新しい証拠は、古いサンプルから得られた。ランス・オ・メドー遺跡で発掘された木製品については1960年代に何十回も放射性炭素を用いた年代測定が行われ、この遺跡が約1000年前のものであることがわかっていた。しかし、当時の年代測定技術はまだ未熟で、しばしば数十年、ときに数百年単位の誤差があった。(参考記事:「バイキングの遺跡、カナダ東部の島で発見、北米で2例目」 https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/040500122/ )
幸い、先見の明ある考古学者たちは、将来はもっと優れた年代測定法が開発されるだろうと予想し、遺跡やその周辺で発見された数百点の木片を回収して保管していた。その多くは、腐敗を防ぐためにカナダの倉庫の冷凍庫に保管されていた。今回の論文の著者であるオランダ、フローニンゲン大学の考古学者マーゴット・クテムス氏は、数年前に倉庫を訪れたときにあ然としたという。「千年前の木片が、まるで昨日倉庫に入れられたかのように、ごく新鮮な状態で保管されていたのです」と彼女は言う。「金鉱を見つけたような気持ちでした」
クテムス氏が倉庫で探したのは「人工物でもバイキングが作った美しい工芸品でもなく、ただの捨てられた木片」だった。彼女は、同じくフローニンゲン大学の放射性炭素年代測定の専門家であるマイケル・ディー氏とともに、木の年輪を利用する新しい年代測定法に適した遺物を探していたのだ。
ランス・オ・メドー遺跡の年代をより詳しく特定するため、クテムス氏は樹皮がついたままのモミやビャクシンの木片を4本選んだ。これらはいずれも、バイキングが切り出して小屋の近くに放置していたものである。(参考記事:「万年氷が解けて古代の遺物1000点出現、ノルウェー」 https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/20/042000248/ )
4つのサンプルには、ディー氏とクテムス氏の目的にぴったり合ういくつかの共通点があった。第1の共通点は、ほかのバイキングの遺物と共に地層の中から発見されたことである。これは、木片がバイキングの活動と関係があることを示している。第2に、金属製の道具を使って加工されていたこと。当時の北米では、金属製の道具を使うのはバイキングだけだった。つまり、これはバイキングの仕事の証拠となる。第3に、どの木片にも樹皮が残っていて、木の成長が止まった時期がはっきりしていることだ。
もう1つ注目すべき点がある。4本の木片サンプルのうち3本は、西暦993年の時点で生きていた木のものだったのだ。この年に発生した太陽嵐によって放出された強烈な宇宙線は、地球に降り注いで世界中の木々の年輪に刻み込まれた。研究者たちはこれを「宇宙起源放射性炭素イベント」と呼んでいるが、このような現象は過去2000年間に2回しか発生していない。
・・・・・・明日に続く・・・
⨁⨂参考資料: ヴァイキング(Viking)とは…!!? =3/4= ⨂⨁
ヴァイキングの舟
ヴァイキングは「ロングシップ」と呼ばれる喫水の浅く、細長い舟を操った。ロングシップは外洋では帆走もできたが、多数のオールによって漕ぐこともでき、水深の浅い河川にでも侵入できた。また陸上では舟を引っ張って移動することもあり、ヴァイキングがどこを襲撃するかを予想するのは難しかった。まさに神出鬼没といえる。このため、アングロ・サクソン人諸王国や大陸のフランク王国も手の打ちようがなく、ヴァイキングの襲撃を阻止することはできず、甚大な被害を受けることになる。戦闘に主に用いられた。ロングシップのほか、戦闘にも貿易にも使用できたと考えられているクナールなど、ヴァイキングは何種類かの船を併用していた。
ヴァイキング船については、オスロ市ビグドイ地区にあるヴァイキング船博物館、およびデンマークのロスキレにあるヴァイキング船博物館が中心となって研究がおこなわれている。また、ヴァイキングには、船を副葬にする慣習(船葬墓)があり、ノルウェー・ヴェストフォル県トンスベルグ近郊のオーセベリ農場の墳丘墓で見つかったオーセベリ船や、同じくノルウェーのヴェストフォル県サンデフィヨルドのゴクスタ農場墳丘墓で見つかったゴクスタ船など、いくつかの船が完全な形で発掘され、ヴァイキング船の研究に大きな役割を果たした。オスロのヴァイキング船博物館には、オーセベリ船およびゴクスタ船、トゥーネ船が展示されている。
商業
ヴァイキングは通常の商業も活発に行っており、ユトランド半島東岸のヘーゼビューや、スウェーデンのビルカは商業拠点として栄えた。ビルカからの交易ルートは、例えばブリテン諸島、イベリア半島、イタリア半島、バルカン半島、ヨーロッパロシア、北アフリカに達した。9世紀のイスラム・ディレム銀貨がバルト海のゴトランド島から大量に発掘されるなど、西アジアへの交易路はルーシの地を経て東ローマ帝国やイスラム帝国へと出る、いわゆるヴァリャーグからギリシアへの道によって東方世界とつながっており、コンスタンティノープルとの貿易も、ヴァイキングの通商路である。この事実から、ヴァイキングたちにとっても航海の主たる目的は交易であり、略奪の方がむしろ例外的なものだったと考えられる。
・・・・・・・明日はヴァイキングの“足跡”
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