平成29年11月19日に京都霊山護國神社で大野徳兵衛元海軍上飛曹(上等飛行兵曹)の講演会その2です。
大野さんは海軍のパイロットとして何度も九死に一生を得る体験をされたそうです。
そのうちの一つのお話。
大野さんが神風特攻隊用の250キロ爆弾を輸送したときのお話です。
当時大野さんは台湾の航空基地に配属されていたそうです。
ある日大野さんはは50機の編隊を統率する隊長機を任されたそうです。
任務はフィリピンへ向けて特攻用の250キロ爆弾を空輸するという命がけの任務。
しかし、この任務は失敗に終わるのです。
そもそも輸送用の飛行機では多くの物資や250キロの爆弾を運ぶことは難しく、武器弾薬の欠乏している日本軍の苦肉の策でした。
やはり空輸中、重さに耐えきれず隊長機の大野さんの飛行機は制御を失い落下していきます。
落下中、目に見えたのは小学校のグラウンド、しかしそこではグランドの中央でオルガンを囲んで子供たちが歌を歌っているような状況。
もしこんなところに250キロ爆弾をつんだ輸送機が墜落したなら、子供たちを巻き込んだ大惨事になることは明白。
必死に操縦し、進路をみると竹藪が見えたのですが、ここに墜落しては死亡は間違いなかったが、その先に田んぼが見えたので何とか田んぼに向けて進路をとり田んぼに不時着しました。
この時、大野さんは250キロ爆弾が誘爆し、飛行機もろとも木っ端みじんになることを考えていましたが、奇跡的に誘爆はしませんでした。
しかし火災が発生し、いつ爆発しても遅くない状況、急いで飛行機から脱出しようと試みた大野さん。
だがこの時パラシュートが開いて機体に絡み、なかなか脱出できない。そんな時に大きな爆音を聞いた近所の子供たちが集まります。
大野さんは絶叫します。「爆弾を積んだ飛行機だ、すぐに爆発するから離れろ!。」子供たちは一目散で逃げ出したそうです。
脱出に悪戦苦闘していると、台湾の巡査がやってきます。巡査は危険をかえりみず、駆け寄る、大野さんは「爆弾が誘爆する、危険だ。」
と叫んだが、巡査はパラシュートを切り離し、大野さんを救出したのでした。
大野さんはさいわい軽傷で済み、まさに九死に一生を得たのでした。
その後、大野さんは基地に戻るのですが、隊長機を失った編隊は爆弾を放棄し、基地へ帰還していました。
当然みな、大野さんが墜落死したものと思い、戦死としての処理を行っていたそうです、そんな中、大野さんがひょっこり基地に帰ってきたのです、基地内では歓声が起こり、奇跡の生還に涙したそうです。
以上のようなお話でした。本当にすごい経験談でした。
次は更なる九死に一生を得たお話を書かせてもらおうと思います。
急降下爆撃機「彗星」