そうこうしている内に、一週間が経ち最終勤務日…爆  笑


皆さんから激励もして頂き、後任の責任者も全スタッフに紹介し今後のことについても話し、全てを駆け足だったが終らせた。

最後に上司に挨拶滝汗
「今までありがとうございました。では明日から有給消化をさせてもらいます。〇日が最終日になります」と伝えた。
 

すると上司は「本当に人騒がせだったな!お前のおかげで俺のエリアがめちゃくちゃになった」と言われた。
マジで知らねぇし…ムキー

と心の中で覆いながら「私がいなくなったら後任の〇〇さんがやってくれますよ。」と後任にぶん投げてみた。
後任の人は、責任者を今までもしていたが問題がある人だったニヤリ

まぁ、癖が強いというか…ニヤリ
ということだったので、さっさと引継ぎをして有給消化に入る予定でいた口笛
何かあったら連絡するといわれたので、携帯の電話帳で対象者はサイレント状態口笛

かかってきても知らねぇ!!という状況にしておいたzzz
案の定、怒涛の着信があったが知らんぷり

聞きたいことがあれば引継ぎできちんと聞かなかった君たちがいけないんだぞ!と思い有給に突中!
と言っても、有給休暇中は次の仕事先に赴き始業前のオリエンテーション!

役職での勤務だったので詳細の説明を受けたり、引っ越しが必要だった為、住居を移す段取りと引っ越し業者との打ち合わせなどなど、その間も、上層部の方々にも挨拶をきちんとし、上層部には次に行くところをごく一部の人には連絡した。
上層部の方々に言われたのは「上司がポンコツだったな」でした。

ただ、それを俺の上司にしたの上層部ですよね…でした。
まぁ、どこに行ってもこういうことはあるよねって思い、ポンコツ上司についてはこのタイミングで完全におさらばでした。
 

そして新天地へ!!

 

実はこの上層部の方、今回の俺の仕事ボリュームを全部把握してくれている方。

 

コロナ禍に突入するときには連絡を取り合い、店舗貸し出しするときには、一番に駆けつけてくれて一緒に苦楽を共にしてくれた方。

 

上司はこの上層部の方に何としても説得をしてもらう予定なのだろう。

 

2時間後…上層部到着。

 

上司・上層部・自分の面談開始。

 

ただ、この面談が非常に短かった。

 

上層部の方から「〇〇、勤務難しいか?」と言われ、今までの体調面の話をした。

 

すると「そうか、残念だが仕方がない。お前がそこまで言うってことは腹くくってるってことだな」と…

 

はい、終了。

 

そのあとは上層部の方と今までの苦楽を話談笑。

 

上司は目を点にして談笑終了の際には「これからどうしますか、店舗運営に穴が空きました」といかにも責任を上層部に投げようとしたが、「それを考えるのがお前の仕事だろう!しっかり仕事をしろ!」と一喝。

 

秒殺で上司撃沈。

 

そして、ぶつぶつ「人がいない、責任者なんて今からなんて補填出来ない」と言っていました。

 

そこに追い打ちをかけて、「来月の〇日に辞めるので、有給消化をします。

 

1週間後には有給消化に入りますのでそれまでに次の責任者に引継ぎをしたいので選任をお願い致します。」と言ってやった。

 

上司顔面蒼白…

 

正直1日、2日で引き継げる量ではないからだ!

 

正直一週間でも足りない量です。

 

その日から上司の徹夜作業が始まりました。

 

強引な人事異動。

 

自分が辞めることで他のスタッフも辞める人が出始めるという地獄絵図。

 

数日経過してから、選任者が決まったという連絡が入り、引継ぎが始まった。

 

朝から晩まで丸4日に凝縮した引継ぎ内容を提示。

 

次期責任者に全て引き継いだが、全体の1割も理解はしていないだろう…

 

数店舗の施設状況、人間関係、シフト状況、自店舗のコロナ明けの回復作業、患者・医師の退去日程調整、店舗の現状復帰、正直簡単に書いただけでも一人の責任者が出来るボリュームを超えている。

 

一日にこれがすべて同時進行で行われる。

 

会議だけでも一日数回。

 

メールでのやり取り、ネット会議などなど…

 

上司は〇〇が今までやっていたことだから時期責任者の君にならできると言ったらしいが…

 

数か月後にたまたま聞いた話では、とんでもないことになったようで…

 

まぁ、しょうがないよね!

 

今このタイミングでも大炎上中らしいのでそれは自業自得ってやつですね!

