逢えるじゃないか また明日 PartⅡ -28ページ目

逢えるじゃないか また明日 PartⅡ

ボスザウルスの隠れ家から「逢えるじゃないか また明日 PartⅡ」に変更しました。yahoo!ブログの閉鎖に伴い、アメブロに移動し、合体させました。引き続き宜しくお願いします。

ただ今編集中に付きしばらくは不完全ですので宜しく。

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台風一過、素晴らしい青空を見ながら仕事場へ向かう。
毎日通る風見鶏のある家の屋根の上を、キラキラと光る飛行機まではっきりと見える。点のような飛行機もアップにすると、綺麗に撮れた。
 
建設中のビルのクレーンも、何か誇らしさを見せている。
マンションも朝日を浴びて、青空に威風堂々。
 
日本を縦断した台風も、日本上陸後は、その威力も衰え、各地に大きな被害を浴びせながらも、予想を下回ってくれたのは有難い。
昨日までの重苦しい雰囲気も、朝のスカッ!とした青空は、気分も晴れやかにしてくれる。
 
明日はまた東京は雨模様。
ひと雨降るごとに気温が下がり、秋から冬へと気配を感じる。
やはり気持ちの良い青空は一日だけだったか・・・  残念!
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この秋話題の映画「ザ・テノール」の初日に見に行きました。
新宿ピカデリーでの舞台挨拶のチケットは、なかなか手に入らず、友人が何度も足を運んで手に入れてくれたチケットでした。
待ち合わせの新宿ピカデリー前、チケットを手に入れてくれた友人がアクシデント。電車で人身事故が起こり、上映時間に間に合いそうにありません。
その友人は結局途中では入れず、映画が見れませんでした。可哀そうです。
 
「アジア史上、最高のテノール」と讃えられ、ヨーロッパを中心に活躍していた韓国人オペラ歌手ベー・チェチョルは、活躍半ばで甲状腺ガンに見舞われ、手術の結果、声帯と横隔膜の神経を切断し声を失います。
絶望の中、日本人プロデューサーが手を差し伸べ、世界的な声の権威である京都大学の一色信彦教授の執刀で甲状軟骨形成手術を受けます。
実話に基づいた映画で、感動的なラストシーンは涙をそそります。
 
上映後には舞台挨拶がありました。
日本人プロデューサー役の伊勢谷友介さん、そのアシスタント役の北乃きいさん、一色信彦教授役の堀田眞三さん。それにキム・サンマン監督が登壇してご挨拶。その後にモデルとなったオペラ歌手のベー・チェチョルさんも登場され、生歌までご披露してくれました。
 
映画を見る前は、重苦しい映画ではないかと思っていたのですが、演出力の素晴らしさに、ただただ感動しました。
見終わってすっきりした気分になるというのは、本当に心地良いですね。
日韓問題がある中、日韓合作映画であり、また日韓の交流を描いた作品でしたから、こうした映画の中から日韓が仲良くできるうねりが起こると良いと思いました。
 
映画を見終わって、飲み会。
堀田さんを囲んでの久しぶりの飲み会でしたが、急遽仕事で来れなくなった地元の後輩美穂ちゃんが合流。実は美穂ちゃん、痙攣性発声障害『SDCP発声障害患者会』の代表で、全国で苦しんでいる患者さんのリーダーです。
自ら障害を持ちながら、国の理解を求めて奔走しているのです。一色先生にもお世話になっていおり、今回一色先生を演じた堀田さんとの出会いは、とても嬉しく喜んでいました。私の知り合いの堀田さんと美穂ちゃんを引き合わせる事が出来、本当に良い一日でした。
 
この映画「ザ・テノール」を皆さんに、是非見て頂きたいと共に、発声障害という病気もある事を知って頂きたいと思っています。
 
それにしても人間の声を、楽器の調律のように行う手術の場面はビックリしました。いろいろな事を考えさせられた映画でした。
 
 
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貸衣装の衣装合わせに中野サンプラザへ。
先日の打ち合わせでは、私に合うサイズがなく、採寸して合わせてくれたモーニングを着て見ました。「痩せないと似合わないね」
1月は、このモーニングを着て、娘とバージンロードを歩く。
 
中野駅は、なにやらあちらこちらで忙しく動いている人たちが多いと思って、衣装合わせの後出てみると、坂野サンプラザの前には沢山のテントがあり、全国各地の物産を売っている。ミス八丈島のお姉さんがいたから、お願いして記念写真。笑顔が可愛い。
今日は3時からくまモンも登場との事で、かなり盛大だったでしょうね。
 
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駅前ではライブコンサート。
誰なのか判りませんが、沢山の方が聴かれていました。
 
 
中野駅が125周年という事は、私の地元武蔵境駅も125周年です。
武蔵野市の3駅の中でも、目立たない武蔵境駅ですが、その歴史は一番古い駅なので、武蔵境でも何れ125周年記念が行われる事でしょう。
 
 
中野を離れて新宿に向かいます。
映画「ザ・テノール」の公開初日で、舞台挨拶がありました。
声を失ったテノール歌手が、沢山に人に支えられ復活。感動のラストシーンでは、鳥肌が立ち涙が出ます。
重たい映画だろうと想像しましたが、全編に感動シーンも多く、見終わっても気持ちの良い、とても素晴らしい映画です。世界的な声の権威者である、京都大学の一色先生を、我らが堀田眞三さんが演じています。
久しぶりに心地良い映画でしたので、是非皆さんもご覧ください。
 
その後堀田さんを交えての飲み会。これまた楽しい時間で、気が付けば6時間も飲んだりお喋りしたり。堀田さんの笑顔も最高でしたよ。
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昨夜は皆既月食でしたが、皆さんご覧いなれましたか?
 
