元帝国海軍中尉加藤昇さんのの司会で始まったみたま祭。
この中で宮司さんがお話しされた悲痛な6歳の時の終戦体験談でした。
・父は私が小さい時、召集され、これでお国の為に役立てるそう言って胸を張り自宅を出て行きました。
・軍服を着た父は勇ましく、そして立派だった。
・父が出征してから毎日、寂しい思いをしつつも父が帰ってくるのをずっと待っていた。
・そしてある日、お母さんが言いました、「明日お父さんが帰ってきます、お父さんを迎えに行きますよ」と、ついにお父さんに会えるんだと大喜びしました。
・翌日、母と私、妹で神社に行きました、その神社には白い布で覆われた木箱が山積みされていました。
・神社に到着し、妹と大喜びでお父さんを探しました。
・神社中を探し回りましたが、どこを探してもお父さんは見当たりません。
・やがて木箱を持ったお母さんが「帰りますよ」と私と妹の手を引いて帰宅することとなったのです。
・私は、おかしいなあ、お父さんはいない、先に家に帰ったのだろうか?
・そう思い帰宅すると、自宅には祖父、祖母が待っていました
・母が木箱を開け、お父さんと言いました、幼い私と妹はそこでようやく父が戦死して帰ってきたのだと分かったのです。
・母が言いました。「これからは3人で力を合わせて生きていきましょう。」と。
妹と抱き合い3人でずっと泣き続けました。
・それからは、立派に戦死した父の恥じないよう懸命に生きてまいりました。
このような悲痛な戦争体験談をお聞きしました。
先の大戦で多大な犠牲を日本は払いました。
家族が戦死し、また戦禍で家族を失い困窮された方は多かったでしょう。
しかしこの宮司さんのように懸命に生きてこられた方が戦後の日本を作ってくれたのだと思います。
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