でも、ただ辞めるだけならこいつには何もつらい思いをさせてやれないな!と思い、辞めると決めてからも転職先を入念に調べた。

 

面接も何社も受けた。

 

折角、次に入るなら今いるところよりもいいところに入ってこいつらを見返してやろう!と思った。

 

自身の憎悪という気持ちを必死に抑え、就職先を見つけ転職先の内定通知をもらい…

 

さぁ、準備は整った。

 

そして辞める予定の一カ月前にむかつく上司にメールにて連絡。

 

当然ブチギレて当時兼務していた店舗にやってきた。

 

業務中なのに…

 

「ちょっといいか」と会議室へ呼び出し。

 

第一声は「メールで送ってくるなんて非常識じゃないか!?」でした。

 

マジでどうでもいい第一声でした。

 

そのあと「どうした?」でした。

 

正直「どうした?じゃねぇよ」でしたが、ぐっと堪えて「体調が芳しくなく、医師とも相談した結果体と心を休ませることを優先する為、退職させてください」とあえて拗れないように正当な退職理由を突き付けた。

 

すると「でもそんなに仕事のボリューム無いだろう?もし、辛ければ一日ゆっくり休んで…」と、言ってきた。

 

まったく意味が分からなかった。仕事ボリュームが無い?はぁぁぁ??マジでこいつカス。

 

こういう奴は人が死んで初めて謝るタイプだ。と思った。

 

糞だ。

 

そのあと、「今の業務はどうするんだ?誰もお前の業務は出来ないんだぞ!」と…。

 

いよいよ本音が出ましたね!

 

この言葉を待ってました。

 

俺しか出来ない業務を俺だけにさせておいて、「暇」そうに見えたんだよな!?と心の中で思い、再び憎悪を湧きたてさせる。

 

そして、「私も会社の役に立ちたい一心でしたが、医師からも一度完全に仕事から離れて心身ともに整える必要があるといわれていまして、これ以上体に負荷をかけると心身が壊れてしまう恐れがあるので会社にご迷惑をかけるわけにいかないので」と、更に正当な理由を突き付けた。

 

すると、上司が「ちょっと待ってろ」とおもむろにTEL。

 

少し経ってTELが終わると上司が「2時間時間をくれ、上層部が来て話をするから」と。

 

 

転職先はホテル系に。

転職先の上司と話し合いの末、当面の間は異動など無いし、ある程度安定した収入を得られることが分かった。

ただ、半年したところでいきなり異動。

まぁ、近くの異動だったので想定内だった。

そこで5年近く働き役職を頂きある程度の地位まであがることに。

順風満帆に行くかと思いきや、この時コロナが流行り始め、事態は一変。

 

収入面での問題はなかったのだが、自身の管理しているホテルをコロナ患者の方々に貸すことに。

コロナ発生当時は、ニュースで石を投げられたりなどを見ていたのでびくびくしながら日々過ごしてきました。

ただ、私自身は「これは世界中で起きていることだからしょうがないこと、患者さんたちは悪くない」と割り切って業務にあたっていました。

医師の方々も懸命に働いているところも目の当たりにして、改めて人の命って大事だなと痛感。

私自身もコロナ期間中は、24時間いつでも呼び出される状態が続き、心身が不安定に。

不眠症・動悸が重なり、体調が優れない日々が続き、妻にも「仕事変えれないの?」と心配させてしまう。

しかし、この安定した生活を続けるためにはこの状況も堪えないとと思い、踏ん張ってみたもののやはり体は正直でした。

 

無理がすべて体に出てくるようになり、精神面だけで乗り切れなくなってきました。

特に動悸がひどく、息切れや、目眩、とどめが倒れてしまい、いよいよどうしようも無くなってしまいました。

自分の中では「役職者という肩書があるから無理してでも」という気でいましたが、家族が見ていられないと逆に悲鳴を上げてしまいました。

正直、その悲鳴が嬉しかった。心配されたことが自分の中で安堵に変わったから…

 

一応上司に状況を伝えたが、「まぁ、自己管理をしっかりしろよ。いないとこっちが困るんだ」だった。

一見頼られているなって思うかもしれませんが、コロナが収束しだし、本格稼働をする中で人員がいない為、そのための兵隊が欲しいというのが見え見えでした。

それは役職者として必要な面もありますが、ここで辞められると上司自身の評価が著しく下がるということも言葉の中から感じることが出来ました。

正直今回の面談で思ったことは、本当に必要としているなんて相当なことが無い限りは無い。

結局は自身の保身の為、自身がその上の上司、上層部にどうみられるかということをヒシヒシと感じました。

 

