何でもそうだと思いますが、実際にやってみないとその価値、良さといったものはわかりません。
たとえば、マラソンをしたことがない人に、その感覚や走っている時の状況を口頭で伝えようとしてもうまく伝わりません。読んだことのない小説について、読んだ後の感覚を伝えようとしても、うまく伝えることはできません。ゴルフをしたことのない人に、ゴルフの難しさや爽快さを伝えようとしても、口頭では十分に伝えることはできません。つまり、元も子もない言い方ですが、経験したことのないことの価値を伝えることは実際にはできないのです。

仕事においても同じです。
「こうすれば実力が上がる!」と言われても、やってみないことには能力は上がらないし、そのポイントのような肝心なことはわかりません。
昔、人材育成担当だった時に、複数の部署のマネジャーから、「自分の部下の出来が悪いのは研修が悪いからだ」と研修のせいにされたことがありました。
研修で行うのは、自分を振り返り能力向上に必要な視点や方法を「知る」ことです。実際に仕事をするわけではないので、研修で能力向上が実現するわけではありません。
結局はやってみないとわからないし、何かを実現することはできないのです。「研修」などの学びの場などは、まさしく典型的な礼です。研修を終えてから実際に何かを行わないと、その価値はわかりません。(蛇足ですが、研修終了時に研修効果をアンケートなどで聞くことがありますが、その時点では効果はわかりません。)

「わかる」ということは、原則として「やったあとで訪れる」のです。
先ほどのマネジャーさん達は、「わかる」ことの本質を理解していません。知識をつける、方法を知ることが「わかる」ことだと勘違いをしているのです。なぜそのような勘違いをしてしまうのかについては様々な意見があるでしょうが、私のひとつの見解は経験に基づくいわば「実践知」を軽視している、あるいはその概念が希薄であるということです。
「実践知」は文脈に基づくので、以前通用していた「知」が今回は通用しないということが少なくありません。そうすると「実践知」を増すために、実践ではない場で「知」を増していこうとする。全く本末転倒の行為です。

一般的、統合的な「知」を研修で知ることはできますが、それを使い効果を生み出すのは実践の場であり、実践の場は常に状況が異なるものです。つまり文脈が異なり、それぞれに応じた「実践知」が存在するはずです。
「実践知」を増していくには、とにもかくにも飛び込んでみること、行ってみることです。
これを習慣化、常態化することで、自分の視野を広げ続け、知らない世界、感覚、問題を知り、自分を高め続けることになるのです。

研修はあくまで「わかる」きっかけを与える場にすぎず、実際にやってみないと何もわからないのです。