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ぼてさん、時々ベンジャミン、たまにJW.org

エホバの証人に対する記憶、気持ち、想い、葛藤、未来を書いています。

ゆるく、まったりと、カリカリせず、あくまで個人的な注解。ときどき沸騰するかもしれないけど、それはそれで。

落語のマクラ(ネタに入る前の雑談みたいなやつ)のような感じで気楽に読んでいただければ幸いです。

セクション2は「思い煩い」だそうです。

イエスも,終わりの時には 「生活上の思い煩い」 のためエホバに仕えることが非常に難しくなる場合がある,と述べました。(ルカ 21:34) あなたはいかがですか。 金銭的な心配,家族の問題,健康上の不安を抱えて,耐え難く感じていますか。 エホバはあなたをどのように助けることがおできになるでしょうか。

まず、ここに挙げられている問題は何故起こるのでしょうか?いくつかはエホバの証人をしているので、引き起こされることもあると思うのです。
・金銭的な心配・・・開拓者辞めて、集会行くの辞めて、奉仕行くの辞めたら時間増えるし、仕事も増やせるよ。
・家族の問題・・・・・それは未信者の家族の事ですか?排斥された子供たち? エホバの証人辞めたらみんなと仲良くなれるよ!
あれれれれ?
戻った方が問題になるじゃん!!

「普通を超えた……力」
エホバは普通を超えた力を与えてくださる? どんな時にですか?

思い出してみてください。 あなたも 「普通を超えた……力」 を受けていました。
励みになる講演や話を
聴いて,エホバの忠節な愛に対する認識や感謝の念
が深まったのではないでしょうか。

どうコメントしていいのか分かりませんが・・・・。えーっと、
私が出席した地域大会のバプテスマの話でバプテスマを受ける人に対し「みなさんは、まな板の上の鯉です!!!キリッ」とお話しされた方がおられました。
エホバの忠節な愛ですか?まな板の上に置かれて切り刻まれるのが、ですか?
まぁその後、その話をされたご本人と話をする機会があり「大会司会者から怒られました」と言われました。
エホバの忠節な愛・・・ですか。

あ、ひとつの例だけで全てを語ってはいけませんね。公平ではありません。ただ、普通の力を超えた講演って無いです。話の上手さじゃなくて心底「エホバだいちゅき!!!」となる話は記憶にないナ。私が悪いんですか?

 また,他の人に楽園の希望について教えた時,エホバの約束に対する信仰が強くなったのではないでしょうか。

別に。

わたしたち
は,集会に出席し,また自分の信じていることを他の人に語ると,生活上の思い煩いに耐えるための力が湧いてきて,思いも平安になり,喜んでエホバに仕えてゆけるのです。

集会の不幸自慢でございますか? 姉妹たちは結構お好きですよね。もちろん真剣に困っている人を茶化してはいけません。
「兄弟、祈りが大切なのよ。」「兄弟、祈っておくわ」 ありがとうございます。でも、「ふさわしい時にエホバが解決してくださるわ」「今は忍耐よ」ってその人を傷つけていると思うのです。この言葉って痛いのを我慢しておけ。と言いながらその場を通り過ぎることですよね。これは辛い。本当に辛い。何か具体的に少しでも助けてあげてください。

「エホバが善良であることを味わい知れ」

↓どの口がそんなこと言うの? この口か? この口か?
しかし実際のところ,あなたは一度に多くの方向へ引っ張られているように感じるかもしれません。 例えば,エホバは,わたしたちが王国を第一に求め,クリスチャン
としての活動の予定を守るよう,望んでおられます。(マタイ 6:33。 ルカ 13:24) しかし,反対されたり,病弱であったり,家族の問題を抱えたりして,十分にでき
ないとしたら,どうでしょう。 あるいは,会衆と共に過ごせる時間や体力が世俗の仕事に奪われるとしたら,どうですか。 すべき事柄が山ほどあり,それらをこなす時間も体力もないため,圧倒されるように感じるかもしれません。 エホバから期待される事柄は多すぎる,と思うことさえあるでしょう。
そう感じるとしても,エホバは思いやりのある方です。わたしたちに,できる以上を期待したりはされません。わたしたちが身体面や感情面の重圧から抜け出すには時間がかかる,ということも理解しておられます。—詩編 103:13, 14。