そして今回よく分かったことは、俺自身の体が自分が気付かない内に相当ボロボロになっていたこと。

健康診断の結果がオール要精密検査。

これはマジでヤバかった。

そして特に酷かったのは、動悸、血糖値、血圧。正直これ聞いたときに、今の仕事よりも自身の命の方が大事!となった。

誰でもこういう判断になると思います。

異常値の出方がヤバかった。

当時は自店舗スタッフの多店舗への支援の為の長距離の運転、自身の店舗の運営・管理、他店舗の兼務運営・管理、自店舗・多店舗のシフト作成・人員管理、コロナ禍明けの店舗通常開店の為の人員確保などがありました。

特に自店舗の管理は地獄でした。

通常だと業者さんにお願いすることを自分一人で行わないといけなかった事でした。

さっき書いた通常の業務以外に、店舗周辺の草刈り、雪が降れば店舗駐車場の雪かき、コロナが2類から5類になるにあたりどのタイミングで患者さんや医師の方々が退館されるか、また通常運転させるためにどのタイミングで物品の搬入をするのか、などなど調整が必要になっていた。

 

兎に角、日々頭の中がこのことで一杯になっていた。

当然、こういう期間内でのシフトを組んでいるのでスタッフのストレスもたまってくる。

それもケアしないといけない。

スタッフ間のいざこざも出てくる。

そこにも介入して仲裁しないといけない。

そういうことを日々していたが、直属の上司から言われた一言が「〇〇君は、自身の店舗貸し出してるから暇だよね」だった。

 

この一言が、俺のピリピリして張りつめていた糸を一刀両断してくれた。

その瞬間「こいつ、何もわかっていない、ここ辞めよう。」という結論に一瞬でたどり着いた。

正直コロナ初めの頃の世間の風当たりの悪さや風評なども知っているにも関わらず全従業員の中で一番その得体の知れない危険な領域で仕事をしている人に直属の上司がかける言葉ではなかったと今でも思っています。

当時のコロナの殺傷力は恐ろしく、自身の店舗に入る前に自身に何かあった場合のことを妻に伝える為、自分が居なくなった場合っていう手紙を書いて持ち歩いていました。

最初は感染したら死ぬかもしれないといわれていたのに…

それほど危機感を持ちながら生活・仕事をしていました。

 

こういう仕事をしていて私自身特別手当的なものがあったわけでなく通常の給与だけでこういうことをしていた。

私自身少しでも力になれればと思い…

自分の店舗のスタッフが誰も欠けることなく店舗の通常運転時に全員で協力して盛り立てていければと思って、こういう機会は中々ないからいい経験をさせてもらっていると前向きにとらえて仕事していたのに…

それが「暇」という言葉を出す上司にマジで切れた。

キレても本人には言葉では一切言っていません。

心の中で憎悪と虚無感が出ました。

この「暇」という言葉は人としても上司としても言ってはいけない一言でした。

我慢の限界でした。
 

転職先は、保険関係の営業でした。

上司の方々、同僚の方々は非常に言い方ばかりだった。

何も分からない自分に1からしっかり教えてもらった。

自分自身の人格も肯定してもらえた。

ここでここで拾ってもらったことをしっかり恩返ししようと、仕事に慢心。

 

ただ、仕事をしている中で一つ気がかりだったことが…

それは給与面。

 

100%出来高報酬だったため、収入が安定しないのだ。

ただ、波はあったが、なんとか生活できていた。

 

そんな時期に、彼女と同棲することに。

実際仕事を始めてから給与明細をよく見ていた。

なぜなら収入の波が相当あったからだ。

いい時は普通のサラリーマンよりもいいが、悪い時には学生の小遣いくらいだった。

その為、今後のことを考えたときにあまりにもリスクが高く、相手もいることだったので安定した収入を稼げるところに移ろうと、再々転職を決意。

 

この時には円満で転職をすることに。

精神的にどうこうは無く、今後のことを考えて地に足をしっかりつける必要があったからだ。
 

そして、今でも不思議だったのが一番お金の無いタイミングで、彼女にプロポーズ。

離婚をしていること、お金が無いこと、今まで自分のしたことをすべて打ち明け、プロポーズした。

でも今妻にそれを言うと「私プロポーズ受けてない。あれプロポーズだったの?」なんて言われてます。

 

