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壷公が覧故考察_涯 如水の附録(Blog)

壺公仙人(涯 如水)が愚考・独行・栴檀の日々 それ、快適にして快活。 愚考する諸々に一期一会にて、日々之好石碑。 
放浪生活は人生の過半に及び、齢七十七歳を迎える。 デラシネ(根無し草)の彷徨から次なる世界に・・・・・・・・壷公曰く、天涯比隣の若し

バイキング、知られざるその壮大な歴史

バイキング、西暦1021年には北米定住、太陽嵐から解明

【この企画はWebナショジオ_“古代文明・歴史の記事”を基調に編纂】

 

「ヴィンランド」の物語サガを裏付ける証拠

 西暦993年、太陽の表面で激しい活動が起き、膨大な量の宇宙線が放出された。いわゆる太陽嵐だ。この出来事が決め手となり、今回、バイキングがアメリカ大陸にいた正確な年が特定できた。

 今から50年以上前、カナダのニューファンドランド島のランス・オ・メドー遺跡でバイキングの集落が発見された。以降、アメリカ大陸に最初に到達したヨーロッパ人はバイキングの船乗りであるという説は、ほとんどの学者に受け入れられている。

 バイキングが、西暦700年代後半から1100年頃にかけて北の海を駆け巡っていたことはわかっている。しかし、彼らが「ヴィンランド」と呼んだ北米の海岸地域に進出した時期については不明な点が多かった。これまでの研究では、遺跡からの出土品や放射性炭素年代測定の結果、またバイキングのサガ(散文物語)の内容などから、ランス・オ・メドーの集落は西暦990年から1050年までの短い期間に繁栄したと考えられていた。(参考記事:「バイキングの豊かな多様性、大規模DNA分析で明らかに」 https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/20/091700548/ )

 1020日付けで科学誌「ネイチャー」に発表された論文によると、西暦993年の太陽嵐のおかげで、今からちょうど1000年前の西暦1021年にバイキングが北米の小さな拠点を設け、作業をしていたことが確実になったという。

 英ケンブリッジ大学の地理学者ウルフ・ビュントゲン氏は、新たに決定された詳細な年代について、従来説を大きく変えるものではないものの、「考古学者やこれまでの仮説を裏付けるものと言えます」と説明する。「この論文を読めたことを本当にうれしく思います。20年前には、このようなデータを得ることはできませんでした」。なお、氏は今回の研究には参加していない。

 今回の研究は、バイキングが北米に定住した年代を初めて正確に明らかにしただけでなく、それから数百年後に書かれた初期の航海の物語の裏付けにもなった。米ベイラー大学の考古学者であるダビデ・ゾーリ氏は、「バイキングが北米に定住したのが西暦1000年頃であることは以前からわかっていましたが、1021年という具体的な数字が出たことには非常に大きな意味があります」と言う。「これは、バイキングのサガが10年以下の精度で正しいことを示しているからです。非常に素晴らしいことです」。なお、氏も今回の研究には参加していない。

・・・・・・明日に続く・・・

⨁⨂参考資料: ヴァイキング(Viking)とは…!!? =2/4= ⨂⨁

風俗

ヴァイキング戦士の格好は、同時代の西欧の騎士と同様の、頭部を覆う兜とチェーンメイルが一般的であった。丸盾と大型の戦斧が、ヴァイキングの装備の特徴となる。

ノルウェーの10世紀の遺跡から出土した兜は、目の周りに眼鏡状の覆いがついていたが、角状の装飾品は見当たらない。むしろ同時代の西欧の騎士の兜が、動物や怪物を模した付加的な意匠を施す例があったのに対し、ヴァイキングの兜は付加的な意匠は乏しいと言える。

族長クラスは膝下までのチェーンメイルを身につけたが、一般のヴァイキングは膝上20cm程度のものを身につけていた。ヴァイキングとノルマン人の定義には曖昧なものがあり厳密な区分ができないが、ヴァイキングのチェーンメイルは黒鉄色、ノルマン人のチェーンメイルは銀白色、といった区分をする場合があり、アイルランド語ではヴァイキング・ノルマン人を「ロッホランナッホ (Lochlannach)」、つまり「白と黒」と呼んでいた。

ノルマン人と呼ばれる時代には、水滴状で鼻を防御する突起のついた兜が普及した。一体形成で意匠はさらに単純なものとなり、ノルマン・ヘルムと呼ばれた。これはノルマン人以外の西欧の騎士の間にも普及し、初期十字軍の騎士の一般的な装備ともなっている。

ステレオタイプ

一般に、角のついた兜と毛皮のベスト、といった服装が、ヴァイキングの服装のステレオタイプとして知られている。しかしこれは史実ではなく、当時のヴァイキングの遺跡からはこのような兜は出土していない。角のついた兜は、古代ローマ時代にローマと敵対したケルト人の風俗が、後世になってヴァイキングの風俗として訛伝されたものである。なおかつケルト人は数多くの部族に分かれていた集団であり、兜の意匠は様々であり、角のついた兜はその中の一種類に過ぎず、さらに兜を被る事ができたのは一部の部族長クラスに限られる。

ヴァイキングは広く金髪であると言うイメージを持たれている。実際には多くのヴァイキングは茶色い髪を持ち、スカンディナヴィア出身者以外の遺伝子の影響も大きく、血統内にはアジアや南欧由来の遺伝子も存在した。

・・・・・・明日はヴァイキングの“舟”と“商業”

 

 

         

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