一昨日、昨日とヨーロッパチャンピオンズリーグの準決勝が行われました

。
チャンピオンズリーグ決勝の組み合わせもスペインの2強によるクラシコとなるのかと思っていましたが、
まさかの結果となりましたね。
昨日のバイエルン・ミュンヘン対レアル・マドリーの試合は、前後半で決着がつかず、延長戦でも決まらず、
最後はPK戦によりバイエルンが勝利しました!
もう試合内容が白熱しすぎて、ずっとテレビの前にかじりついてましたよ!
会社でも朝からその話題で盛り上がりました(^_^)。
決勝のカードはバイエルンとチェルシーになりましたが、是非バイエルンに勝ってもらいたいです。
やはりその国に住むと、自然と贔屓して応援してしまうものですね(^_^)。
今日もテレビを見ているとバイエルンのニュースがやっており、非常に懐かしい人がテレビに出ていました。
カール・ハインツ・ルンメニゲというドイツの往年の名選手で、いまはバイエルンの代表取締役社長です。
自分が小学生のときにサッカーを始めて、最初に知ったサッカー選手なんです。
なぜだか小学生のときルンメニゲの下敷きを持ってましたよ~。
もう四半世紀以上前のことですよ。懐かしいのと、年月の経つのも早いものですねぇ(>_<)。
余り懐かしかったので、今日は自分のサッカー史を織り交ぜながら思いでに残る選手などを
自由に書いてみたいと思います(^_^)。
(以下の写真はすべてネット上より拝借いたしました。)
自分がサッカーを始めたのは小学4年生のときで、地元の学区のサッカーチームに属していたのですが、
自分が海外サッカーに初めて興味をもったのが85年のトヨタカップでした。
現在のクラブワールドカップの前身ですね。
あの当時、海外サッカーを唯一映像(テレビ)で観れる機会がトヨタカップでした。
その初めて観たトヨタカップで憧れたチームと選手が、イタリアのユヴェントスと
そのユヴェントスの中心選手だったミシェル・プラティニでした。
プラティニはフランスの将軍やナポレオンと呼ばれた、まさにスーパースターでした。
そんなプラティニも現在はヨーロッパサッカー連盟(UEFA)の会長です。
そのトヨタカップで観たプラティニの余りにも有名な幻のゴールは凄かったですね。
実況の人も「プラティニゴール!スーパーゴール!ビューティフルゴール!」と絶叫してたのを
今も覚えています。
でも、それがオフサイド判定でゴールが認められなかったわけですが、そのときのプラティニが
グラウンドに肘をついて寝そべってしまったのが何とも印象的なシーンでした。

トヨタカップを観た後は、よく学校の休み時間にゴール前でプラティニのゴールシーンを
真似しましたね(^_^)。
その後も益々海外サッカーに憧れを持つようになり、本格的に好きになったのが1980年代後半から
1990年代初頭にかけてのACミランというチームでした。
このチームも何度かトヨタカップに来日していますが、当時確かチャーター機で夫人や恋人を同伴で
成田に到着し、なんとも豪華な来日ぶりだったのを記憶しています。
さすがベルルスコーニ元首相がチームオーナーだけあるチームだったわけですね。
そして実力も申し分なく、スペクタクルなサッカーを披露してくれました。
そのACミランの中でも、とりわけオランダトリオは凄かったですね。
左から、フランク・ライカールト、マルコ・ファン・バステン、ルート・フリットです。

