人は誰しも過去の自分を振り返って
「なぜあんなことをしたのだろう」
と頭を抱えたくなる瞬間があるのではないか
自分にとってその最たるもののひとつに
「誰かと映画を観に行く時の作品選び」がある
最近、ふと気づいてしまった
当時の彼女や恋人未満の子、男友達、果ては我が息子や娘に至るまで相手が誰であろうと自分が「今スクリーンで確認したい作品」を優先してきており、そこに妥協という文字はなかった
今になって多少は「配慮がなかったかな?」と遅すぎる反省が芽生え始めている今日この頃
その容赦なきラインナップを書き連ねてみる
1. 息子・娘編:経験値獲得
まずは我が子供たち
一般的に「親と子供の映画鑑賞」といえばディズニーやアニメ、百歩譲ってハリウッドの健全な大作が相場なのだろう
しかし我が家に敷かれたレールは最初からハードコア仕様だった
申し訳ない
以下、連れ出したラインナップ
『牙狼 <GARO> 〜RED REQUIEM〜』
『タンタンの冒険』
『寄生獣』
『ゾンビ(日本劇場初公開版)』
『サイコ・ゴアマン』
『豆腐小僧』
『ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル』
『アバター』
『攻殻機動隊 新劇場版』
『レイトン教授と永遠の歌姫』
『仮面ライダー電王 俺、誕生!』『モンスターズ・ユニバーシティ』
『モンスターズ・インク』の2作目や『レイトン教授』『仮面ライダー電王』あるいは『アバター』が入っていることに親としてのせめてもの良心が伺える……と見せかけておいてそのすぐ隣にトラウマ級の特殊メイクと容赦なきバイオレンスが炸裂する『サイコ・ゴアマン』や『ゾンビ(日本劇場初公開版)』が平然と並び
「世の中にはこういう強烈なコメディや社会風刺が存在するのだ!」ということを言葉ではなく劇薬をもって脳裏に叩き込んでいくスタイルで、子供用への配慮を薄めることは自分という人間の個を殺すことと同義だと思っていたのかもしれない
声優キャストで実写化してもよかったと思う
この「妥協のなさ」は家庭内の食卓にも及び
たまに自炊でカレーを作る際も子供用の別鍋など存在せず辛口にハマっていた時期には「ジャワカレースパイシーブレンド一択」で押し通した
映画館で精神を鍛え、食卓で文字通り火を噴かせる逃げ場のない生存本能の刺激を与える
これも申し訳なかった
2. 友人編:ソムリエ誕生
続いて男友達とのラインナップである
「一緒に楽しもう」というサービス精神よりも
「これを目撃してくれ!」という共犯者探しに近かったのかもしれない
『ブラザーズ・グリム』
『グエムル-漢江の怪物-』
『悪魔のいけにえ2』
『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド/死霊創世記』
『ハンニバル』
『生きてこそ』
『バタリアン』
『AKIRA』
『食人大統領アミン』
改めて俯瞰してみて自分でも笑ってしまった
公開年こそバラバラではあるが驚くほどに
「誰かが誰かを食べている」作品である
未見の方のために少しその内容を説明すると
- 『バタリアン』: ゾンビたちが「死体の痛みを消すために、生きた人間の脳みそを喰らう」という哀しき習性をコメディ調に
- 『ハンニバル』: もはやカニバリズムがグルメの領域に達しており、ラスト近くの「麻薬で意識を朦朧とさせられた男が、自分の脳みそをソテーされて自ら食べさせられる」シーンは伝説
-
- 『生きてこそ』: 雪山に墜落した旅客機の生存者たちが、極限状態の中で「餓死を免れるために、苦渋の決断として仲間の遺体の人肉を食す」という実話の映画化
- 『食神大統領アミン』: 実在したウガンダの独裁者が、敵の肉を冷蔵庫に保管して食べたという狂気の噂に迫るドキュメンタリー風映画
同じ「喰らう」でもそのグラデーションが広く
普通のホラー好きなら傑作の1作目を選びそうなところをあえて人肉チリコンカンコンテストが開催される『悪魔のいけにえ2』をチョイスするあたりが実に奥ゆかしい
リストの中にあのディストピアの狂気を圧倒的な作画で描いた『AKIRA』が存在していなければ、友人達によって「人肉映画ソムリエ」というあだ名が確定していたかもしれない
3. 女性編:作品は観る前に善し悪しが判断出来ない
そして最も罪深いのがこれ
当時の彼女や女の子とのデートで
世間がオシャレな恋愛映画で愛を語らう中
自分が叩き込んだ3本の鉄槌がこれである
『デビルマン』
『ダンサー・イン・ザ・ダーク』
『7月4日に生まれて』
まず公開当時に『デビルマン』へ連れて行くのはデートではなく「歴史的大事故への同行」だ
本作がどれほど「伝説」なのかは各自調べていただくとして、日本映画界に深い爪痕を残したあの圧倒的なカオスをあえてデートという空間に持ち込み、それを隣に座る彼女がどう受け止めているかうっすら感じながら最後まで席を立たなかった自分の精神力(メンタル)は我ながら鋼のメタル…いや激重のドゥームメタルだった
次は当時狙っていた女の子が「トム・クルーズ好きやねん!」と言った事に端を発した話
おそらく彼女は『トップガン』みたいなトムを期待していたと思う
だが自分が選んだのは超硬派な社会派監督オリバー・ストーンの『7月4日に生まれて』だった
スクリーンに映し出されたのはベトナム戦争で半身不随となり車椅子に縛り付けられ、自らのイチモツから導尿チューブを引っ張りながら
「ペ〇ースッ!」と絶叫するトム
彼女が理想としたトムは木端微塵に粉砕され
映画館を出た2人の脳裏には排泄の尊厳と戦争の虚しさが重くのしかかった
4. 競馬場のロングコートと、BON JOVIの騎士道
上記の女の子とはいろんなエピソードがある
トムの一件で気まずくなった後、今度は彼女をこれまた全く興味のないであろう春の競馬場へと連れ出した ←(º ロ º๑)なんでぇぇぇ!!
