ウォールストリートと聞くだけで脊髄反射する人もいるかもしれませんが、Wall Street Journal日本版にバイデン大統領の財政刺激策、格差是正政策が掲載されました。
以下引用
米連邦政府が所得格差の是正に取り組むには2つのやり方がある。1つは低所得層に再配分する資金を増やすこと。もう1つは、財政・金融政策の双方を駆使して失業率を十分に押し下げることで、低所得労働者の需要と賃金を押し上げる方法だ。
ジョー・バイデン次期大統領はその両方をやろうとしている。14日に明らかにした1兆9000億ドル(約200兆円)の財政刺激策の大部分は、低所得層の底上げが狙いだ。これに超低金利と新型コロナウイルス予防ワクチンの普及が合わさることで、現代に経験したリセッション(景気後退)後の失業者の減少ペースとしては、突出した急ピッチの改善が実現するかもしれない。
以下省略、引用終了
焦点は低所得層に再配分すること、低所得労働者の賃金を押し上げること。
トランプ前大統領は大減税をしたと持ち上げるマスコミもありますが、私の記憶では法人減税だけです。実質的富裕層優遇となるキャピタルゲイン課税や相続税は手付かずです。
現在のアメリカの相続税はなんと1158万ドルまで非課税。
富裕層はこれとキャピタルゲイン課税に手が付けられることを恐れています。
ちょっと横道にそれますが、アメリカは各州のワクチンの在庫が無くなり大問題となっているが、これはトランプ前大統領がワクチンメーカーと契約していなかったためで、メーカーは連邦政府が許可すれば、各州と個別に契約しても良いと言っています。しかし、この方が連邦が新たに供給計画をたて契約を結ぶよりも、各州へのワクチン供給は早くなると思うが、州により格差が生じたり、価格高騰を招く恐れがないだろうか?と疑問に思います。
またバイデン政権のコロナの経済救援は、国民全員1人600ドル(私の記憶違いかもしれませんが、たしかこれは所得によって支給額が違ったと思います)の現金支給額に1400ドルを上乗せして2000ドル(20万円)。失業給付は週400ドル(4万円)で、低所得者向け食料品配給券も15%増額。これで 1100万人以上が貧困から抜け出せる見通しですが、これには高額所得者は含まれないとのことです。
私は日本の一律10万円の支給を批判し続けてきましたが、これをおかしいと思わない国民の感覚が不思議です。
参考までにこちらもお読みください。
さて、経済に話を戻しますが、低所得層に再配分すること、低所得労働者の賃金を押し上げること、これは日本にこそ必要だと思います。
現在の日本の状況を見ると、次のようになると思います。
■貧者のサイクル
1997~2017年の20年間で先進国で賃金が減ったのは日本だけ。
賃金は世界に取り残され、貧者のサイクルに入っています。
これから脱しないと日本の経済は上昇しないのではないでしょうか
日本の賃金が世界で大きく取り残されている。ここ数年は一律のベースアップが復活しているとはいえ、過去20年間の時給をみると日本は9%減り、主要国で唯一のマイナス。国際競争力の維持を理由に賃金を抑えてきたため、欧米に劣後した。低賃金を温存するから生産性の低い仕事の効率化が進まない。付加価値の高い仕事への転換も遅れ、賃金が上がらない。「貧者のサイクル」を抜け出せるか。
出典:日経新聞賃金水準、世界に劣後 脱せるか「貧者のサイクル」
■所得中央値の推移に見る日本の貧困化
所得を高い順、あるいは逆に低い順に並べた時の、真ん中の値を所得中央値といいます。
平成30年の調査を見ると、平均所得額は551万6千円ですが、平均所得額額以下が62.4%もいます。
平均所得は総所得が同じなら、格差が大きくなり低所得層が増えても、数字に表れません。
それに対して所得中央値は低所得層が増えれば低下しますが、平均所得よりも少なく423万円。
どちらが庶民の所得を反映しているかといえば、私は中央値だと思います。
そして所得中央値はこのように減り続けていますが、これは中低所得層が貧しくなっていることを示しており、中低所得層の所得を増やすことこそ急務だと思います。
出典:世帯所得の中央値や世帯人員数の移り変わりをさぐる(2020年公開版)
■相対的貧困率に見る貧困化
所得中央値の1/2を下回る層を相対的貧困層といい、全体の人数に対する割合を相対的貧困率といいます。
※相対的貧困率 = 所得中央値の1/2を下回る人数(X) ÷ 全体の人数(n) × 100(%)
出典: 「OECD 経済審査報告書」 22ページ
私の意見としては、今の日本に必要なことは低所得層への再配分、低賃金労働者層の賃上げだと思います。
そう考えると労働改革という耳ざわりの良い言葉のもとに進められてきた、非正規労働者拡大こそ現在の低迷、先進国で一人負けの原因だと思います。
これまで構造改革始め、改革という名のもとにどれほど自分で首を絞めてきたことか。
耳ざわりの良い言葉ほど、疑わなければいけないということではなかろうか。