1987年(昭和62年)度・落穂寮の学習発表会。 | Rosen Konig ローゼンケーニッヒ

Rosen Konig ローゼンケーニッヒ

ブログタイトルは、シンボリクリスエスと、ローズバドの仔である、サラブレッドのローゼンケーニッヒ(ドイツ語で、薔薇(バラ)の王という意味・牡・毛色・黒鹿毛)に由来しています。

ぼくが、短期入所していた時の、1987年3月2日・滋賀県・甲賀郡・石部町・大字東寺217(2006年に隣の甲西町と合併し、湖南市の一部となる。)の、社会福祉法人・椎の木会・落穂寮 ホールで、学習発表会が行われ、A棟・B棟・C棟の寮生たちが、練習を重ねてきた、劇などを披露しました。

落穂の子に混ざって、京都の子であった、当時・中学生のぼくは、劇に出演して披露しました。

開会式では、社会福祉法人・椎の木会・落穂寮 寮長・増田正司先生(東京出身で、その後・社会福祉法人・椎の木会の理事長先生へ転身され、2013年の理事長先生退任後は、悠々自適の生活を送ったが、先日・96歳で逝去されました。)のあいさつの後、劇を中心に、踊りを楽しみました。

あっとゆう間の、学習発表会でしたが、劇に出演された、演出の本田憲生先生(A棟・指導員・30年前に、49歳で逝去されました。)や、ひのきの山下 陽一先生(その後・社会福祉法人・椎の木会・落穂寮の寮長先生を務められ、現在は、椎の木会の理事長先生をされております。)も、出演した、学習発表会も、無事に終了しました。

会場だった、落穂寮のホールも、同寮のA棟・B棟・C棟・食堂・浴室と共に、1970年の大津市・南郷からの移転から、18年が経ち、建物の老朽化が進んだことから、建て替えられ、同時に男子寮と女子寮に分かれた様で、同時に食堂・浴室・ホールも新しく建て替えらたとの事です。

この間・社会福祉法人・椎の木会・落穂寮も、児童福祉施設から成人福祉施設に転換されており、定員も一杯のため、新規寮生募集(永久入所/短期入所)も中止しており、入れてもらうことが出来なくなっているとのことです。

学習発表会が終了してから数週間後の、25日には、学習発表会と同じ落穂寮のホールを使用して、寮生の利用者帰省式が行われ、A棟・B棟・C棟に過ごしている寮生たちが、4月からの、利用者帰寮式までに、落穂寮に戻って落穂寮の子(落穂の子)として再会し、生活を共にすることを願って、県内の各地に帰省して行くのです。

ぼくは、京都の子であり、三雲養護学校に通っているA棟の子とは異なり、4月から、京都市西京区にある、京都市立西養護学校(現・京都市立西総合支援学校)・高等部に進学しに通うことになっていて、入学式の準備の都合から、A棟を明け渡しし、落穂寮を退寮することになり、本田憲生先生・大橋貞子保母(当時)などに別れを告げ、車で短期入所をしてきた、社会福祉法人 椎の木会・落穂寮を後に、国道1号線・9号線経由で、同市・西京区・大原野東竹の里町3丁目3番地・京都市営住宅 75棟101号室の自宅へ帰路途につきました。

1987年当時・落穂寮に短期で入所していた、ぼくも、現在・48歳と40代~50代の年齢になっており、1990年4月から、社会福祉法人・京都障害児福祉協会(現・京都総合福祉協会)の、洛西ふれあいの里授産園(同・京都市 洛西ふれあいの里授産園)に入園し、陶芸班(→陶芸工房)に勤務していて、令和時代の現在も、手ひねり轆轤・絵付けを中心に、活躍中で有り、風邪(喉の痛み)と戦いながら、作業に取り組んでおり、今後とも、落穂寮で過ごした短期入所でえた頑張りを洛西ふれあいの里授産園での作業に生かして取り組みたいと想い、願っております。