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domanのブログ

The purpose of this is a display of my opinion and concreting it.
ブログでは主に、新聞や鑑賞した作品について書きます。

近代、現代、の作品のなかには、選択性の排除があるように思える。
一握の砂、堕落論、銀河鉄道の夜。
今について、時代の趨勢に従わず得なく、”今”に至るという邂逅。



※ 今:通念的今
  ”今”:独自としての今。この”今”は全体性を無視してはあらわれないように見える。

自分の浅学は虚しい。

おそらく、そこには前提として、”私”があるのだと思う。
卵は間違いなく後である。

そうする理由があったに違いない。

それは、歴史を思った時にあらわれる反省であったようにも見えるし、
それは、自己を措定することで、見るべき未来を据えたように見える。


それは、間違いなく、邂逅でなければ、ならなかった、はずである。

背負った責任の転嫁。
ただ、私から”私”へ。
畢竟、偶然がつなぎ目である。

むしろ、それを埋めんと必死をこく、姿がある、ようにみえる。



自分の好きなものを、好きであることを、守るために他者を排除するのは、大変ウツクシイ姿である。

と、彼らは言うはずである。

また、食べられそうになり、井戸に落ち、神に願った蝎が、真っ赤に燃えて、皆を照らす自分の姿をみたように、私たちは、それをみるべきである、ように思われる。

偶然は偶然のままにあるべき、だと思う。