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domanのブログ

The purpose of this is a display of my opinion and concreting it.
ブログでは主に、新聞や鑑賞した作品について書きます。

 LGBTについて話している内容を聞いてると、まず第一に思うことは、そんな問題があるの? ってことで、自分を照らし合わせると、正直、身近にカミングアウトしてる人もいないし、知り合いにもがいないので、実情を知るのは全てがメディアを通してってことになるんだけど、実際の問題がどのように生成してるのか、知りたい。


 
 だけど、よく見聞きするのは、アイデンティティをベースにして、そのうえで、社会における自分について考えてる過程で問題が生起してるって内容。


 そもそもじゃあ、問題ってなによ?

 
 って思う人がいるのかもしれないけど、たしかにそうで、よくあるのは、まずLGBTの問題がありますっていうフレームから入って、そこから、個々人の振る舞いや認識やらを列挙して、アイデンティティの問題がその中で起きてる、だから、そのその場で挙げた実例の中での改善案とか、帰納的にその実例での人々の認識の特徴、傾向を考えてみるっていうような流れを多く見るんだけど。

 まず、LGBTの問題ってフレームから入ることで、その具体例の列挙が、すべてLGBTっていうフレームワークの中で意味付けされてしまってて、実際の問題が、たぶん、当事者(つまり、いわゆるストレートの人)には、伝わりきっていないように思う。
 だから、あたかも、アイデンティティ=性差とか、そういう感じに理解されているんじゃないか、っていつも聞いてて思う。



 しかも、LGBTの人たちも、そのような形式的な操作に慣れてしまっていて、あんまり、根本には近づかない気がする。こんな言い方は適切ではないけど、そこには、少しくらい、Gender(社会的に意味付けされている部分を問題に取り上げているの意で使ってます。)を他の諸問題から切り離して考えている部分があると思う。
 もちろん、問題を細分化して、分析的に論じるのは、話を進める上で、理解を促す上で重要なことだと思うけど、それと同時に、Human beingsとしての根本問題がベースにあることを棚あげしてはいけないと思う。



 自分として、最近、こんなことばっか書いているけど、文化的に意味付けされた内容はすべて、特定の目的性のもとに認識されると思ってて、だから、まちがいなく楽観主義的なんだけど、そのこと自体メタ的に考えれて、かつ、自分にとって完全に快になる選択をするっていうインセンティブを持っていれば、こういう問題は解消できるんじゃないかって思ってて、

 そのうえでポイントのなのが、完全に快になる選択っていう部分だと思ってて、これは哲学的な場面でも、ずっと議論されている部分だと思うけど(カントで言えば、最高善、ヘーゲルで言えば絶対知、ここでは、たぶんカントに近くて、現象学的な理解を個人的にはしてます)、たとえば、



 ”ユダヤ人歌手が、黒人・同性愛者・身体障害者へのあからさまな侮蔑に加えて、日本人・中国人・朝鮮人・インド人・パキスタン人への差別用語を込めた替え歌を歌っているビデオがネット上に流出し問題となったとしても、その個人的・民族的な境遇を考えれば、そして、何より、その歌をいい気持ちで聞きたいならば、少し感傷的になって同情したり、その脆くて危うさに才能の理由を見出したりして、その人の音楽を聴けばいい。”


 昨日、書いた部分の引用なんだけど、
 人間だから、いくらでも、こういう感じで、意味なんて変えることが出来るんだから、なんでも気持ちよく享受したいなら、その理由を探してやればいい、そして、それは、もちろん主観的なことなんだから、口にする必要もないし、ただその人の努力に賛美をすればいいだけであって、けなす必要もないし、馬鹿にする必要もない。その不快にさせる行為自体が、その自分の楽しむを奪っているだけで、それ以上でも、それ以下でもない。
 そしたら、なんで、そういう不快な行為をする人がいるのかってなるかもしれないけど、それだって同じ、彼はそうしたいからそうしてる。以上、それを自分にとって、快な方向にしてやればいいだけ。だって、そうしてしまう、こと自体が美しくなる場合だってあるでしょ? 小さい男の子が好きな女の子に嫌がらせするのだってそんな見方ができる。


 そういう見方ができるだけだけどね。笑


 でも、考えてみれば、すべてそうでしょ?社会的にステレオタイプ的なそういう認識のくせみたいのがあって、それをあとで、科学やらアカデミズムが説明して、みんなに普及して使いだす。


 じゃあ、意味ってなんなの?ってなるべきだと思う。

 そうしたら、そもそもアイデンティティっていうワード自体、一度くらい、形骸化すんじゃないかと思う。

 そもそもアイデンティティっていう構成概念は、臨床的な治療とか、哲学的な思弁で、特定の目的のために作られた概念、用語ですからね。自分もそれを道具的に使う以上にのことはないわけです。
だから、その道具の使い方を知らないままに、使っているのは、いささかおかしい感じがする。