続きです。
前回の記事を先にご覧いただけるとありがたいです↓
https://ameblo.jp/bounofuminori/entry-12462260982.html
差した光に、うすい笑みを浮かべながら、僕は担当者さんにたずねたんです。
房野「ちなみに、今度の講座ですが、何年生くらいの子が一番多いんでしょう?」
担当者さん「んー、、そうですね。募集してみないとわからないんですが、おそらく一番多いのは3年生です。そこに、2年生や1年生もまざる、って感じだと思います」
終わりました。
少し考えれば想定内でおさまってた事柄です。
勝手に4、5年生という枠を作りあげた自分の首ねっこをつかんで、耳の後ろをペロっとなめてやりたい。
自作自演の想定外ですが、まいりました。
主に3年生……。
そこに1、2年生もまざる……。
まったく読めない……。
この"まったく読めない"という真意はどこにあるのか。
では、"お相手は小学1〜3年生"、と聞いたときの僕の考察を、ウダウダと書き綴りますね。
このブログのゴールは、こんな形になるよ。という予告のような写真。
まず、
1〜3年生と、4〜6年生で、かなり違う。
自分の子どものいない僕ですが、何度か講演会などで小学生と接するうちに、これを感じました。
ご存知のように、子どもの成長スピードはハンパありません。
38歳と39歳ではほぼ変わりませんが、8歳と9歳じゃけっこう違う。
7歳と10歳なんかになると、もうまるで違います。
で、これはただの感覚です。
僕が受けた印象による、ただの感覚ですが、
3年生と4年生に、なんか境目ある。
科学的根拠もなければ、発育についての知識もゼロに等しい自分。
ですが、接してきた子どもたちの統計から、3年生と4年生の間に、どうやら大きな開きがあって、両学年を比べると、4年生がずいぶん大人なんですよ。
1年生と2年生の開きより、2年生と3年生の開きより、5年生と6年生の開きより、
3年生と4年生の開きが、なんか大きい気がするんです。
(ホントあくまで個人的見解ですよ。9歳から10歳、歳が二桁になるから。みたいな理由も案外存在するのかなぁ。)
そして、この開きはコミュニケーション力に直結します。
こちらの言ってることを受け取ってくれる力が、低学年と高学年じゃ、やはり違ってきますから。
小学生に物事を伝えるのは難しいですが、3年生以下から、その難しさがさらにグレードアップすると思うんです。
(幼い子にコミュニケーション力がないと言ってるわけじゃありません。"大人"という人種の言葉をキャッチするのは、高学年の方が得意な傾向にある。という話です。)
細かい話をすると、そこに男女の差もあります。
注意を促すまでもないと思いますが、これは、どちらの性別が優れているとか劣っているとかの話じゃありません。
そして、大人っぽい方が望ましいとか、子どもっぽいのが悪い、という話でもまったくありません。
ただの事実として、
男の子より女の子の方が、ぜんぜん大人
です。
"おませさん"なんて言葉がありますが、同じ年齢でも、女の子は大人です。
その歳の子たちの文章なんかを見ると、男女の差はそこまでないように思えますが、対面でしゃべるとハッキリ出ます。
「いま一瞬、大人としゃべってるみたいだったな」
と感じるときが、小学校中学年くらいの女の子にはあるんです。
逆に、そのくらいの歳の男の子としゃべると、
「なんて甘えん坊で、調子乗りなんだ……まるで昔の自分を見てるようだ……!」
と感じることの多いこと(愛おしい)。
身体的な男女の成長スピードにも起因してることでしょうが、精神形成も女の子の方が早く、それがより一層、"対人関係"という部分にあらわれてくるのかもしれません。
てか、この差は大人になってもつきまといますもんね。
このブログをご覧になってる女性の方も、
「なんで男という生き物は、ああも子どもっぽいんだ……」
と思ったことは、一度や二度じゃないはずです。
ただ、僕も男ですから、一言言わせていただくと、
「なんで男という生き物は、こうも子どもっぽいんだ……」
という、ジレンマに苛まれながら生きてます。
なので、どうか優しく包み込んで…いや、もう諦めてあげてください。
ヤベ、話それてる。
戻しますと……
上記のことを踏まえて、
3年生以下の子たちに、
しかも"個人のバラつきありあり"であろう子どもたちに、
歴史のおもしろさを伝えるには、
どうすりゃいいんだ?