正直なところプロボーズの勝算は無かった。

「マジこいつ無理!」と思われれる可能性は普通に考えればそうなるだろう。

引かれる、軽蔑される、そういうことまで考えてのプロポーズだった。

0か100かの2択だったので、緊張よりもビビってました。

 

ダメになることを前提としてだった。

ただ、彼女はOKを出してくれた。

泣きました。

こんな屑みたいな人間を伴侶として認めてくれるのか…と。

感謝しかありません。

それから彼女と話し合い、今の生活を一変するべく転職。

この転職は正直時間がかかりました。

ただ、失敗するわけにはいかない、自分一人ではないから!と、相当数の面接と待遇面を確認。そして、転職。

再就職先は、旅行系の営業することがメインだったので強制的に人との繋がりが大事になってきた。

時にはお客様と旅行先に同行することも、時には学生さんの修学旅行についてくことも。

そして、人の温かみを体感することに。

ありがたいことに仕事を少しずつもらいまわしていけるようになった。

大きなイベントなども手伝い程度ではあるがやれるようになった。

その間、上司が3回も変更になって3回目の上司の強烈なパワハラで数人が辞めていく中、自分もパワハラの対象になり、上司は感情が高ぶると俺のデスクの書類などを全部床に叩き落し、俺が提案書を提出した時にはゴミ箱に捨てたりと、色々あったが先輩方がとてもいい方々だったので仕事に慢心していました。

 

しかし、その先輩達もパワハラ対象になり強制部署異動…

愚痴る相手もいない、周りのスタッフの顔も暗く職場全体が大きな影を落とした状態になっていました。

睡眠時間も数時間。

始発で出社、終電で帰宅の日々。

休日出勤も当たり前、結果が出ないと「会社に帰ってくるな」と当時の上司からは言われ続け自身が再び精神的にやられるのが分かりました。

再就職から5年このままでは心が折れる…

そうなると立て直すまでに相当な時間を要する…

実家に迷惑をかけれないと思い、仕事の合間に転職先を見つけ再転職。

 

この時期、仕事で出会った方と意気投合、ありがたいことに付き合うことに。
 

実家に帰り、親の監視下に置かれるようになり、初めての食事。

一口食べた瞬間何故か号泣したのを覚えています。

悔やんでも悔やみきれない瞬間でした。

「自分は人を傷つける、家庭を持つことなんて出来ない、人を幸せにするなんて出来ない」と思いました。

当然、元請けの人たちとの飲みの付き合いも無くし、当時の職場の人たちのとの交流もなくし、小中高の友達とも自ら疎遠に。

家族以外の人と交流を一切持たないようにした。

ただ、どん底に堕ちた自分を拾ってくれた家族にこれ以上迷惑かけれないと思い、再就職を決意。

人と関わることをやめてしまった自分が出来る仕事は…と思い、仕事を探した。

面接をいくつかしたが人と関わらない生活をしていたので人と話した時の感触が全く分からない状況が続いた。

正直面接を通じて人の感情を勉強させてもらった。

そして再就職先が決まった。
 

しかし今度は3年の出向という長期間。

社内で1名程いた社員の中で3名選ばれた。

それぞれがそれぞれの役割があり、エンジニア、プログラマー、そして俺…全く意味が分からず…

何故俺がこのここにいるのか?

社長室に呼ばれ「君たちの力を発揮して是非頑張ってほしい」と…「何を頑張れと??」全く意味の分からないエールを送られ出向することに…

スタッフからも「大変だな」なんて気持ちの入っていない言葉を頂き3年の出向をすることに!

家族に話をしたら、意外と喜んでいた。祖父は就職直後に他界していたのでお墓に手を合わせ報告。多分喜んでくれたのだろう。

祖父の足元にも及ばないけど同じ会社にいることで何か一体感が生まれました。

気持ちが自然と前向きになったのを覚えています。

そして今回の出向は自分の人生に大きな影響を与えてくれた出向でした。

大きな影響は、当時付き合っていた彼女との結婚です。給料が低く中々貯金が出来ていなかったですが、出向をすることになり少しずつですが貯金ができるようになって、貯金額は全然貯まっていなかったが「結婚」を意識することが出来、結婚式までこぎつけることが出来た。

