結論は、「布積み」の石垣(擁壁)は、
明治33年の三田尻~厚狭間より、
大正2年の小郡~山口間の方がよく観察できた…
と云う事です。
鉄道土木の業界では、「布積み」が工法として持て囃されたのは、
明治時代前半の東海道線とかの一部地域であって、
鉄道が地方のあちこちに敷設され始めた明治時代後半では、
既に装飾的な部分とか、橋梁の一部の限定的な使われ方になっていたのではないでしょうか。
それでも、
時代考察のアイテムとしてはとても楽しめるものでした。
次回にもう一考察する積もりですが、
以上のとおり取りまとめたいと思います。
記事は、HP「まちかど Bra.」の「小郡地区散歩」コーナーに掲載しています。
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