以前はカメラで綺麗に月が撮れたのに、最近は不調で、上手く撮れず、皆既月食だと気が付き月にカメラを向けたけど、やはり上手く撮れない。
それでもしっかり月が欠ける前から見ていて、カメラに収めて見ました。
 
まずは、皆既月食が完全に出来上がった状態でしたが、雲も出ていたのか、こんな写真しか撮れません。しかし赤い月と言うのは、なんとも言い難い眺めでした。
 
 
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我が家の近くで撮った、皆既月色が始まる前の満月です。
いつもより大きく輝いていました。私がカメラを向けて長い時間狙っていたので、自転車に乗ったお子さん連れのお母さんが、月に気が付いて、一生懸命お子さんに話しをしています。皆既月食があると教えてあげると、喜んで、後で見ると言って帰って行きました。赤い月見たでしょうかね。
 
 
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月の欠けはじめです。
かすかに下の方から、地球の影が近づいてきました。実はこの時が一番感動しました。月が欠けると言うよりも、地球の影が見れるのですから、こんな感動的な事は有りません。この瞬間から、欠けて行く姿を見続けましたが、何と幻想的だったでしょう。
 
 
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欠けた姿です。
モヤモヤと地球の影が写っていますが、カメラの手振れのせいではないでしょう。地球の大気が写ったのではないかと思うのです。
月が満月から新月へ、また新月から満月へと姿を変える月の欠け方とは違いますね。地球の大きさが実感できます。
月を見る良い、影になっている地球を見ていました。
また来年も見られるようですよ。2015年4月4日だそうです。
 
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昨日テレビで、ウエンツ君と愛之助さんが吉祥寺でアポなしでお店に入る企画の番組。吉祥寺で「ウナギが食べたい」と街の人に聞くと、即座にうな鐵と回答。うな鐵に向かう二人。
 
階下にいるカミサンに、「うな鐵がテレビに出てるよ」と声を掛けると「見てるわよ」の返事。吉祥寺に二人で出掛けると、必ずうな鐵には向かうから、テレビに出て来ると嬉しい。
 
ウエンツ君がアポを取ると、今の時間は忙しいからダメ。と最初は断られるが、時間をあけて再度来店。どうなる事かと思った。(笑)
結局、若い女性店員さん二人と、うな鐵の大将が出てきて、5500円のうな重を食べて「うまぁ~い」で終わり。(笑)
なんだったんだあのロケは。
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我が家の庭に大きく伸びた金木犀。
庭にデンと構えていた泰山木が枯れてしまし、木偶の坊のように傍らにある金木犀だが、今はその香りで存在感を発揮している。
彼岸の時期に突然現れる真っ赤な彼岸花。それが過ぎて、突然香り出した金木犀。手入れをしないから、伸び放題に大きくなっている。
 
日に日に秋らしくなってきた。
いよいよ明日から新しい職場へと向かう。何度も何度もこんな日を迎えてきたが、この歳になっても慣れる事はなく不安も感じる。
これが最後の職場になるだろうから、気持ちも新たに頑張らねば。
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ここ数年で、いろいろなところの電車の駅が変わった。
中央線も高架に伴い大きく変貌したが、南武線にしても高架になって駅の環境が変わる。京王線も調布駅が地下になったり、昔の面影がない。
中央線の吉祥寺駅も高架とは関係なく工事が続いていて、大きく変わったようだが、一番新宿寄りの改札を使うから、どのように変わったか良く見ていない。地元でありながら迷子になる可能性はある。
 
わが町武蔵境の駅周辺も変わりつつある。
まだ全貌が見えていないから、どのように変わるかはお楽しみ。と言うところだが、駅や駅周辺が変わる事で、戸惑いをする方も多かろう。
武蔵境駅は中央線の前身、甲武鉄道の頃に出来た駅で、中央線の中でも最古の駅の一つでもある。1889年に出来たというから、3世紀に渡って存在する駅だ。電車は床が板張りで、中央につかまり棒があった。勿論切符は堅券で、窓口で買い改札で駅員がハサミを入れてくれる。そんな時代が懐かしい。
 
