊は、領域の警備も出来ない、集団的自衛権も行使出来ない。
   武器の使用も制約が多い、又、攻撃的兵器の保有も禁止されています。
   諸外国の軍と比べれば、自衛隊は雁字搦めで身動き出来ない様になっています。このマインドコントロールから解放されない限り、我が国を自らの力で守る体制がいつになっても完成しません。米国に守ってもらうしかありません。
   自国を自前で守る体制を整える事は、我が国に対する侵略を未然に抑止すると共に外交交渉の後ろ盾になります。
   諸外国では、ごく普通に理解されているこの事が、我が国では国民に理解が行き届きません。
   今も大東亜戦争で我が国の侵略がアジア諸国に耐え難い苦しみを与えたと思っている人が多くいます。
   しかし、私達は多くのアジア諸国が大東亜戦争を肯定的に評価している事を認識する必要があります。
 
■アセアン諸国、南アジア、中央アジア諸国の殆どは親日国
   タイで、ミャンマーで、フィリピンで、インドで、シンガポールで、インドネシア、マリアナ諸島、ミクロネシア、パラオで大東亜戦争を戦った日本の評価は高いのです。
   肝心の日本が反日左翼の手により「特攻隊」は負の遺産だと歴史から抹殺され、議論さえタブー視されている時、フィリピンやパラオ、台湾では神風メモリアルや慰霊祭、神社が日本軍を憎んでいる筈の外国人によって祀られているのです。
   そして、日本人に直接接していた人達の多くは、日本軍を高く評価し、日本軍を直接見ていない人達が、日本軍の残虐行為を吹聴している場合が多い事も知っておかなければなりません。
   中ソ対立以降、支那中共は反日運動を過熱させ、日本軍の残虐行為を世界に喧伝していますが、中共八路軍は殆ど日本軍とは交戦していません。交戦どころか協定を結び、手をとって蒋介石軍と戦ったのです。
   日本軍の軍紀が、他国と比較して如何に厳正であったか多くの外国人の証言もあります。
   我が国が侵略国家だったなどと言うのは正に捏造です。
   人は、特別な思想を注入されない限りは、自分の生まれた故郷や自分の生まれた国を自然に愛するものです。
   嘘や捏造は全く必要ありません。
   個別事象に目を向ければ悪行と言われる物もあるでしょう。しかし、それは現在の先進国の中でも暴行や殺人が起こるのと同じなのです。
   私達は、輝かしい日本の歴史を取り戻さなければなりません。
   歴史を抹殺された国家は衰退の一途を辿るのみです。
 
■日本は大東亜戦争の目的を達成していた
   太平洋戦争は、言わずと知れた「戦争」です。ここで改まって戦争論をするつもりはありませんが、一応ドイツ(プロイセン)の戦略家、と言うより戦争哲学者クラゼウィッツ(1780~1831)の有名な定義を上げます。
   『戦争は、他の手段をもってする政治の継続に他ならない』。
   クラゼウィッツによれば、戦争は他の手段による政治の実現に他ならないという事になります。
   さて、この場合、日米両国の戦争目的は、日本の場合は「米英の東洋征服の野望粉砕」、米国の場合は「民主主義の擁護の為」という事になります。
   互いがナショナリズムと国益を矛先にして、激突してしまいました。
   当時、グローバリズムなどと言う思想を本気で考えていたのは恐らくユダヤ人位だったと思います。
   しかし、日本には形は違えど、八個一宇、五族協和と言う概念があり、実際に体現しようとしていたのです。
   更に言えば、日本の場合は、東アジアの欧米植民地の一掃、米国の場合は支那市場の独占支配という事になります。
   いずれも極めて政治的な物であり、クラゼウィッツの言う定義そのものです。
   両国は、それぞれの政治的意図(戦争目的)実現の為、 対立してきましたが、日本は米英側の経済封鎖戦略の為、重大な危機に陥りました。
   日本は自存自衛の為、戦争という手段(選択肢)を行使するまで追い込まれました。
   太平洋において行われた日米軍事対決の帰趨については既にご存知の通りです。日本国民は、善戦敢闘しポツダム宣言受諾という形で終結しました。
   しかし、クラゼウィッツが戦争論で次の通り述べている事は注目すべきです。
   「戦争とその結果は絶対的なものではない」。
   すなわち米国の勝利に終わった事から、米国は西太平洋と支那大陸から日本の軍事力を一掃し、支那市場から一切の日本勢力の排除に成功しました。
   戦争目的を達成したのです。
   ですが、それも幻想に過ぎません。  
   支那大陸から日本の軍事力を一掃した結果、米国が支持した蒋介石国民党政府とその軍は、八路軍(中共軍)と真っ向から対峙する事になりました。それまで八路軍と戦い、共産党を牽制していた日本軍がいなくなったからです。
   それだけじゃありません。日露戦争直後から米国が執拗に触手を動かしていた満洲は、いち早くソ連の手に落ちました。
   そして激しい国共内戦が起こり、旧敵国日本よりも民主的政権とは義理にも言えない支那市場の独占支配どころではなくなりました。
   最終的に、太平洋戦争での米国の戦争目的は挫折したのです。
 
   一方日本はどうか。東アジアからの欧米覇権主義の一掃という戦争目的はほぼ達成されました。
   戦争中、日本はアジアの英、仏、オランダの植民地、それに米国の植民地支配下にあったフィリピンを独立させました。
   勿論、東條政府としては傀儡国家を作る事で、植民地の再編を意図していた可能性はあります。
   従って次第にその本音を出し始め、独立とは名ばかりの状態となっていきました。
 
■確かに先人達は旧植民地国・独立軍を援護していました
   その為、独立派はかつての解放軍だった日本軍を占領軍とみなしてレジスタンスを行う様になっていった様です。ですが、当初独立軍の編成や訓練を担当した日本軍の機関には、東亜諸民族の解放という大義・理想などに献身した将兵が少なくありません。
   彼等は日本が無条件降伏した時、その武器弾薬を独立軍に大量にプレゼントしただけでなく、個人で或いは集団で軍から脱走し、独立軍に参戦したケースも多々ありました。
   戦後、英仏オランダ等の宗主国が植民地回復に戻った時、彼等旧属国の独立軍が強かったのは、戦時中の日本軍による猛訓練と義勇軍(奉仕軍)として参戦した旧日本軍人の存在があったからです。
   彼等は、自分達を奴隷同様に蔑視し王侯の様に君臨していた宗主国の白人達が、自分達と同じ肌の色をした小柄な日本兵に簡単に敗北し、捕虜となって命乞いをする情けない姿を見て、それまで白人に対して抱かされていたコンプレックスから解放されました。
   あの威張り腐った、自分達を虫ケラ扱いしていた宗主国高官の夫人や令嬢が、進んで日本軍の将校らの愛人や現地妻になるのを見たら、当然でしょう。
   ともあれ、東條政府の意図とは違った形ではありましたが、宣戦の詔書に示された日本の戦争目的はほぼ達成されたのです。
 
 
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乱筆乱文長文をここまで読んで下さった、奇跡の人には謝意を表します(爆) 
 
出典:自らの身は顧みず(田母神俊雄著)、日本人の歴史(佐治芳彦著)
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