汎化とは、心理学の用語で、一定の条件反射が形成されると、最初の条件刺激と類似の刺激によっても同じ反応が生じる現象のことを意味するが、同一の刺激がさまざまな反応を引き起こすときを反応様相も意味する。
これは、社会現象の説明にも、使えるだろう。
先日、大学がゆるキャラを作ったことを報じる記事を読んだが、そこでは、海外、とりわけ、ヨーロッパ圏の大学、アカデミズムの雰囲気と、日本のそれとを比較していた。
簡略的にいってしまえば、大学の産業化に対する揶揄のような感じだ。海外と比較した時に生じる日本の大学の現状に対する問題意識があるのだろう。
このようなメディアによる、意味の賦活は、汎化作用を持ち得る。
そもそも、この記事でいいたいのは、”日本には、Aのような違いが海外とある。それは、Bの違いの原因である可能性がある。また、そう考えうる理由と見なせる何かある”ということだろう、つまり、実際的には、因果関係がそこにあるのかも、もしくは、関係自体があるのかもわからない、ということも意味的には孕んでいるわけである。
しかし、メディアという意味を通じて、それを受ける人は、それが一般論であるという認識のもと、その対置の中で自身の考えを構築するのではないだろうか。
もう昭和ではないので、このような危惧は時代遅れだろうか。
私はそうとは思わない。
そもそも、言葉というもの自体数奇な存在である(と思いたい)。
さきほどの、大学ゆるキャラの件では、そもそも、大学のそのような取り組みは、対外的なものであり、学業から分離された”仕事”ではないだろうか。
おそらく、大学の勉強している生徒でそんなもんを気にしている人はいない。
そのキャラの開発にお金が出るなら話は別だが、そもそも、売名目的なら、有名なクリエイターとコラボとか名売った方がいいなど、企画書の段階で決まっていることであり、生徒との関係など一切ない。むしろ、地域に根付く大学を目指すなら、福祉、教育ならなおさら、そのようなイメージ造りが、地域コミュニティの円滑化を促すという予測の方が、変に海外なんかと比較する前に、思いつく。
そして、生徒そのような、取り組みを俯瞰から見ることで、それらの取り組みについて、包括的に理解し、そしてそれが、それこそ、学業に転換されて行くのではないだろうか。
一つの行為の一側面だけを見て、簡略的に処理したがるのは、人間にしかり、企業にしかりであるようである。
その一見馬鹿みたいな思考を反面教師にして、など自己犠牲的な態度であるなら、たまげたもので、企業であることを加味すれば、その不合理性を学び得るだろう。
たしかに、自信と使命感は生まれるかもしれない。笑
そして、このようなメディアの態度、私のような態度、それらは、特定の刺激に対して、同じように振る舞うように作り上げられた条件付けの結果でしかないだろう。
たしかに、高次な概念操作にたいして、行動主義的な説明では無力であると言われているが、特定の感情変化の後に、思考が形成される事実を考えれば、一般化された意味対する反応の源泉も、そのようなものであるはずである。
そのあと、討議の場などで、様々な立場の他者とのコミュニケーションを介し、ルールの設定や概念的な操作が行われ、コンセンサスを作り上げて行くのだと思うが、
個々人としてのそれは、極めて単純なものである。
さまざまな余分なものを排除し、論理構造だけを提出すれば、極めて分かり易くなるに、いや、分かり得るものに、なるに違いない。
クジラを殺すのに反対する理由は?
という質問にどうこたえるだろう。
状況によるというのが、まず、第一。
自分の意見が効果を持ち得る可能性を見出せなければ、そんなもん、考える価値はない。
これで考えろとか言う人は、倒錯してる。
立場の違い、状況の違いについて、勘違いしているのだろう。
知識がなければ、意見は持てない、とか言っている人も、大きく勘違いしてる。
実際、多くの討論はこのような地点から、開始されるべきである。
なにが問題なのか。
そして、何故それは問題たちえるのか。
その条件は?
反対?賛成?なんていう聞き方は、常軌を逸している。
なぜそれが、問題なのか。
提出すべき。
小さなコミュニティの通念が、当たり前になる現象。
そして、根本的な道徳的な感情のようなものを措定して、していることに無自覚なこと。
そして、それを表明しない態度。
すべてが問題である。
なぜなら、特定の問題意識を持つための条件と、その問題がどのような結果になれば、問題でなくなるのかについての解決の条件、また、その討議のルール(導出規則)について、ノータッチであることは、初めから、討議として成り立ち得ないからである。
本当の愛とは?
という問いについて答えをだすというぐらい不毛なことをしている。
そして、権利を持つものであるならば、このようなことについて、常に意識されるべきである。
多くのメディアのお話はこのようなところをうろうろしている。