酒飲みな酒を飲まずにいられない | 逢えるじゃないか また明日 PartⅡ

逢えるじゃないか また明日 PartⅡ

ボスザウルスの隠れ家から「逢えるじゃないか また明日 PartⅡ」に変更しました。yahoo!ブログの閉鎖に伴い、アメブロに移動し、合体させました。引き続き宜しくお願いします。

ただ今編集中に付きしばらくは不完全ですので宜しく。

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お酒呑むな 酒呑むなのご意見なれど ヨイヨイ

酒呑みゃ酒呑まずにいられるものですか ダガネ

あなたも酒呑みの身になってみやしゃんせ ヨイヨイ

ちっとやそっとのご意見なんぞで酒やめられましょか

トコ姐さん酒持って来い
昔良く聞いた曲だから、自然と出て来た。それと同時の酒飲みだった父の顔が浮かんだ。親父はずいぶん酒飲みだったと思うが、今はそんな事を言える義理ではない。よほど自分の方が酒飲みかも知れない。
 
親父は酒席ではとてもうるさかった。ビールにしてもお銚子にしても、相手に注ぐときは両手を使えと教わった。そしてビールの場合は、必ずラベルが上に向くようにとも言われた。昔はまだ、ご返杯などと言う儀式があって、杯を受けると、ご返杯と言って杯を返し、相手方にお酌をする。相手が目上であれば、すぐに返さなければいけないから、「ぐいっ!」と飲んで、杯を空にして返す。それも、それなりの作法があって、正しく返さなければならない。飲めないからと、傍にある器やコップに、飲まずに流し込んでから返杯するなどと言う事は、以ての外だった。
 
私が仕込まれたのは、まだ酒を飲んではいけない18歳の頃。大学生になったら、未成年でも構わず飲まされたものだ。特に体育会系は、その様であって、ましてや剣道をしていれば、そんな事は当たり前のことでもあった。
片手で隣りの人にビールを注ごうものなら、遠くからでも大声で怒鳴られたものだ。
そうした酒席では、今と違って余興に歌を歌わされる。その時代にはカラオケなどはないから、酒席に居るみんなの手拍子が、唯一のバックグランドミュージックだ。
興が入ると、それこそ茶碗や皿を箸で叩いたりするのだが、そうした事は「げすっぽい」と言って、父は許さなかった。
歌は民謡か軍歌の時代で、歌謡曲や流行歌はあったけれども、酒席での歌には中々ならなかった。
黒田節・武田節・炭坑節・ノーエ節・ドンパン節などが良く歌われたが、秋田おばこや
江差追分・佐渡おけさのように、歌の技量が必要なものは、酒席には合わなかった。手拍子や合の手が入れられる軽妙な民謡がもてはやされた。
それでも軍歌はみんな好きで、一人が歌うと、次から次と、誰かが歌い継いでいったが、やはりまだ戦争中の名残のある時代だった。
 
ヤットン節は、一番しか覚えていないが、酒飲みの歌としては中々良いね。
今でも飲んで調子が良くなったら、こんな歌うたって・・・
パンパンと手を打って、仲居さんを呼んでお銚子を持って来てもらうんだ。(笑)
 
トコ姐ちゃん酒持って来い! とね