エホバの証人の問題を単純化させる事に関する弊害の考察 その1 | ぼてさん、時々ベンジャミン、たまにJW.org

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エホバの証人に対する記憶、気持ち、想い、葛藤、未来を書いています。

いつの大会だったでしょうか。実演でこんなセリフがありました。
 
あ、今回の前置きはありません。ぼてさんです。
 
こんな感じです。
平信徒が仕事とかで集会に行けなかったり、奉仕に出られなかったりして長老が牧羊をしています。(細かい所は省いています)
平信徒:「仕事もそうなのですが、いろいろと問題が複雑で・・・」
長老:「問題は複雑ではないのです。複雑にしているのはサタンなのです。」
長老:「実際には問題とても単純なことなのに、サタンが複雑にしているのです。」
平信徒:「そうなんですね!」
長老:「私たちは神の側に付くか、サタンの側に付くかのどちらかなのです。とても簡単な事です。」
のような実演だったと思います。
 
これを思い出すと次に必ず思い出すのがSTARWARS3のダークサイドに落ちたアナキン・スカイウォーカー(ダースベイダー)と、そのジェダイ側の元師匠オビワン・ケノービとの会話が出てきます。
 
アナキン:「仲間(ダークサイド側に来ること)にならないのか?なら、敵とみるしかない。」
オビワン:「シス(ダークサイドの親分)らしい決めつけだ!」
 
この2つの例はどちらも、善悪についての問題を単純化して決めつけてしまっています。
こうなってしまうと何が起こるのかというと、3つの問題点が出てきます(ほかにもあるかも)。
 
1.問題解決の精度が低くなる。
2.成功か失敗という判断しか出来なくなる。
3.問題解決のための思考力の低下。
 
1.については簡単で、数学の例で考えると小数点の桁を少なくすると計算は簡単になりますが、誤差が大きくなります。同じように、通常は現在の状況と、解決した姿。そこに至るまでの予測される問題をいくつもパターンを作って、最適な答えを見出していくのですが、あまりにもエホバやサタンを前面に出して、分かったような顔でピョンピョンと飛びながら解決した様な気持ちで動いていくと最終的に最適な答えにたどり着くのは難しいと思います。1の例だと最終的に仕事を失う事にもなるんでしょうね。
まぁそれでもいいなら、何も言いませんがね。
 
おっと、時間が来ました! 2,3については、後日考えましょう。
まぁ、偉そうに書きましたけど、誰もが気付いていることだと思うのですがね。
備忘録としても、書いていますのよ。
 
んでぁ!