第1回・安田賞(現・安田記念)の優勝馬・イツセイ(Issei) | Rosen Konig ローゼンケーニッヒ

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ブログタイトルは、シンボリクリスエスと、ローズバドの仔である、サラブレッドのローゼンケーニッヒ(ドイツ語で、薔薇(バラ)の王という意味・牡・毛色・黒鹿毛)に由来しています。

1950年(昭和25年)に死去した、イギリス産馬で種牡馬として日本で繋養生活を送った、セフト(Theft)には、ハヤタケ・ミスセフト(Miss Theft)・スイィースー・トキノミノルなど、日本競馬会(現・日本中央競馬会)・国営競馬などで、競走馬として活躍したサラブレッドが北海道・浦河町などで生産され、後の日本競馬に大きな影響を与えるなどとして改良を重ね足跡を残しました。

 

1951年7月1日に東京競馬場の芝1600mで施行された、第1回・安田賞(現・安田記念)の初代優勝馬・イツセイ(Issei・母・レボアモンド)も、セフト(Theft)の産駒の1頭です。

1948年(昭和23年) 北海道・浦河郡・浦河町の鎌田三郎氏の牧場で生産された、イツセイ(Issei・母・レボアモンド)は、岩崎利明氏の所有馬として、東京競馬場(当時)の尾形 藤吉氏(尾形 充弘氏の父)の厩舎に入厩し、1950年(昭和25年)11月5日の未出走戦(現・未勝利戦 東京競馬場)で1着となりデビューを果たしました。

その後・2戦して2勝を挙げたが、12月10日に中山競馬場で行われた、朝日杯3歳ステークス(現・朝日杯フューチュリティステークス)では、同じセフト(Theft)を父に持つ、トキノミノル(旧馬名・パーフェクト)に4馬身差をつけられて2着になり初の敗戦を帰しています。

 

1951年(昭和26年)・4歳になった、イツセイ(Issei)は、3月18日に中山競馬場で行われた、4歳A特別・1着となり、これ以降は保田 隆芳騎手が主戦騎手として騎乗するが、皐月賞・東京優駿(日本ダービー)でも、トキノミノルの2着に甘んじる結果となりました。

ところが、1951年(昭和26年)6月20日・第1回・安田賞(現・安田記念)出走前になり、同じく、セフト(Theft)を父に持つ、トキノミノルが、破傷風という病気の為 牡・4歳で急逝されたので、東京優駿・2着馬のイツセイ(Issei)を出走させることにし、同年7月1日に東京競馬場で行われた、第1回・安田賞(現・安田記念)にイツセイ(Issei)を出走させました。

イツセイ(Issei)は、1分38秒0のレコードタイムで優勝、68年の歴史を誇る第1回・安田賞(現・安田記念)の初代優勝馬に輝きました。

 

その後・イツセイ(Issei)は、同世代のミツハタ・トラックオーとライバル争いで戦いながら、競争馬として活躍し、1952年(昭和27年)に現役を引退するまで、競争生活を送りました。

 

1953年(昭和28年)から、種牡馬として北海道で繋養生活を開始した、イツセイ(Issei)は、タイセイホープ・イリュウの産駒を輩出し、死没は不明でしたが亡くなるまで、32戦21勝の成績を残した、イツセイ(Issei)は、第2の馬生を送りました。