取材日時 2008年 9月9日
コメント・俺が廃墟探索を志すようになったきっかけを与えてくれたいくつかの廃墟がある。摩耶館・軍艦島・足尾銅山・そしてのうが高原だった。
廃墟探索というサブカルチャーが一気に知名度を上げ始める頃、当時から運営していた古参の廃墟サイトはこの4つの物件を取り上げているだけで十分にアクセスを稼ぐ事が出来た。
いずれも廃墟好きなら知らない人は居ない超有名廃墟ばかりであり、そしてどれにも共通して言える事はどれもが現在も取り壊されずに現存しているという事だ。
のうが高原は、野貝原山山頂の磐座に巨大な建造物をおっ建てて、山一つ丸ごとレジャーランド化するという、まさにバブリーな発想の元で大々的に開発されたものの、時代のニーズに沿った物ではなく、見事なくらいに短命でその役目を終えた西日本でも屈指の大型保養施設廃墟である。
しかし、大型ダンプくらいの大きさの岩をそのまま取り入れた大浴場は、吹き抜け三階層の見事な造りで、そこから広島市内(厳密には廿日市市)を眼下に見下ろし、その先には瀬戸内海、四国を一望できるランドスケープは、数ある廃墟の中でもトップクラスのロケーションだとも言える。
正直言って、この大浴場以外の施設は平凡でどうでもいいような物ばかりだった。短命に終わって当たり前だとも思えるような各所の陳腐なデザイン、い今では保養施設=徹底したバリアフリーという図式が当たり前となったが、そういったものが全く無かったふた昔前の複雑怪奇で入り組んだ建物内を歩き回るのはかなりの体力を要した。こんなつくりでは高齢化社会を迎えている日本で商売をしても、集客を望むのはいささか無理があるともいえる。だから廃墟になったのだ。
今回は時間に余裕を持ち、摩耶館同様にじっくりと下調べをしておいたので、クルマを置く場所までは全く問題なく進む事が出来た。
ところが、物件近くのカートレース場前の広場にクルマを停めいざ登山を始めようとして居たところ、サーキットの奥にある工事現場(?)の関係者と鉢合わせすると言う事態に遭遇、平日早朝で山奥、しかも千葉ナンバーの見慣れないヤロウが一人でウロウロしていたらそれだけでも十分にアヤシイはず。レガシィワゴンから降りてきた二人組の男性は完全に俺を不審者として見ているようだった(実際に不審者なのだがwww)。
俺はすかさずその場で「野貝原山に登る為に来た」と話をし、快く駐車場にクルマを停めさせてもらう許可を得た。
そして、装備を固め山道を登り始めるとすぐにサーキットが見えてきたのだが、どうも活気が無い。確かに平日だし朝だし誰も居ないのは全く持って自然なのだが、廃墟っぽい臭いがするのだ。こんな山奥にカートレース場が有る事自体かなり不自然だし、トランポで登ってくるにはアクセスルートの整備がなっていない。(途中の林道は完全ダートで一車線、すれ違い不可)コースは舗装が荒れていて、これでまともにリジッドのカートが全開走行出来るのかと思えるようなコンディション。
その後は尾根に出た辺りで方向を見誤り30分ほど時間をロスすると言うアクシデントに見舞われるなどしたものの、山頂のテレビアンテナを目標に定めコンパスと携帯ナビを駆使して無事に外周道路に出る事が出来た。
その後は出発前に用意しておいたレポートを元に敷地内を探索し、昼前にはほぼ目的を達成、大浴場にて瀬戸内海を見下ろしながらの昼飯とし、一時間の昼寝をして山を降りた。
廃墟でランチを取り、昼寝が出来るという余裕。実はこの日はすぐ近くで物件周辺の山林にて伐採作業が行われていて、いつ作業員に見つかってもおかしくなかった状況だったので作業が停まる昼休み時間中は行動することが出来なかったのだ。
あと、取り壊しの噂が耐えない当該物件だが大浴場の一部はかなり手がつけられているものの全体的にはほぼ原形を留めており、マンション部分は内装まで完全に撤去されているが、もともと何も無かった所なので写真撮影にはそれほど困らないのではと思う。