
「カデナ」の書名が何だか意味ありげで、つい買ってしまいました。
帯封のサブタイトルが、
「あの夏、私たちは四人だけの分隊で闘った~
ベトナム戦争末期、沖縄カデナ基地の中と外を結んで、
巨大な米軍への抵抗を試みた、小さな「スパイ組織」があった…。
著者の10年に及ぶ沖縄での経験と思索のすべてが注がれた渾身の長編。」となっています。
確かに、登場人物については、沖縄ならではの生活臭が丁寧に描かれていて、
よく観察しているなぁ…と感心しました。
4人の内3人までは。
残る1人のベトナム人の「安南さん」だけは、全く身元は明かされず、
他の3人に動機を与え、
彼らの関係を取り持つキーマンとしか描かれていません。
多分、それがこの作品の結末に不思議な余韻を持たせることになっているようです。
物語は、仔細な事柄の積み重ねで展開します。
当時の沖縄では、人は誰でも、大なり小なり「体制」に反発し、無意味であったとしても少なからぬ抵抗を試みていましたよね。
コザ暴動に参加した人々~
「戦果アギヤー」の小泥棒達~
不発弾の弾頭を拾ってきて鍋代わりにして料理屋台を始めたオバァ達~
図らずして巻き込まれてしまい、
混沌の中で何が何やら分らぬまま、
その上に生活の礎を築いてきて、安息の時代に至り、
ふと来し方に思いが至る時~
「あまり思い出したくない」
「話したくない」
と云う方向へ屈折してしまった人々も多かったことでしょう。
ですから、自分達の行為について、きちんと意義付けをし、整理して考えられる、と云うことは幸せなことです。
主人公達が、アメリカンとの混血児や、
移民生活からの帰還者だったことが、
自分の中でアイデンティティを客観的に確立させることができた重要ポイントだったように思われます。
そうした意味では、彼らにこそドラマ性があったと言えるかも知れません。
北海道帯広出身の池澤夏樹さんが沖縄で生活していたのは、平成5年からの12年間でした。
沖縄からパリへ家族で引っ越すことになった際の彼のコメントは~
「そろそろ河岸を変えて、リセットする頃…」と云うものだったそうです。
その頃は、久高島を眺望できる高台(旧知念村)に居を構えて5年になっていたそうですが~
何があったのか、本人でないので知る由もないことですが、
その表現ぶりからは、何だか嫌気がさすような事象があったような気がしてなりません。
全くもって、要らぬお世話ですけど…