壷公が覧故考察_涯 如水の附録(Blog) -23ページ目

壷公が覧故考察_涯 如水の附録(Blog)

壺公仙人(涯 如水)が愚考・独行・栴檀の日々 それ、快適にして快活。 愚考する諸々に一期一会にて、日々之好石碑。 
放浪生活は人生の過半に及び、齢七十七歳を迎える。 デラシネ(根無し草)の彷徨から次なる世界に・・・・・・・・壷公曰く、天涯比隣の若し

 

―著書を拝読して驚いたのは、バイキングが船と陸路で東へも向かい、現在のロシアにも行っていたということです。これについて教えていただけますか。またソ連時代はなぜバイキングとの関わりを重視しなかったのでしょうか。

 ロシアへ行こうと最初に行動を起こしたのは東部の人、具体的にはスウェーデンの人々でした。彼らはバルト海を渡り、ロシアの水路を進みました。ノース人がどこへ行ったのかを知りたければ、「お金」の後を追えばいいのです(笑)。中世には、イスラム産の銀器が大量にロシアの川を行き来していましたから、ノース人はその後を追って行ったわけです。
   ノース人は毛皮や獣皮など、自分たちの商いの品も持参しており、これは非常に高値で売れました。また彼らは奴隷を連れて行きましたが、(奴隷の調達というのも)あれほどの襲撃や暴力が行われた理由の1つでした。(参考記事:「埋葬用の剣、中世東欧の墓地発見」 https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/5373/ )

 

「ロシア(Russia)」という言葉はおそらく「Rus」という語から来ており、少なくともその起源は、スウェーデンあるいは北欧のどこかに由来すると思われます。こうしたノース人部族がキエフの町を開いて後にキエフ大公国と呼ばれる国を作り、これが現代のロシア、ベラルーシ、ウクライナの基礎となります。しかしソビエト時代には、この国の礎は外からやって来た人々が創ったのだとおおっぴらに言って回るのはよしとされませんでした。

   国を創ったのはノース人ではなく、自分たちと同じ東スラブ人だと考えるのを彼らは好んだからです。しかしスタラヤ・ラドガなど、ロシア北部にある商業の町で最も古い考古学的地層を見れば、明らかにノース人に由来するものが見つかります。

――あなたは研究者ですが、この本を書かれるために大学を離れました。その取材のハイライトはどういうものでしたか。また、本を執筆することでバイキングに対する見方は変わりましたか。

 大学を辞めた後、私はグリーンランドで夏を2度過ごしました。この本を書きたかった理由の一つが、グリーンランドへ行くことだったのです。現地では、サガに描写されている世界の考古学的な証拠を見て回りました。たとえばサガに登場する農場や、赤毛のエイリークが暮らしたフィヨルドなどです。エイリークの農場のすぐそばにも滞在したんですよ! この旅は私に、ノース人がいかにすばらしい人々だったか、彼らはどれだけ遠くへ行ったのか、それがどれほど危険なことだったのか、世界の果てを目指した彼らがどれだけ勇敢で大胆だったのかを教えてくれました。 文=Simon Worrall/訳=北村京子

“バイキングの壮大な歴史”に続く・・・・・・

⨁⨂参考資料: ヴァイキング(Viking)とは…!!? =1/4= ⨂⨁

ヴァイキングVikingとは、ヴァイキング時代(800 – 1050年)と呼ばれる約250年間に西ヨーロッパ沿海部を侵略したスカンジナビア、バルト海沿岸地域の武装集団を指す言葉。

ヴァイキングが角のある兜をかぶり、海賊や略奪を働く戦士であるという通俗イメージは、後世の想像の影響が強い。実際には略奪を専業としていたのではなく交易民でもあり、故地においては農民であり漁民であった。

彼らは北方系ゲルマン人で、9世紀に入って侵略などを活発化させた。どうして彼等が域外へと進出したのかについては下記のような学説がある。各地に進出し、北ヨーロッパの歴史に大きな影響を残したが、次第に海上の民としての性格を失い、13世紀までには、殆どのヴァイキングは消滅した。これはヴァイキングによる拡大と侵攻は中世温暖期(10世紀 – 14世紀)にはじまり、小氷河期(14世紀半ば – 16世紀半ば)に収束しているが、その直接的なきっかけは不明であり、いくつかの説が存在する。

キリスト教と宗教的対立

ヴァイキング時代の始まりとされるリンディスファーンの蹂躙は、カール大帝によるザクセン戦争、すなわちキリスト教徒による異教徒に対する戦争と時期を同じくする。歴史家のRudolf SimekBruno Dumézilはヴァイキング時代の始まりとされるリンディスファーンの蹂躙は、カール大帝によるザクセン戦争、すなわちキリスト教徒による異教徒に対する戦争と時期を同じくする。歴史家のRudolf SimekBruno Dumézilはヴァイキングによる攻撃は同社会におけるキリスト教の広まりに対する反撃ではないかと位置付けている。

Rudolf Simek教授は初期のヴァイキングの活動がカール大帝の統治時代と時を同じくするのは偶然ではないと分析する。カール大帝はキリスト教を掲げ、侵攻と拡大を繰り返しており、スカンディナビアにおけるその脅威は想像できる。また、キリスト教の浸透はスカンディナヴィアにおいて問題化しスカンジナビアーではそれが原因で1世紀に渡り深刻な対立が生じていた。

通商・貿易面では、スカンディナヴィア人はキリスト教徒による不平等な条件の押しつけで苦しんでいたことが判明している。名誉を重んじ、名誉が汚された場合は近隣を襲撃することを厭わない文化において、上記のような原因で外国を襲撃することは考えられる。ヴァイキングによる攻撃は同社会におけるキリスト教の広まりに対する反撃ではないかと位置付けている。

・・・・・・・明日はヴァイキングの“風俗”

 

 

         

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