激動の1990年と懐かしの車 | 夢老い人の呟き

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前記事に書いたドイツ再統一の年、1990年(平成2年)。
   

参考までに書くとベルリンの壁崩壊:1989年11月9日
ドイツ再統一条約調印:        1990年 8月31日
ドイツに関する最終規定条約調印:  1990年 9月12日
ドイツ再統一:                               1990年10月3日

前の記事で「ドイツに関する最終規定条約」に賠償が無かった事を、ラッキ~~なんて不謹慎な事を書きましたが、これは弛まぬ外交努力と戦争に対する反省を表明してきたからだと思います。

この頃、私は沖縄に住んでいたが、ドイツ車と言えば日本人憧れの車。
1990年のドイツ車と言えばこんな感じ。

 




一方、その頃の東ドイツの車と言えばこれ。
これと言うよりも、これだけと言っても良い。

トラバントP601L
ドイツ語で
「衛星」「仲間」「随伴者」などを意味する語である。

販売期間 1957年 - 1990年
乗車定員 4人
ボディタイプ 2ドアセダン/2ドアステーションワゴン
エンジン 直列2気筒2ストローク空冷エンジン横置き配置594cc /26馬力(P601)
変速機 4速MT(コンスタントメッシュ)
駆動方式 FF
全長 3,555 - 3,560mm
全幅 1,504 - 1,510mm
全高 1,437 - 1,467mm
車両重量 620 - 660 kg
ブレーキ 4輪ドラムブレーキ


ある面では世界一有名な車かも知れない。
紙で出来た車と言われた。

ボディパネルはFRP製であったが、品質が悪く紙のように見えた事からそのように言われたが、モデル末期には原材料不足から紙パルプも混ぜられたという

発注してから手元に届くまで10年くらいかかったそうで、そのためハンドメイドでべらぼうに製造期間が長いと揶揄された。

日本に輸入しようとした者もいたらしいが、排ガス規制がクリアできず諦めたという。


東西統一で東側に入ってきたポルシェやベンツを見て、東側の人達は江戸時代の日本人が黒船を見たような衝撃を受けたかも知れない。
西側と一緒になれた喜びと共に、埋められそうにない東西の差に絶望も感じたかも知れない。


そんなトラバントの製造風景がこれ。
日本の復興期や高度成長期の中を生きてきた人にとっては、涙を流したくなるよう懐かしさを感じるかも知れない・・・・・


同じ国の国民が東西に隔てられ歩んできた45年の歳月。
自動車が象徴する両者の差。

経済格差は3倍だったという。
45年の間に両者の文化も変わっていたと思うが、溝は埋まったろうか?

その記憶は段々と薄れゆくかもしれないが、ずっと後世に受け継いで欲しいと思う。