できる以上を期待したりされません。ですって。期待はしていないけど、要求はしますよね。
かつ要求が多すぎます。エホバの証人を本気で中心に生活し、その他を犠牲にしないと要求を満たせません。
これを、なぜできる以上に期待されたりはされません。と言うのでしょうか。これを幸福な状態と言えるのでしょうか?と、と問いたい。

「ずっと待っていた良いきっかけ」

冒頭で紹介したジューンは,どのように力づけられてエホバのもとに帰ったでしょうか。 こう語っています。「エホバに祈り続け,助けを願い求めました。 その後,息子の嫁から,わたしの住んでいる町で大会が開かれることを聞きました。 それで, 1日だけ出席することにしました。 エホバの民とまた共にいることができて,本当にさわやかでした。 わたしにとってはその大会が,ずっと待っていた良いきっかけとなりました。

こういう方がおられても良いと思うのです。組織や会衆に問題なく自分だけの問題ならそういうこともあるでしょう。でも、そんな人ばかりじゃない。
何度も書くけど、組織の腐敗や、偽預言や、偽善や、会衆での虐げで去って行った人もいるのに、そういう人は引用した所のような気持になれるわけないでしょう。
知っているのに知らんふり何故?何故なの?

うーん、そういう事なのかな?なんか基本的なことでずれているような気がする。
(本当に考えている)

あ、そうだ。後半にも出てくるかもしれないけど、「組織は完璧です」臭がとてもするのです。
全部、出て行った人の問題で、組織には問題ない。さぁ戻っておいで再調整(久しぶりの言葉最近聞かないね)してあげるから!みたいな。

いやぁ、年寄りばかりの統治体で、もうろくが始まっている人もいてなかなか上手くいかないんだけど、会衆にも迷惑かけているよねぇ迷走して申し訳ないね。
これから、ドンドン良くしていくからさ、戻って来てよ。新しい空気を入れておくれ。新しい空気を嫌がる巡回監督や長老がいたら、統治体の名で首にするからさ。

ってこのブロシュアに書いてあると、印象も変わったのにね。

最後、話の流れがチグハグになりましたが、これは入れないと!と思ったので追加しました。

次回はセクション3でーす。
羊がおびえています。 牧草地で草をはんでいる間に他の羊からはぐれてしまったようです。

おっと、いきなり誤解から入りました。羊がおびえたのは、はぐれたからではありません。元羊飼いに見つかってしまったからです。
個人的に感じていたことですが、エホバに養われているという感覚が研究生の頃から、あまりありませんでした。(私1世です)
バプテスマを受けてしばらくして会衆が分かれて、研究司会者とも別れたので、ひとりで生きているような感じでした。ある意味のびのびとしていましたが、子どもが一人で原っぱで遊んでいる感覚でしたね。特に誰からも援助されることもなく、過ごしていました。もっとも援助は求めていませんでしたが。いわゆる放牧です。

エホバは 「散らされたものを連れ戻し,打ち砕かれたものに包帯をし,病んでいるものを強める」 と約束しておられます。 (エゼキエル 34:16) 弱っている人や思い煩いに押しつぶされそうな人を強めてくださるのです。

本当にそうなの?
牧羊訪問だって、最初の一言は褒めてくれるけど、その後は出来ていないことのオンパレード。私への偵察以外の牧羊で褒めてもらって終わったことなんて無いよ。
言葉柔らかいけど、言っていることきついよ。

羊が傷ついているなら,その原因が信仰の仲間にあるとしても,包帯をして傷が癒えるようにされます。

どの口がそんなこと言うの? この口か? この口か? まぁ、私はほとんど被害無かったけど・・・。
ハニーはいろいろあったからなぁ。あの時は未熟だったよ私は・・・。

あれ注解になっていないよ。

口さがなく息が詰まる様な会衆で、誰がどのように包帯をして傷が癒えるようにしてくれるのでしょうか。
「エホバを待ちない。」というのが癒しですか? すぐに対応できて、公正でなければ誰も癒されません。
「その時が来たら正されるよ。」って言葉も都合のいい言葉、いつなの? それまで我慢なの?
会社でも何かをする時には5W1Hが必要になります。Who(誰が) What(何を) When(いつ) Why(なぜ) Where(どこで) How(どのように)です。
で、これが無いと計画も通りませんし、何も出来ません。上の「エホバを待ちなさい」「その時が来たら正されるよ」というのは、全く具体性のない、ただの言い訳です。
この言葉に誰が責任持てるのでしょう。その場をやり過ごすための便利な言葉です。

世話する責任を感じておられる。
エホバは, 「自分の羊を世話し,……散らされたあらゆる場所からこれを救い出す。 わたしは失われたものを尋ね求め」 る,と述べておられます。 (エゼキエル 34:12, 16)

責任を感じている? 責任を感じているなら、私(&ハニー)が病気だからって訪問を断ったとしても来てみろよ!
その責任の意気込みを感じさせてくれ。 といっても本当に来られたらしんどいな。でも今なら何でも話せる!!!