駅の北口の商店街、現在のスキップ通りをバスが走る。今では想像もできないだろう。中央線が高架になった事で、新たに中央線に沿った道も出来た。
踏切が無くなり、渋滞もないし、踏切事故も無くなった。
駅前には名の知れたスーパーやショップが名を連ねる。特別嬉しい事とは思わないが、それでも立ち寄って買う事が多くなった。
 
10年前に住んでいた人たちが訪れたとしたら、その変貌ぶりに驚く事は間違いない。慣れ親しんだ商店が消え、殆どがチェーン店と言われる店ばかりになったから、親しみは薄い。それでも新たに流入してきた人にとっては、住みやすい街と思っているだろう。
 
駅が変わると面倒な事もある。
出口が判り辛い。バスの乗り場が良く判らない。階段を上リ下りする事も多くなる。お年寄りにはきっと便利とは思えないのではないだろうか。
 
昔を懐かしがっていても仕方がない。便利に使える方法や道筋を考える事が必要になってくるね。
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今日は父の命日。
花を買い、好きな日本酒とビールを仏壇に供えて線香を焚く。一つだけだった仏壇の位牌も、この9年間で六つになっている。
 
先日、父の事も知る焼き鳥屋で飲んでいて、父の話が出た。
「お父さんは鬼瓦みたいだったわね」
確かにいつも怒っているような顔だった。背筋を伸ばし、へらへらする事など一切なかったから、そんなイメージが残っているのだろう。
思えば、私と二人でいても、打ち解けて話をすることなどなく、いつでもお互いに反発していたように思う。それでも若い時に一緒に行った京都での剣道の審査会の話や、その当時の高段者の先生の話などは、二人だけしか知りえない事が沢山あって、お酒を共にすると話が弾んだものだ。
 
持田範士と斎村範士の日本剣道型は、それこそ火花が散った事。
東京、伊保先生の上段の構えで、強かった事。
本郷三丁目にあった檀崎先生の道場で練習した居合道の話。
京都の瓢亭に二人でぶらりと入り、昼食なのに6万円も払った話。
同じく京都で食べた安いと思った天丼が、殆ど衣だけだったこと。
父の会社でアルバイトをして、女の子と仲良くなって怒られたこと。
 
思い出せば、そのほとんどが剣道の事や居合の事ばかりだ。
息子が可愛くて、自分の好きな剣道を、どうしてもやらせたくて、他のスポーツを一切やらせて貰えなかった。父の夢は息子に王者の剣を教える事。
ただ息子は、それを嫌った。
正統派の剣道を教えてくれても、試合には勝てない。勝てる技を教えてくれれば、もっと剣道を楽しいと思っただろう。
家の中に作った道場も、いずれは息子が使うだろうと考えたのか。
残念ながら、それも今では無用の長物となり、物置と化している。
 
孫であるわが息子が、今日一人で墓参りに行くと言う。
子供の扱いが下手だった父で、理不尽な扱いをされた事のある息子だが、
今でも「メン爺」の事を思ってくれるのは嬉しい。
今年は「カメ爺」も亡くなり、寂しくなった我が家である。
 
 
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秋の空の移り変わりは早い。
茜色の夕焼けも、あっという間に色をかえ、紫色の空へと変わって行く。
これはそれこそ一瞬の移り変わりだった。
 
「女心と秋の空」とは良く言ったものだが、実際にそう思った事は余りない。
どちらかと言うと、「男心と秋の空」と思ったことの方が多い様な気がするが、「女心は猫の目」などという言葉もあるから、やはり女と男で比べると、女の人の方が移り気なのだろう。
 
昨日はこのブログを見てびっくりした。
訪問者数が2000件。最近は毎日書いていなかったから、一時は300件を超えていたが徐々に数を減らしている中でのこの数字には驚いた。
何年振りかにランダムに入ったのか、それとも夕焼けの写真がヒットしたのか、はたまた7のゾロ目の777777になったのが要因なのか。
ブログを始めた頃なら、こんな数字も喜んだのだが、理由もわからずアブノーマルに増えるのは、あまり嬉しいとは思わない。
 
9年前にこのブログを初めて、すぐに父が亡くなった。
その父の命日も明日で、当時の事を思い出す。
5月に京都から帰り異常を発見し、入院手術。その後、依然した膝の手術の影響もありウィルスに感染。食事も水も採れぬ状態で4か月が過ぎる。
私はと言えば、結石で苦しんでいて、9月24日手術と決まっていた。
当日、入院準備をして父とは別の病院へ入院。手術の時間まで着替えをして予備麻酔の時間を待つ。そして1時間前。父の病院へ向かったカミサンさんから父の死を知らせる電話が入る。安定していただけに、突然の話だった。
 
急遽手術は取りやめ。父の入院先の病院へ向かう。
あと1時間後なら、もう手術台に上っているところだった。今考えても、そのような状態になったら、大混乱になっていただろう。
鎮痛剤の座薬を入れながらの通夜と葬儀。喪主としての役目は果たすことはできたが、大変な9月だった。
あれから9年。父の死とともに買った仏壇には、父、母、妹2人、義父、義母が入っている。今日はお彼岸の中日。晴れやかな秋空である。