中でもマルコ・ファン・バステンは大好きな選手でした。
余談ですが、我が家のマルコ氏はファン・バステンの名前から頂戴しました(^_^)。

テクニック、シュート力、瞬発力、長身を活かした空中戦など、どの要素においても
全てがトップレベルで、まさに万能のストライカーでした。
いとも簡単にやってしまい、とてもエレガントでしたね。
今なお史上最高のセンターフォワードと言われることが多いですね。
しかしながら、相手チームのDFから余りにもファウルで足を削られ、足首のケガに悩まされ、
早すぎる引退となってしまったのが残念です。
ちょうど95年の1月頃にイタリアにサッカー観戦に行き、ミラノでACミランの試合も観たのですが、
ファン・バステンはリハビリ中で、そのまま同年に引退となりました(>_<)。
自分も部活動をしていたときは度重なる両足首のねん挫に悩まされ、ねん挫癖がついてしまいましたが、
自分の場合は単なるウォーミングアップ不足ですね(^_^;)。
そして、オランダトリオの中でも中心的な存在だったのがルート・フリットでした。
ドレッドヘアをなびかせ、とてもサッカー選手とは思えない風貌の選手です。

恵まれた体格、スピード、パワー、テクニックを活かした躍動感溢れるダイナミックなプレー、
とにかく規格外なプレーヤーでした。
当時の世界最高の選手と言えばディエゴ・マラドーナでしたが、マラドーナと並び立つ存在が
フリットでした。

当時と比べて、よりスピードとフィジカルが求められる現代サッカーにおいても
フリットのような選手はいないのではないでしょうか。ホント、規格外です!
フリットが履いていた、当時まだ日本ではレアなlotto社のスパイクに憧れて、
サッカー雑誌の後ろに掲載されている通販ショップでフリットモデルのスパイクを買って
よく履いたものでした(^_^)。
そして、オランダトリオの中でポジション的には前述の2人ほど目立たない守備的MFが
フランク・ライカールトでした。
前述の2人が派手な分、目立たない印象ですが、チーム戦術においても重要なキーマンでしたね。
3人の中では最も長く活躍し、安定したパフォーマンスだったように思います。

余談ですが高校のとき、1年先輩たちと仲がよく、なぜか自分がライカールトに似ているということで
ときどきふざけてライカールトと呼ばれてましたね(^_^;)。
ほんの少しだけですが濃い顔と、上背もあり、また部活で日焼けして真っ黒になってたせいですかね。
いま振り返ってみると、まぁ~なるほどというか、分からないでもないんですがね(^_^;)。
高校生のときがやはり最もサッカーに夢中になり、ヨーロッパサッカーに憧れた頃で、
当時、欧州サッカーの頂点だった80年代後半から90年代初頭にかけてのACミランとオランダトリオは
自分の中でも未だに一番ですね。
この3人はオランダ代表でも活躍し、88年の欧州選手権(現ユーロ)でも優勝しました。

そのときの決勝でのファン・バステンのボレーシュートは伝説のゴールとして記憶されています。
そしてほぼ同じ頃、ミランとは別に、記憶に残るプレーヤーとチームがいます。
現在、名古屋グランパスの監督であるドラガン・ストイコビッチと旧ユーゴスラビア代表です。

90年のイタリアワールドカップで初めてストイコビッチとユーゴスラビアのサッカーを観ましたが、
とても印象的でした。アルゼンチン戦では、ストイコビッチはマラドーナ以上の輝きを見せました。
当時ヨーロッパには珍しく、個人技とファンタジー溢れるサッカーを展開し、東欧のブラジルと
呼ばれていましたね。
ただ、ストイコビッチと旧ユーゴスラビア代表には、どうしても悲しい運命を重ねて観ずにはいられません。
当時あれほどまでに国家と民族間の争いに翻弄された選手とチームはいないのではないかと思います。
92年の欧州選手権では、最後まで政治的問題と民族紛争に揺れながら、開催地に到着した矢先に
大会出場を許されなくなり、かつ4年間の国際試合の禁止などが課せられました。
当時のユーゴスラビア代表にはストイコビッチの他にも、デヤン・サビチェビッチやズボニミール・ボバンなど
タレント揃いで、いずれも好きな選手だったのでとても残念でした。
それ以上に、民族紛争の最中で代表選手として活動したり、あるいはその後、選手としてのピーク時に
国際試合の禁止などと、どういう気持ちだったかを推し量ると(推し量ることはできませんが)、
いたたまれない心境です。
そしてユーゴスラビア代表の最後の監督が日本でも指揮をとったイビチャ・オシム監督でした。
以下のページで旧ユーゴスラビアのことが書かれています。
今読んでも涙が出そうになってしまいます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/サッカーユーゴスラビア代表
それでもストイコビッチをはじめとしたキラ星のごとく集まった旧ユーゴ代表のタレントたちには
本当に魅了されましたね。
さて、次は自分のサッカーの一つの時代が終わったなと感じたプレーヤーたちです。
それはやはり自分が子供の頃から年を重ねて、その同時期にリアルタイムで観てきたプレーヤーたちですね。
そういう選手が引退したときには、なんとも言えない寂しさを感じますね。
先ずはロベルト・バッジョです。

