メモとして。

自分があとで見返せるようにメモとして、ブログに書き留めておきます。



先日、明光キッズ富士見台さんに行ってまいりました。
明光キッズさん←こんな感じ。明光義塾さんがやられてる学童保育です。)

なにをしに?

という話ですが、
子どもたちに歴史の話
をしてきたんです。


本番前、各テーブルの位置を細かく修正する老婆。じゃない、房野。


明光キッズさんでは、これまで特別授業? のような感じで、モデルさんを招いたり、アナウンサーさんを招いたりして、子どもたちに向けての講座を開かれていたとのこと。

その流れで、

「房野さん、子どもたちに歴史の話をしてあげてください!」

と、声をかけていただき、講演をやってきたというわけなんですね。


最初にお話をいただいたときはね、

「うわ! やりてぇ!!!」

と、

「大丈夫…か?」

が、7:3 て感じ。

子どもたちの前で歴史をしゃべれるなんて願ってもない機会です。
自分の本を「子どもたちに読んでほしい」と公言してる房野としては(自分のFacebookやブログでね)、もうメーーチャクチャやりたい!


んですが、


引っかかるのは、"子どもたちだけ"という点。

いや、実際には保護者の方も一緒に受講されるということなので、子どもたちだけではないんですが、それでも対象はお子さんです。
主役は子ども。

子どもにささる内容じゃなければいけません。


僕はこれまで、講演、講座、と名のつくものを何度かやらせていただきました。
もちろん歴史のプロではないので、中身は複雑なもんじゃありません。
わりと有名な話や出来事をかみ砕き、「実はこんな話だったんですよ」と、柔らかくお伝えするのが、主な内容。

「歴史のこと全然知らないんだよなー」
「苦手なんだよなー」

という人たちにも、「あ、そういうことだったのね!」と、理解してもらうことを目指した講演ですね。
ま、講演というより、トークイベントに近いものかもしれません。

わかりやすい中身だけども、対象はあくまで大人の方々。
学生に向けてしゃべったこともあるけど、それは高校生や大学生。これはもうほぼ大人。



そう、


小学生の子どもたちだけに向けては初なんです。


ありましたよ。
講演に子どもが参加してくれることはありました。

あったけど、それはあくまで、
大人の方に向けてしゃべってたら、子どももいてくれた
という感じです。

ありましたよ。
子どもたちだけ、という状況もありました。

あったけど、それは探究学舎さん(←押してみて)にゲストで呼んでいただいたとき
お話しをすすめてくれる探究学舎の先生の横にちょこんといただけです。


つまり、房野単品でお子さんに挑むというのが、はじめての試みだったんです。



それでも、やってみたい。
というか、やらない理由がない。
ううん、是非ともやらせてください!です。

子どもたちに伝える難しさも楽しさも知ってるだけに、期待と不安がマーブルでしたが、僕はこのお話を受けることにしました。



さて、みなさんはご存知ですか?
小学何年生で歴史を習うか。

このブログを読んでくださってる方も、かつてはみんな小学生。
かすかな記憶で「たしか高学年だったような…」という答えをひねり出してくれてることと思います。
自分のお子さんが今まさに小学生という方には簡単な質問ですよね。


答えは、6年生です。


自分の時代も6だったかな? 5年生で習ってたような…とか思いつつ、とにかく今は6年生になってからです。

しかし、僕が明光キッズの担当者さんから与えられたのは、


「歴史を習う前の子どもたちが、戦国時代に興味を持つようなお話をしていただきたい」


というミッションです。


なるほど。


ということは、講座を受けるのは6年生以下。いや、未満の子どもたち。
おそらく、5年生や4年生をターゲットにということです。

これは……


あらためてそのハードルの高さに唸ります。




僕が歴史の話をしたり、書いたりするときって、
知ってる前提
という武器をよく使うんですね。

先ほども書きましたが、
かつて学校で習った、どこかで聞いた。けど、よく知らないなぁーという出来事や人物をかみ砕いて、

「これはこういうことです」
「あ、そういうことなんですね!」

となってもらうのが、房野の手法。

高校生以上の大人の方々に効果的なんです、これ。

「関ヶ原の戦いって聞いたことありますよね?」
「ありますねー」
「どんなのか知ってます」
「いやー、詳しいことはちょっと……」
「あれはですね……(中身を説明)と、いうことだったんですよ」
「へーーなるほど!」

てなことになるから。

かた苦しいと思ってたものも、ドラマチックなんだな、人間味ある話なんだな、と思ってもらえるからこそ、そこにちょっとした関心と感動が生まれるといった仕組みですね。

ある意味、ギャップのおもしろさなんです。


でもこれが、まだ歴史に1ミリも触れてないとなると……

「関ヶ原の戦いって聞いたことある?」
「ない」

当たり前だけど、こうなります。

要は、4、5年生には知ってる前提という武器が、一切通じないということになるんですよね。

そうなると、

「関ヶ原の戦いってのはね、戦国時代にあった戦いのことなんだ。じゃ、まず戦国時代ってなにか? って話からいこうか」

という運びにして、伝えたい話題にいたるまでのバックボーンを丁寧に説明しなけりゃ、相手にはなーんにも響きません。
上の例で言うと、「関ヶ原の戦い」というトピックは確実に空振りします。