人生で初めての大舞台でした。

そして仕事の仕方。仲間の作り方(いい仲間・悪い仲間の作り方)。

それが、出向の3年間で自分が経験し学んだことでした。初めて仕事の仲間っていいなと思った瞬間でした。

ただこのあと自身の身勝手で悲劇が起こることはこの時知る由もありませんでした。

結婚をして生活がスタートしました。

アパートも借り、決して贅沢な生活ではありませんが、共働きをしていたのでそれなりの生活が出来るように…

独身の時と違い一緒に生活する相手がいること、実家での家族との会話とはまた違った話が出来ることに新鮮さを見出し順調に生活が進みだしました。

仕事も順調に回ってきた頃、同僚が今後の仕事にも関わりがあるからと先輩を紹介してくれました。

その人は飲みが非常に好きな人で、仕事の関りがあるから少しでも知っておこうと思い飲みの席に参加をしました。

当時、あまりお酒が強くなかったので飲みの席に対して否定的な感覚を持っていましたが、今後のことを考えれば背に腹は代えられないと思い、思い切っての参加でした。

元々下請けという感覚が十分にあったのでここで元請けの方たちと少しでもいい関係を築くことが出来れば会社にとっても自分にとってもプラスになると思いました。

しかし、この判断がのちに自分自身を破滅に追いやる結果になることになるとは…

会社の人の飲み会、そして元請けとの飲み会となると自身が思っていた飲み会(居酒屋で飲んで遅くに帰る)とギャップがあることに!大人の飲み会でした。

一次会は会社の同僚達もいる(男女いる)為、居酒屋へ。二次会から何グループかに分かれる。カラオケ行く人、飲みなおす人、帰る人、大人のお店へ行く人。

ここで選択をミスった…大人のお店に行くグループに強制加入。

初めて行くことに…

それからデビュー戦を終えたことで社内でも仲間内で飲みに行く際に必ず2次会は大人のお店へ。

ただ、自身は家族もいたので最小限に留めようと努力するも…

行かなかったときの話題の輪に入れないこともあり、徐々に参加を増やす方向に。

正直今思えばそんなこと気にせず家庭を大事にしておけばよかったと思っています。

ただ、当時は、ハラスメントということがあまり公になっていなかったので、自身の意思が弱かったこともあり波に呑まれてしまいました。

そして、飲み会が無い場合も少しでも仲間に話題を合わせれるように必死でした。

そして友達を誘って大人の店へ。

それを会社の先輩たちに話し更に溶け込むという今思えばバカなことをしておりました。

ただ、この方法しかその時の自分で生き残る方法は無いと思っていました。

しかしこういう生活をしていると自ずと家庭を顧みない方向に進み、夫婦間の意思疎通は無くなっていき家庭崩壊の一途を辿りました。

 

結果離婚。

 

これについては、正直言い訳のしようも無く、自分自身が未熟だったこと、家庭というものを軽く考えていたこと、自身の傲慢さから生まれた結果だと反省をしています。

当然実家から勘当。

 

一人でひっそりアパートを借りなおし生活。そのタイミングで3年の出向から戻り、1年ほど元の部署で働いたのち、営業部へ異動。

独り身で気持ちも落ちていたことから2年ほど働いて、10年以上働いた会社を退職をすることに。

離婚のことに向き合うたびに心が折れ何度命を絶とうか迷いました。

食事も喉を通らず一点を見つめるだけの生活が数カ月続き、勘当した両親が様子を見に来た時には自分の状態をみて号泣し、勘当を取り消しました。

その時の状況はとても人に言えない状況でした。

精神が壊れた状況だったとでも書いておきましょう。

あの時両親が様子を見ていなかったら多分今ここにはいなかったでしょう。

一つの選択のミスが何もかも失いどうしようもない状況にしてしまった結果でした。

 

しかし、いざ仕事をしてみると工場勤務ということもあり、非常に苦労をしました。

工場にいたおじさん達は職人気質な為、「仕事っていうのは見て盗むものだ!」という昔の考え方を持っている方々だけで、同僚も理系出身という事も有り「なんでそんなことも分からないの!?」「ふざけてるの!?」「その程度で給料もらうなよ」「マジで辞めれば?」と毎日罵倒の日々…

毎日仕事が終わるとフラフラになり、気絶するように寝ていました、心の中では「あいつらマジでふざけるなよ!」と思いながら、日々過ごしていました。

その中で、人間観察をすることも欠かさず行っていたので、何を次に聞かれるか、どういうことを求められているのかを察することができるようになり、工場の人たちは群れていつもいることが分かってきた。

会社は組織なので群れることは悪くないが、工場の人たちの群れはそういう群れではなく「仲のいい人同士が集まる・趣味が合う人たちが集まる」環境でした。

主にギャンブル系「パチンコ・スロット」「競馬・競輪」でした。

何故工場勤務で給料の低い人たちがこれだけギャンブルが出来たのか分かりませんが、当時は休憩所に行けばその話題ばかり。

自分は給料が低く当然ギャンブルに手を出すことが出来ず話題についていけない状況。

もともとギャンブル運が無いのでやったとしてもただドブに捨てるだけですがね!

