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ぼてさん、時々ベンジャミン、たまにJW.org

エホバの証人に対する記憶、気持ち、想い、葛藤、未来を書いています。

暑いですね。みなさん。こんなに暑いと汗が噴き出て止まりません。
しかし、こんなに暑いのに私の体の脂肪は、すき焼きに使う牛脂の様に溶けてくれません。
皆様は如何でしょうか?

最近我が家のハニーが実家で揺さぶられています。
(↑こう書いても、我が家以外にはハニーはいませんのでご安心ください)

というのは月に何度か彼女は実家に帰るのですけど、その度に「いまは仕方ないけど、ゆくゆくは必ず集会に行くように」と耳にタコが出来るくらい言われているそうです。

すでに、私よりも短いものの、年単位で奉仕はもちろん集会にも行っていないわけですから、親としては心配なわけです。さらに、旦那である私が病気療養中とはいえ働かず、集会にも行かず、ハニーに霊的援助をしていないので、霊的に脱落しないか心配しているのでしょう。
私はともかくハニーだけでも残留を!!という感じがしています。

ハニーの心は揺れているようです。しかし今は彼女の心境は不可知論です。
エホバはいるかどうか分からない。考えても答えが出ない。だから、私の関知するところではないとの事でした。宗教なんて今は興味がないと言い切っていますが・・・。

一方、もし私たち夫婦の子供が出来ることがあったら、エホバの証人として育てたいそうです。
彼女の友人でもあり私の友人でもあった(あれ?私だけ過去形)夫婦に子だくさんの夫婦がいますがエホバの証人として、今のところ順調に育っているのでそういうのを見ると、聖書の子育ては正しく、世の子育て方法は不安なんだそうです。

この辺がすごく問題を根深くしていると思います。一方では捨てようとして、もう一方では再び拾おうとしている。あー、これがジレンマか。

それで私が、鞭で虐待され誕生日会もクリスマスも出来ず、お祭りにも行けない。そんなのでいいの? それらをしなければならないと私は考えないけど、「する」か「しない」かの選択肢がある事は大切な事だよ。その選択肢を与えないの?と聞くと否定はしなかったのです。それでも・・・・・・だそうです。

これをマイコンと言えば身も蓋もないのだけど、2世って根深いなぁ。と怖くなりました。

それでハニーがブログで、これを聞いて欲しいと言っていました。もしよろしければ、答えてやってください。(男女問いません)

Q:自分(親)はエホバの証人を辞めても(辞めていても)、子育てはエホバの証人方式でやりたいと思いますか?それとも世の方法(エホバの証人以外の自己流を含む育て方)ですか? なぜですか?

お時間がありましたらコメントにて答えてやってください。よろしくお願いします。

んでぁ!






このシリーズも後半に入りました。

「罪悪感」だそうです。

ごめんなさい。今回のセクションはものみの塔と同じです。何月何日号と同じじゃなく、このテーマの時の記事と同じ内容です。
出てくるのは、ダビデに放蕩息子、イエスの贖い、長老。知っている人なら知っていて、その適用は出来る方でしょう。

なので、罪悪感を持って離れた人には効くかもしれません。

でも、私は悪感」ではなく悪感」なんです。分かってくれます?統治体さん。

一字違いますよね。
そこんとこ書き間違えておられますので、書き直しをお願いしたいです。

このセクション、注解を何十行か書いてみましたが面白くなかったので、これだけにしました。
申し訳ありません。実に教科書通りのくだらないブロシュアの記事だったので・・・。

だから戻る気にはなれません。
今日はあちこちで地区大会が行われているのでしょうね。

暑い中お疲れ様です。あ、でもプログラム中にこんなブログ読んでいていいんですか?

そろそろ午後のプログラムが始まるんじゃないですか?

