私は、熱い話が好きだ。
とか言いたくないが、本腰入れて話しだすと、そのような形容をされることが多々あるため、自嘲気味にそのように言っているだけだが、実際に、世間一般には、その”熱さ”の定義を問うことも許されないような雰囲気があるように思われるわけである。むしろそれなしに何を話しているかわからない、と言ってしまうのは少々過激なようにも思われる。しかし、私は疑問なのである。
一つ傾向を取り上げるのなら、そのような思考の様式?のようなものを頭のよさと結びつけて論じるようなものがあるだろう。文脈にもよるが、実際、脳のモジュール性を加味するなら、思考様式の一つを取り上げ、それを頭のよさとして、提出するのであれば、それは同義反復、トートロジー以外のなにものでもない。AだからBである、と言っているつもりかもしれないが、実際には、AならばA、と言っているのにすぎない。そこに時系列はないため、因果関係も存在しない。相関もない。ただ、同じ物を並べているのにすぎないのである。もしかすると、頭の良さの集合のようなものがあり、その能力はその部分であるということを言いたいのかもしれない、それだと少し言葉足らずだろう。”Aの能力はBの一つの要素であるため、Aに優れているその人は頭がいい可能性(要素)を持っていると、推測される”ぐらいだろう。いくつかの能力が同時に存在した時にのみ、Bの状態になるという可能性などを含む、予測不可能な事柄も存在するかもしれないので、断言はすべきではない。
さて、実際、この頭の良さ問題の重点は、それについて定義を置かなかったことにある。そもそも、数学、物理学、哲学など様々な分野で、物事を完全・完璧に決定づけることは不可能であるといわれいるだから、オセロのように特定のルールを設定して、そのルールの中で遊ぶしかないのである。
むしろ、そのそれ以上追求を許さないようなルールを設定することでしか、言語を媒介にするコミュニケーションを行うことは不可能である。
と、私はルールを設定したいのである。
これも、原理を見れば、不可能であることは、先ほど述べたように自明である。
ルール自体も結局は、決定不可能だからである。
しかし、もうひとつ恐れるべき事態が存在する。
それは、頭の良さと一口で言うことで、理解を遠ざけるということである。
この場合の理解とは、定義を置いた上で、つまり、ルール上での物事について述べることである。
人間は高度な抽象観念を扱うことで知られているが、いやはや、その能力が状況においては、そのような理解を遠ざけることがあることである。
しかし、これは、実際、ヒューステリスクという言葉で知られるように、人間の認知経済性を維持するための機能である。つまり、人間はステレオタイプに代表されるように、情報処理の最適化(なににとって最適なのかは置いておく)をシステム的にはかるのである。
従って、人間らしいとも言える。また、その人の生活の環境においても、認知・認識の形式?は大きく変わるため、しょうがないとも言えるのである。
しかし、宗教的な利害であるとされている(テレビなどのメディアでは、まずこの話題がでる)中東情勢などを代表とする、世界各地での様々な軋轢は、このような抽象観念レベルでの齟齬であることは自明だろう。
世界中いろいろな分野の人や、職に就いている人がそれをなくそうと頭をしぼっている。
私的な話題からはじまり、ここまで、肥大化するとなんだそれ感がでてしまっているかもしれないが、それは、間違いなく、その視点こそが重要な問題の出発点であると言えるのだ。
私は、初めの私的な話題と、このような問題について規模は違えど、同じような視点から見ている。人の死など、見える形で表面化していないだけで、なにか参考になりえる、心理的な要素はそこら中に存在していると思っている。
そして、このように言うときの目的性の違いこそが、発端であると言いたい。
なぜ、そのように見るのか。
なぜ、そのように見ないのか。
それは、なぜか。
なぜ、このような問いを立てるのか。
なぜ、このような問いが立ったのか。
すべて、違う問いである。
目的性は、その問題を生むと考える。 問題が先か、目的性が先か、という問いには、唯物論をとる私は、問題性を見出す人間という生き物の身体、物質的なものが原因だとかんがえるため、どちらも同時だと、むしろ、境目は事後的につけられたものだと答えたい。
しかし、同じ環境にあって、それぞれが、違う目的性を持ち、違う問題の中でいきている。
実際は、同じ環境などないはずである。同じ空間に二人がいれば、それぞれがそれぞれの仕方で反応する。
真に同じ環境(その個体も含めて)はないのである。
こんなことをここで書くのも、しつこいが、これは、ONLY ONE とか言っているのではない。それは、事後的な観念である。
つまり、どんな状況でも、問題(言語化まえ)は持っているのである。
そして、今の私が意識的にもっている問題は、
”経済性を持たない、芸術は芸術たり得るのか”
である。
"Restrictions will set you free."
that's it!!!!!