備忘録② 賢治とフクロウ | なんてことない愛しい日々よ

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こんばんは
備忘録の続きです。




宮沢賢治記念館へ行ってきました。以前は気がつかなかったけど、今回はやたらにフクロウが目にとまります。花巻市の鳥なんですって。


宮沢賢治記念館の入口のふくろうさん





花巻市内のガードレールの支柱にも



こんなお話があるようです。



「二十六夜」
旧暦の6月24日から26日までの3日間の出来事です。


フクロウの子穂吉は人間の子どもに捕まってしまいます。人間の子供にとってフクロウの子はただの動くおもちゃなのでした。飽きて放られた際に力の加減で脚が折れてしまいました。

穂吉は瀕死の姿で村へ戻ってきます。それを見たフクロウたちは人間の非道さを口々に非難しますが、フクロウの坊さんはこのようにいさめます。

「もっともじゃ、なれど他人は恨むものではないぞよ。みな自らが元なのじゃ。恨みの心は修羅となる。かけても他人は恨むでない。」

26日の晩、もう言葉を発することもできなくなった穂吉はさいごに坊さんの説法を聞きたいと願いました。

すると、二十六夜の月が登り金色の立派な人が三人雲に乗って降りてきて穂吉に手を差し伸べたようにみんなは思いました。
気がつくと穂吉は静かに息を引き取っていたのでした。


賢治が辿り着いた仏教感、悟りの境地を描いたものだとか・・・




二十六夜の月は不思議な「金色の鎌の形」から金色の船の形になりましたが、今宵の月はものすごく明るい。明るすぎて一等星しか見えません。



「月夜のでんしんばしら」と言うお話もあるようです。