5月の新緑、燦々と降り注ぐ日差しの中、周囲は行楽気分の軽装である
そこに自分は季節外れのロングコート姿で現れた
周囲の環境(TPO)に合わせるのではなく、「自分があるべきシルエット」を環境に強いるという様式美
しかし物理的な直射日光の暴力には勝てず
あまりの暑さに耐えかねた結果
「インナーは半袖、ロングコートの袖を思いきりまくり上げる」という、視覚的バグのような折衷案を繰り出した
「あ……暑くない?」
彼女の至極まっとうな問いに対し、腕を生々しく露出させ、滝のような汗をかきながらもコートを脱がない男
機能性よりスタイルを優先するその痩せ我慢は「生理現象すらも凌駕する自分の流儀を見よ」という狂気の自己提示だった
だが、そんな「自分基準の暴君」だった自分にもその美学の方向性が奇妙な形でねじれた夜がある
あの「トム・クルーズが好き!」という彼女の言葉に乗っかった話には、実はもう一つの伏線があった
彼女は映画だけでなく、音楽においてはBON JOVIのギタリスト「リッチー・サンボラが好きやねん!」だった
という訳で彼女と一緒にBON JOVIのライブに
足を運んだのである
自分自身はBON JOVIに対して別に普通で、正直に胸の内を明かすなら「リッチーはリッチーでも自分が好きなのはブラックモア(レインボー/ディープ・パープル)なんだよな……」という密かな様式美へのこだわりを抱えての参戦だった
そんな温度差を抱えながら会場へ入り席へ着く
自分(180cmオーバー)のすぐ後ろには地方遠征らしき女子中学生の2人組がいた
いよいよライブが始まり一斉に客が立ち上がった瞬間後ろから小さな呟きが聞こえた
「あ、見えない……」
その瞬間、自分の脳内の「様式美センサー」が別の作動を起こした
これを不憫に思った自分はBON JOVIが、そして彼女の愛するリッチー・サンボラが最も盛り上がっている最中あえて自席に深く腰掛け、リッチー・ブラックモアへの忠誠心からか、あるいは単なる意地かコンサートが終了するまで後ろの少女たちの視界を開放して自分は座り続けた
当然、隣の彼女は困惑する
「え!? どうしたん? 立たへんの?」
映画選びでは容赦なく、炎天下でも頑なにコートを脱がない男が、大好きなリッチーが目の前でギターを弾いている(と彼女は思っている)のに座り込んでいる
「うん、ちょっと…調子が……」
と、謎の体調不良を装う羽目になりデートとしての形は完全に崩壊したが
女子中学生の大切な思い出作り保護の為には自己犠牲をも厭わないという騎士道精神が発動してしまったのである
まとめ
こうして振り返ると、自分の過去は「配慮のなさ」と「謎の痩せ我慢」に満ちている
相手に合わせるというサービス精神よりも「自分の魂の震えを隠さずに見せる」という独善的な誠実さが常に上回っていた
ただ、あのBON JOVIの夜、リッチー・サンボラが素晴らしいをコーラス決めてギターを弾きまくっているのを横目に座り続けた自分の背中越しにはきっと少女たちの笑顔があったはず
心の中で「これがリッチー・ブラックモアなら立ってたんだけどな」と言い訳をしながら
自分勝手で、不器用で、けれど自分が信じた美学にはどこまでも忠実だったあの頃
連れ回された被害者たちには今さらながら深く同情し、反省も芽生え始めているが
あの「袖まくりロングコート」の腕に滲んだ汗と、気まずい沈黙の数々こそが全力で人生をドライブさせていた証拠なんだ!
と、実はまだ少し思っていたりもする