そんなことで全然話題についていけず…

その中でも年数を重ねてくると、後輩もでき仕事を教える機会も増え先輩たちとも仕事の話をするようになってきた。

今思えばそこまで行くのが本当に地獄でした。

 

そして、先輩たちと話が出来るようになったきっかけが、元請け企業への出向。もともと同僚や先輩たちと話がまともに出来なかった自分が行くことになり、先輩達も行くことに。

ただ、元請けなので下請けのメンバーの自由があるわけは無く、時間で縛られ休憩も最低限、自分はもともとこういう生活を入社してからしていたので苦にはならず過ごしていたのですが、自由に休憩を取り同僚と好き放題ギャンブルの話で盛り上がっていた彼らには居心地が悪い環境だったようで、顔を合わせるたびに元請けの愚痴ばかり…

「これだからでかい企業は」や「こき使いやがって」など…

別にこき使っていうようにも感じていなかったので正直意味が分かりませんでした。

そういう環境が半年続き、その中でも先輩達や職人さんたちから解放された自分はゆっくりですが仕事を進めていました。

 

すると、入社して1年経過したところで出向先からの帰還になり、会社へ戻ると部署異動の話がでました。

正直それを聞いた瞬間「やっぱり俺は使えないやつだったのか」「迷惑だったんだな」とマイナス面しか出てきませんでした。

しかし後から知ったのですが、もともと上の人たちは自分を工場で長期間勤務させるつもりが無く、元請けの人たちとのコミュニケーションが円滑だったことから次のプロジェクトに参加してもらうために、部署異動して能力をつけてもらう算段だったようでした。

そんなことはつゆ知らず。部署異動先でも「周りの人たちは俺を使えない奴」「お荷物君」という目で見ているんだろうな…と思って更に半年過ごしていました。

その時に自分に就いた上司が本当に嫌味しか言わない上司で「そんなことも知らないの!?」「常識だよ!」「言っている意味が分からい」「で、なに?」をどんな質問や意見に対してもいうとんでもない奴でした。

その中でも、仕事をして給料を稼いで彼女との将来を考えないと思い、兎に角仕事に没頭。

この時には部署異動先が群れを好まない部署だったのでそこは解放されましたが、上司からの叱責が一日6時間くらいあり、周りのスタッフからも「大丈夫?」「あれは無いよね」と同情の声がかかるくらい…

そうこうしている内に再び出向の話が…

当時自分には学生時代から付き合っていた方がいて将来結婚を視野に入れていたウインク

彼女が年上だった為、結婚適齢期ということをよく気にしていたキョロキョロ

自分もその声に答えるべく仕事に精を出していたあせる

就職して間もなかったことや地元での就職ということもあり給料も本当に微々たるものでしたが、

少しでも彼女が幸せに一緒にいてくれるようにと一生懸命貯金をして彼女とドライブをする為に車を買いました車

 

今までバイトなどでお金を稼いでも友達とご飯を食べに行くくらいが関の山だったので大金を稼ぐという感覚が無かったので、

車を買ったときには色々な感情が湧きました笑い泣き

そしてお金を貯めることの難しさも実感しました笑い泣き

そうした中、仕事も少しずつですが成果が出てきましたアップ

今思うと若さだけで仕事していたんだと思わされましたね音譜

 

当時はとある田舎の企業に就職をして工場をしていましたチョキ

地元では大きな企業の下請けということで両親に話をしたところ、地元で名の知れた企業の下請けならいいんじゃないかということになり、また祖父・祖母に話したところ祖父がもともとその大手企業に勤めていた為、自分が就職した会社を知っていてとても喜んでくれた音譜

自分もこんなに祖父が喜んでくれるなら頑張ろうと思い、またここで頑張って彼女を幸せにしたいと思い仕事に没頭した目

正直自分は文系出身なので工場勤務は正直大きな抵抗があったが、就職氷河期ということもあり正直仕事を選んでられなかったニヤ

 

あの時は、就職できれば「御の字」ビックリマーク

企業が人を選ぶ時代…汗

友達も50社受けても内定がもらえないなんてこともあったあせる

そんな状況を知っていたので内定を出してもらえたことでも感謝をしてたのだ音譜
しかし、いざ仕事をしてみると…びっくり