銀の匙を筆頭にして、食品、農業、料理系の漫画が多くみられるのは、間違いなく、日本の未来を据えてのことだと思う。食に対する希求が何よりの付加価値になるだろうから。美味しいものを食べるということにどのように食べる側からアプローチできるかというのは、色んな学識からも強調されること。
これはお笑いに似てると思う。
1990年代のお笑いライブの定価は1500円とか。もちろん、上の方はもっと高いけど。だけど、それにいくら突っ込めるかっていうのは、ある側面では、文化的な所産も多くあるんだと思う。値段に対する固着観念ほど怖いものはない。そのコミットほど重要なものはない
小さな発展した島国として、なにができるのか。
マダガスカルの特異な生態系ばりに、なにができるのか。
複合的なカフェやら、施設の存在の妙はそこにある。
複合的な心理的葛藤に対する、精神病理たちは、いわば、必然的にしかみえない。
誰の言葉か、忘れましたが、”人は見たいように、見る” この一言に尽きる。
分業と欲望の分散は違いレベルで機能すべきだった。
食品偽装を嘆く人たちは何を嘆いているのか。
虚偽はいけないことだが、その人たちは、高い料理を本当に楽しむための度量はあったのだろうか。
働いたことがあれば、バイトでも、そんなことわざわざメディアで言わないでも分かっていたことだろう。
もちろん、全てがそうなわけではないことは当たり前だが、そうだ。
実際、ここで発言が裏返る、私はこのように見たいから、そう見ているのである。
しかし、私は、この姿勢を持って、すべてを楽しみたい。
そこに変な偏重はなく、同じ地平に立ってるように精進したい。
ルールとともにである。