私の会衆にいた親身な長老 | ぼてさん、時々ベンジャミン、たまにJW.org

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エホバの証人に対する記憶、気持ち、想い、葛藤、未来を書いています。

そういえば、こんなことがありました。

 

私のいた会衆には同級生だった長老がいました。小学校も、中学校も同じです。同じクラスになった事もありますが、その時には私はJWではありませんでした。

 

彼が体育の授業で柔道を拒否した時、個人的にはどうでも良いことで興味すらありませんでしたが、その時にJWであることを知りました。

 

さてさて、私が主に仕事のストレスでストレス障害から鬱病へ変化している時に、彼が私やハニーに「ぼて兄弟の相談に乗りたい。助けになりたい。」と言ってきました。

 

相談に乗りたいと言ってもねぇ。それを言われたとしても、「じゃぁ話しましょうか。」とは当然なりませんよね。

相談するにしても、私だって人を選ぶわけです。でも、誤解を招かないように言っておきますが、その長老を友人としては好きですが、相談相手としては包容力があるようには見えず、人の心を察するようにも見えなかったのです。簡単に言うとボンボンですわ。とフォローしておきます。

 

そういうことを何回か言われたので、私もこう言いました。「いいよ。相談しても。でも、僕の悩みはかなり重いからそれを本気で受け取ってくれる? そして、本気で返してくれる?その覚悟があるんやったら、相談する。」

 

彼は、結局私の悩みを受け取ろうとしませんでした。

 

なんだったのかな。助けになりたいと言ってくれた事は嬉しいけどさ。

未だに彼は私に何をしてくれようとしたのかよく分からない。

 

人の悩みを聞くという事は、その悩みの重さに耐えようとすることじゃないのかな。

最終的にその重さに耐えられなかったとしても、それは仕方ないことで誰も責めない。

ただ、その覚悟もないのに人の悩みを聞こうとするアクションがよく分からない。

 

ちょっと今日の仕事中に思い出したもので書いてみました。

 

んでぁ!