「新しい日をもたらしてください」
エホバを知るようになった頃のことを思い出してみてください。
例えば,神のお名前と人類に対する目的に
ついて胸の躍るような真理を初めて知った時,どんな
気持ちになりましたか。

お名前を知ったときは、「変な名前」と思いました。
人類に対する目的を知ったときは、「おおぉ! まぢ?!」と思いました。 

 大会で仲間のクリスチャンと一つに結ばれて元気づけられたことを思い出せますか。

でも、大会会場にあんなたくさん人がいたのに、今となっては誰一人親友がいません。私が悪いのでしょうか。
  
また,誠実な関心を示した人に良いたよりを伝えることができた時には,幸福感と深い満足感を抱いて家路に就いたのではないでしょうか。

いやぁ、再訪問ってメンドクサイと本気で思いました。
それに、気の弱い私には本気で押し付けるような再訪問をすることが出来ませんでした。
あ、初対面でひとり「研究したいです!!。」という人に会いましたが、さっさと誰かにゆずりました。

とはいえ,エホバのもとに帰ることはそう簡単ではない,と思えるかもしれません。難しくさせるどんな問題があるか,どうすれば乗り越えられるか,考えてみましょう。

エホバのもとに帰らなければならないんですか? 問題を解決するんですか? 考えるんですか?
このブロシュアを読んで、こんな感じか反発感を持つ人が多いんじゃないですかね。やっぱり。
このブロシュアで心が揺れる人は少ないんじゃないですかね。


今年の地区大会で発表された「エホバのもとに帰って来てください」というブロシュアを読み始めましたが、突っ込めるので不定期でセクション毎に私が感じた事を書いていきます。
若いセクションでの疑問が後のセクションで答えられている可能性もありますので、お前全部読んでないだろう!とか突っ込まないでください。多分後で理解する(出来るかは不明ですが)でしょうから優しい目で見てくださいね。

親愛なる信仰の仲間へ(統治体からお知らせ)
まず、このブロシュアの対象となる人について書かれています。
(青字は引用)↓多すぎ!!
そのために,ある人たちはエホバのもとから迷い出てしまいました。 それらの人はエホ
バから全く離れてしまったのでしょうか。 いいえ,そうではありません。 多くの人は,次のように祈った詩編作者のようです。 「わたしは失われた羊のようにさまよいました。 ああ,あなたの僕を捜し求めてください。 わたしはあなたのおきてを忘れなかったからです」。 (詩編 119:176) あなたも,そういう気持ちになりますか。

ここでは、自分から能動的に組織から出た人の事を対象にしていない様に読めます。
いや、そんな人いない事はないけど、ほとんどいないだろうに。多分、私の知っている範囲では。
もう少し言いますと、「迷い出る」というのがイメージできません。ふらふらぁ~とプロテスタント教会に入ってしまう事でしょうか?「あ~集会なんとなくイヤだなぁ」と思ってなんとなく、集会に行かないことなのでしょうか?
私が思うに、ある日突然に聖書の言う罪を犯して排斥になるとしても、かなり紆余曲折あり最終的に確信的で離れている場合が多いのでは無いかと考えています。

エリフは,ヨブの重荷を増し加えたりせず,ヨブの必要としていた助言や励ましを優しく差し伸べたのです。わたしたちもそれと同じような気持ちを抱いて,このブロシュアーを準備しました。 まず,漂い出て離れた人たちの事情や思いに注意を払い,よく聴きました。

だそうです。なので、このブロシュアは統治体がエリフのようにやさしく対応したことがないと思われる統治体が、悔い改めやさしくエホバの元に戻してくれるそうです。楽しみです。
だけど、「迷い出る」とか「漂い出て」行っているというけど、認識甘いと思うよ。そんなんじゃない。離れる人は、もっと根は深く、スピードも速く、勢いもある。
「統治体! 何言ってんの?(ブライト・ノア風に)」

次回はセクション1です。 お楽しみ・・・かな?