特別好きだったというわけではありませんが、いつも応援したくなるというプレーヤーでした。
稀代のファンタジスタと言われるだけのプレーを随所に見せてくれましたね。
サポーターにはもの凄く愛された一方で、歴代の監督からは不遇な扱いを受けていた印象が強いです。
イタリアの戦術やフィジカル重視のサッカーにはファンタジスタの居場所がないんですかね。
94年のアメリカワールドカップの決勝で最後PKを外してしまい、優勝が決まり歓喜に沸く
ブラジルチームの横で、うつむいていたバッジョの姿は印象的でした。
ファンタジスタを必要としない監督と常に戦いながら、それでいてチームの窮地を幾度となく
救ってきましたよね。バッジョほど国民やサポーターに愛された選手はいないんじゃないですかね。
次はジネディーヌ・ジダンです。

まだ最近の部類ですが、ジダンが引退したときも寂しかったですね。
特に終わり方が終わり方だっただけに。ワールドカップ決勝で頭突きかまして退場。。。
これが最後ですもんね。
ドイツ大会の前に既に引退を表明していましたし、なんとかワールドカップを花道にって願っていました。
すると、老兵は未だ衰えずどころか、当時全盛期のロナウジーニョやカカなど多くのタレントを抱えた
ブラジルとの試合でも、主役はジダンでしたね。
まだまだ世界最高のプレーヤーはジダンであることを証明したと思います。
別の意味でジダンの大会となってしまいましたが、やはりトロフィーを掲げてもらいたかったです。
退場の際にトロフィーの横を通って下がっていく姿は切ないものがありましたね。
現在の世界最高のプレーヤーはメッシで異論はないですが、ジダンもまた史上最高の選手の一人ですね。
そしてもう一人がパオロ・マルディーニです。

ACミランのバンディエラ(象徴)であり、まさに偉大なるキャプテンでしたね。イタリア代表においても。
自分が高校生の頃から見てきた選手で、ミラノでもサインをもらったのを覚えています。
アルマーニがモデルとしてラブコールを送り続けていたそうで、さすがに男前でしたよ。
全てのサッカー選手にとっての模範であり、多くのサッカー選手が尊敬する選手と言われてましたね。
抜群のキャプテンシーとリーダーシップを発揮して、個性の強いスター軍団を統率していました。
そして最後は、今なお現役で頑張っているこの選手です。
ユヴェントスのアレッサンドロ・デル・ピエロです。

プラティニからバッジョへ受け継がれたユヴェントスの10番の系譜。
それを引き継いだのがまだ若きデル・ピエロでした。
この選手もまたトリノで見ました。ちょうどユヴェントスでデビューした頃ですね。
それから約20年もユヴェントスのバンディエラとしてプレーしてきました。
(ちなみにジダンもユヴェントスでデル・ピエロと一緒にプレーしてましたね。)
今シーズンでユヴェントスを退団することが決定しているようですが、まだまだ頑張ってもらいたいです。
こう振り返ってみるとやはり自分はセリエA(イタリアリーグ)を見ながら年を重ねてきたんだなぁと
思いますね。
他にも思い入れのある選手がたくさんいますが、このへんにしておきたいと思います。
ほんと選手紹介みたいになって長々と書きましたがおつきあい有難うございます(^_^)。