京都「町屋」筋のシーサー? | 「沖縄病」の楽しみ方…?

「沖縄病」の楽しみ方…?

空港に降り立った途端に味わうまったりとした空気感が好き…
「また来たよ…」とついニヤリとしてしまう…
先日戻ったばかりなのにもう次の訪沖のことを考えている…
そんなあなたの症状を改善? 助長? いたしましょうかね~

先日、親戚の結婚式のため京都を訪れる機会に恵まれ、
先般まで書き連ねていた昭和初期の「京都画壇」の日本画にも巡り会える…
と楽しみにしていたのですが、
ご紹介したとおりの全くの空振りに終わり落胆しました。
 
けれども、
それ以外にも楽しみにしていた事がありまして…
一つが、京都の街中を歩き回ることと、
「町屋」に泊まること、の二つでした。
これらの観察日記は、HP「まちかど Bra.」の番外コーナーにて詳しくご紹介したいと思っていますが、
先ず、その前に…
こんなものを京都の街中で発見したので、お知らせせずにはおれません~
 
イメージ 1
 
京都では、明治から大正期に立てられた住宅が今でも大切に使われていて、
無闇に建て替えさせないよう自治体が規制しているのも「先見の明あり」ですが、
住人一人一人がこうした歴史を大切にしながら生活している事が伺え、
街中を散策していると、
とても落ち着いた気持ちにさせられます。一元の観光客でさえも。
 
どこか沖縄の人々の想いにも通じるところがあるようですが、
少し違うのは、
京都では、それを結構徹底的に手を加えて現代仕様にアレンジしている点です。
上の写真は、洒落た小物屋さんですが(扱っている商品も京都ならではです)、
大正期の建物とは思えないような、
シンプルでしっかりどっしりとした佇まいに暫し見惚れてしまいます。
 
で、見惚れてじ~と眺めていると…
あれ?
これって、シーサーじゃないの?
と思わず見上げた軒上にチョコンの据えられた人型は…
これは…
「鍾馗さん」です。
イメージ 2
大体は建物の屋根上ですが、
軒下に居たり、屋根の尾根筋に当たる「ウダツ」の辺りに居たりしているようです。
シーサー同様、魔除の役目を負うていますが、
少し違うのは…
沖縄のようにどの建物にも据えられている訳ではなく、
少々余裕のある中級の建物に多いようです。
大きな建物や、小規模な建物では見られないようです。
同じ「魔除」ではありますが、
そこには、
自然に対する畏敬の念から滲み出る「悲壮感」のようなものではなく、
どこか小市民の「洒落っ気」のようなものに感じられるのは、私だけでしょうか…