水谷豊と伊藤蘭の娘趣里が、歴史を変えようとしている「ブギウギ」、ついに名曲東京ブギウギ誕生!
◉ 笠置志津子の名曲「東京ブギウギ」は、戦後の日本に大きな影響を与えた作品です。この曲は昭和23年(1948年)に発表され、笠置が「ブギの女王」として一世を風靡しました。彼女の歌手としての再起は、個人的な困難と悲しみの中から生まれました。
戦中、笠置は吉本興業創業者の子息、吉本穎右と恋に落ちました。彼女は穎右と結婚を誓い合いましたが、彼が結核で亡くなり、さらに戦時下の混乱の中、東京大空襲で家を失いました。穎右との子を身籠っていた彼女は、彼の死の直後に娘を出産しました。当初は出産後に引退する予定でしたが、穎右の死とシングルマザーとしての責任を背負い、歌手として再びステージに立ちました。
「東京ブギウギ」の制作には、作曲家服部良一の協力が不可欠でした。服部は、中央線の振動音から曲のひらめきを得たとされています。この曲は、終戦後の落ち込んだ日本人を元気づけ、熱狂的な大ヒットとなりました。
笠置志津子は、美空ひばりなど他のアーティストにも影響を与え、彼女たちがデビュー前から「東京ブギウギ」などのブギウギソングを愛唱していたことが知られています。
笠置志津子の生涯と業績は、日本の音楽史において重要な位置を占め、彼女の歌は今も多くの人々に愛され続けています。彼女の人生は、戦中から戦後にかけての日本の社会変動の中で、音楽を通じて人々に希望を与え続けたことで記憶されています。
◉笠置志津子
笠置志津子は、1914年8月25日に香川県大川郡相生村(現在の東かがわ市)で生まれました。彼女は昭和2年(1927年)、大阪松竹楽劇部(OSK日本歌劇団の前身)に入り、三笠静子の芸名で初舞台を踏みました。その後、芸名を笠置志津子と改め、作曲家・服部良一と共にジャズ歌手として活動を開始しました。しかし、戦時中の日本では公演が度々中止されるなどの困難に直面しました。
彼女の代表曲「東京ブギウギ」は、昭和23年(1948年)1月に発売され、大ヒットしました。この曲は、戦後の日本における西洋音楽の流行の兆しを示し、多くの人々に元気を与えた作品です。笠置志津子は、「ブギの女王」として一世を風靡し、日本のポップスやJ-POPに大きな影響を与え続けています。
彼女の人生は、戦前から戦後にかけての日本の社会変動の中で、音楽を通じて人々に希望を与え続けたことで知られています。昭和30年(1955年)に「たよりにしてまっせ」を最後に歌手を引退しましたが、その後も芝居やテレビドラマなどで活躍し、昭和60年(1985年)3月30日に70歳で亡くなりました。
笠置志津子の人生と業績は、日本の芸能史において重要な位置を占め、その影響は今日に至るまで色褪せることがありません。彼女は、令和5年秋放送の「NHK連続テレビ小説『ブギウギ』」のヒロインのモデルにもなりました。