という話ですよね。
たぶん、小学6年生の教科書に書かれてる戦国時代のことを、なぞるだけならできます。
というか、子どもたちの前に立って、少しだけ声のボリュームを上げれる人なら、誰でもできます。
でも、担当者さんが僕にオファーを出してくれたことを考えると、望んでるのはそうじゃない。
僕も、せっかくやるなら、あった出来事をそのまま投げるなんてことはやりたくない。
戦国という時代があって、このときにこんな人たちがいて、ここでこの人がこれをやったから、次にこんなことが起きて……と、伝えたいのは納得のいく物語。
人物や出来事の裏に潜んだ原因と結果を、僕らの教わった歴史から進歩した最新の研究結果で、この年齢の子たちに届けたい。
そう考えるとやっぱり、
どう伝えりゃいいんだ?
子どもだからと言って、あまりに幼稚な言葉を並べれば、歴史のおもしろさも出来事の重要さも表現できない。
なにより、子ども扱いしてることに子どもは興ざめするでしょう。
自分が小学1〜3年生の頃の薄い記憶をたどると、ガキっぽいことが嫌いで、カッコいいものが好きで、大人の見るバラエティ番組を観てケラケラ笑ってました。
理解できない部分もあったけど、そこは感覚で捉えたり、背伸びしてわかったふりもしてた、というのが、あの頃の自分。
時代は変わっても本質は変わらないのなら、今の子どもたちも僕の幼少期と大差ないでしょう。
かといって、難しい単語や人物名を頻出させれば、それはそれであきる。
「何言ってっかわかんねーよ」と離れていくスピードは、純粋さと比例します。
となると、
バランスが……難しすぎる……。
戦国時代のおもしろさを、本質的に伝えようとすれば、少し難解な部分が出てくる。
でも、わかりやすくしなければ。
しかし、しすぎると味気ない。
いったい……小学校低学年、中学年は、どのくらいのレベルの話だったら、汲み取ってくれるんだろう……?
だから……
まったく読めない……。
ということになったんですね。
しかも、普段僕が大人の方々に向けて使う、たとえも、小学生にはかなりキツイ。
戦国時代を現代に置き換えて話すとき、最適なのは政治や会社です。
やっぱりこれが一番わかりやすいし、偉人のすごさをあらわす尺度としては、もってこいなんです。
会社のたとえなんかは、共感も得やすいですし。
でも、小学生には使えません。
1〜3年生にはキツイとかじゃなく、全学年にちょっと厳しいでしょうね。
うーーーむ……です。
もひとつおまけに付随させると、
「笑いの取り方も変えねーとな問題」
もあります。
今回の特別講座の成功はなにか?
あったり前だけど、それは、
「参加した子どもたちが楽しんでくれる」
これにつきます。
楽しみながら、歴史を学ぶ。
そのためには、やはり笑いというエッセンスが必要不可欠。
多くなくていいが、絶対なきゃダメ。
となると、どうでしょう……。
(なんか、「ドナルド、トランプ」って言ってるみたい。)
大人の方々には通じる、
間の取り方、揶揄、皮肉、自嘲、ブラックジョーク、あえてのくだらなさ、その他もろもろの笑いの種類が、おそらく、
子どもには通用しません。
これも、クリアすべき課題の一つ……。
うーーー………翼の折れたエンジェル。
みんな飛べないエンジェルです。
いや、この場合飛べないのは房野だけ。
↑と、いうようなことを3.2秒くらいの間に思考し、それらすべてを言語化したら、このくらいの分量になった次第です(「翼の折れたエンジェル」だけは、後付けです)。
しかし、ウダウダこんなことを考えた(といっても3.2秒だけですが)、そのすぐあと、おもいっきり思い直しました。
「なにをやっちもねぇ(←岡山弁で『しょうもない』の意)ことを考えてんだ。もうやるべきことは決まってんだろ……!」
そこから、僕の取った行動は……。
つづく。