2005年 6月25日
コメント・仕事中に発見した。
発見当初は群馬県の安中から市川の油層所へ戻ってくる途中の幹線道路を都心に向けて走っていたときだったので、
この後の物件45「栗橋の廃リサイクルセンター」の方が実は先に見つけ、その後に畳み掛けるようにこの廃工場を発見したのである。
一日に2件も廃墟物件を見つけてしまうというのは今までにはあまりない事だっただけに、その後の仕事に少々の支障をきたしたのは言うまでもない。
さて、当該物件だが閉鎖されてからかなりの時間がたっているように思える。
窓という窓は殆どないし、かなりのドキュソ爆弾を投下されている。
すぐそばには現役のケーブル工場やら、建材屋やらあって人の出入りがあるにもかかわらず、
建物の周囲をグルリと工事現場などで見かける鉄板の囲いで覆われている。
という事は、それほどまでに酷い破壊活動が行われ連夜のようにドキュソや珍走の集会所になっていたのかもしれない。
30分ほどかけて周囲をロケハンすると、簡単に入れる場所を見つけた。それもいきなり工場の中へ入るというようなものではなく、
ある場所を経由して入るという危険で大胆なコースである。だが、ここを堂々と歩いていけたら逆に疑われることはないと思う。
なにせあぜ道ですから・・・・・。
自分が現場にきたときは既に週末の夕刻を迎えていて、どの工場も「そろそろ帰んべか?」というような感じがした。
車の往来も表を走る大幹線道路は酷い渋滞に見舞われているが、一本入ったこの場所は周囲を畑に囲まれ、行き来するのは犬の散歩をする人やウォーキングをする中年夫婦くらいだった。
ゆえに鉄壁の守りのこの工場も非破壊行動で入れるので、時間帯さえ吟味すればほとんど人目につくことなく静かに廃墟の中へダイブすることが出来るだろう。
さて、今回の探索はあくまでも下見として突入したので、遺物を探してこの工場が現役のころの様子を調べたりとか、廃墟になってからの年齢を調べたりとかという面倒くさいことは一切無しとした。
次の栗橋の廃工場の探索もあるし、すでに時間も夕方といって差し支えないほどに押してきているのであまりノスタルジイに浸っている場合でもないのだ。
よって、これからご覧頂くスライドショーもあまり気の利いたコメントが思いつかなかったので、無視していただければありがたい。今回はあくまでもサラリと画像を見て頂ければいいと思う。