隣の人や後ろの人が疑いの目であなたを見ていますよ(笑)

さてさて、今日はセクション3です。
傷ついた心だそうです。

「会衆のある姉妹から,わたしがその姉妹のお金を盗んだ,と非難されました。 それを聞いた会衆の他の人たちは,その姉妹に味方するようになりました。 しかし後日,姉妹は,事実が明らかになって,わたしが盗んだのではないことが分かった,と言ってきました。 本人は謝りまし たが,わたしは,こんな目に遭わされて絶対許せない,と思いました」。—リンダ。

おっと、いきなりミスリードが冒頭から始まります。しかし後日,姉妹は,事実が明らかになって,わたしが盗んだのではないことが分かった,と言ってきました。 これは許さなければならないような状況です。疑われて→みんなが敵になって→当事者が謝りに来た。まぁまぁ、そういう場合だったら「許しても良いと思える」状況かもしれませんね。
ここで、読者は”悪いのは許さない方だ”となってしまっています。

一般的に傷つけられるのは、していないのに罵られる事、していないのに罪を着せられること、それがずっと続くことです。誰も謝りに来ません。見えない敵と戦っているようなものです。

天の父はすべてを知っておられる。 エホバは,わたしたちの直面する不公正やそれによる苦しみなど,起きることすべてを見ておられます。 (ヘブライ 4:13)
ならば、
エホバは,わたしたちがどんな 「患難,あるいは苦難」 に遭っても,たとえ神の僕のだれかにつまずかされたとしても,愛してくださっているのです。 (ローマ 8:35, 38,39)
その結果
とあるなら、自分とエホバの間が何かに,あるいはだれかによって引き離されたままではいたくない,と思うのではないでしょうか。
となるのは何故でしょうか?
患難を無くしてくださらないのは何故でしょうか? 全てを見て、被害者を可哀そうだと思って愛してくださるのに、被害者にそこに留まるように言うのは何故ですか?と問いたい。

これを読むと、いじめで自殺した学生がいた学校の校長を思います。
記者会見でいうとこんな感じかもしれません。

記者「自殺した、ぼて君がいじめられていたのを知っていましたか?」
校長「ええ、彼は担任教師との意思を通わせる「祈りのノート」にSOSを求めて担任に状況を説明していました。」
記者「ではなぜ、ぼて君を適切に助けなかったのですか?」
校長「はい、この学校は全ての生徒を愛しています。加害者が被害者に対する責任を感じるまで待ち、被害者と加害者が相互に理解しあうことを期待しています。」
記者「それは責任逃れではありませんか? 校長、もしくは教師としての責任を放棄しているように感じるのですが。」
校長「違います。この学校の教師全てはぼて君を愛していました。そして、生きて問題を解決してくれると信じていました。」
記者「それは、自殺したぼて君が悪いという事ですか?」
校長「いいえ、そうではなく。それは、ぼて君の判断であり、ぼて君の問題だと考えています。」

みたいな・・・。
凍り付きそうな記者会見です。

次の場面を想像してみてください。 あなたが,重さ1㌔ほどの石を拾い上げて,腕を伸ばした状態で持ちます。 少しの間なら,持っていることは難しくないでしょう。 しかし,その姿勢でどれほど長く持っていられますか。 数分でしょうか。 1時間あるいはそれ以上でしょうか。 きっと,腕が非常に疲れてくるでしょう。もちろん,その石の実際の重さは変わりませんが,持っている時間が長くなればなるほど重く感じるものです。 憤りの場合もそうです。 悪感情を,それが少しだとしても,抱いている期間が長ければ長いほど,自分を苦しめることになります。

分かったような分からない例えですねぇ。憤りは常に同じ重さではありません。そして、腕を伸ばしたように心臓(心)から離れた場所にあるのではないのです。憤りは今まさに心臓(心)にあるのです。憤りは体内にあるのですよ。そんな他人事の様な例えを使わないでほしい。
そしてその憤りは波のように1キロになったら5キロになったりしながら人を苦しめるのですよ。

エホバがわたしたち
に,憤りを持ち続けないよう勧めておられるのも,もっともなことです。 実際,憤りを捨てるのは自分自身のためなのです。—箴言 11:17。

言いたいことは分かるけど、そう割り切れたら憤りなんか持たないよ。



ブロシュア自体の内容が浅い。

タイトルが「外傷に関する救急対応について」というような名前がついているけど、内容はバンドエイドの貼り方に終始しているような。

このセクションで思ったけど、冒頭からの例がある程度和解された状態からの許しについてあるけど、そこまで行かない場合どうするんだ?
多くの場合、加害者が被害者の申し出を否定するとかあると思うけど、まぁそんなことは、この組織には無いとでも言いたいのでしょうか。それとも同じように許せということなんでしょうか。多分両方なんでしょうね。