だから、
多少の知識がある人への説明と、
まったくそのことを知らない人への説明じゃ、
アプローチの仕方が全然違ってくる。というか、違わないと成立しません。

「大人に向けたコンテンツでも、単語を優しくして、文章を柔らかくし、漢字を減らせば、子どもにも伝わる!」
なんてことは、まったくないんですよね。

最初っから違うルートをたどって、違う景色(関連する人物や時代背景)を見せてあげないと、ゴール(伝えたい話題)には、
ぜーーーったいたどりつけません。


これって、「歴史を教える」っていうだけに限った話じゃないと思うんです。

お笑いも含むあらゆるエンタメ、教育……とにかくなにか人に伝えるとき、大きな武器にもなるし、でっかい壁ともなるのが、

あるある

です。

とってもやらかい表現にしましたが、いわゆる共通認識のこと。

「この間さぁ、ケイコがさぁ…」
「聞いてくれ、ついさっき課長が…」
「ドラゴンボールで一番好きなシーンは…」

というような、共通の話題があればあるほど、笑いや感動といった、心の動きが生まれやすい。

つまり、伝える側と受け取る側にギャップが無い方が、ギャップを生めるんですね。



"つまり"になってないか……



伝える人と、受け取る人の間に共通の話題、例えば……

日本人だ、住んでる県が一緒だ、30代だ、趣味がスポーツだ、もちろん知り合いだ…

なんかの共通言語がいっぱいあればあるほど、話はスムーズ。
伝える側が

「でね、そのとき満塁ホームランを打ったのが、実は、この高校のOBの〇〇さんなのよ」

と言えば、受け取る側は、

「えーーー!! あの満塁ホームラン、〇〇さんだったの!? しかもこの高校出身!!?」

となる。
といった具合ですね。


これがもし、受け取る側が、野球に興味のない、まったく違う高校出身のギャルだと

「で?」

という反応になるのは火を見るより明らかです。


そして、これが顕著にあらわれるのが、お笑いの世界。

よく聞くのが、

「あいつ学生時代、ホントおもしろかったんだよなー! で、芸人なるって言うから『絶対いけるよ!』って思ってたんだけど、なんか、全然ダメみたい……。どうやらライブとかでもウケてないみたいなんだよな……」

こんな話です。

わかりやすいですよね。

多分、この人は、自分のことを知ってくれてるという圧倒的アドバンテージの中、共通の友達や先生のことをネタにして笑いをとってたり、その学校の中だけで出来上がったノリで、人気者になっていたんだと推測されます。

だから、
「学校で一番おもしろかったやつ」
イコール
「芸人でもおもしろいやつ」
にはなりにくいんですね。

逆に、学生時代、なーんにも目立たなかった人が、芸人やってみると超絶おもしろかったというのは、このあるあるに頼ってないから。
もともと持ってた思考や、大人になって身につけた話術でのし上がってきた、ということになります。


「あれ? でもメチャクチャ売れてる芸人の〇〇さんは、学生時代から人気者だって言ってたけど?」

↑これの答えは、

中には、そんな人もいる。

です。


そういう人は……

学生のとき相手にする人(友達)と、芸人になって相手にする人(お客さん)は違う、ということに最初から気づいてる方だったか、

もしくは、

学生のときのノリを全国に広げる剛腕があった
 or
その学校(クラス)のノリのレベルが高い、

もしくは、

学生時代から、万人に受ける笑いの取り方だった、

という、いずれにしても、どっ飛んだ才能と努力のたまもので、学生時代も現在も人気者を突っ走ってるんです。




…………


これを「話が逸れた」と言わずして、どれを話が逸れたと言うんだ、というくらい話が逸れましたが、戻させてください。


房野が講座をするにあたって、小学4、5年生は、かなり難しい。

なぜなら、前提の知識がないから。という話です。


が、

小学生をナメちゃダメです。

彼らの吸収力、インプット力は、大人の比じゃありません。

学校で習ってないことでも、あらゆるメディア(テレビ、ネット、漫画、などなど)、先生以外の大人から、ものすごい量の知識をすごい勢いで飲み込んでいってます。


現に、僕の本も、小学生が読んでくれてる。
学校で歴史を習ってないはずの6年生未満の子どもたちがです。


そう、小学4、5年生なら、全員じゃないにしろ、前提の知識をある程度見込めるんですよ。


僕は、ここに活路を見出しました。


4、5年生なら、表現や言葉のチョイスに気を配って、もう少しだけくだいた伝え方をすれば……


いける。


差した光に、うすい笑みを浮かべながら、僕は担当者さんにたずねたんです。


房野「ちなみに、今度の講座ですが、何年生くらいの子が一番多いんでしょう?」

担当者さん「んー、、そうですね。募集してみないとわからないんですが、おそらく一番多いのは3年生です。そこに、2年生や1年生もまざる、って感じだと思います」





終わりました。




つづく。