「離見の見」という言葉をご存じでしょうか。
世阿弥や能に関心のある方はご存じかもしれませんが、一般的には世阿弥の他の言葉、「初心忘するべからず」ほどは知られていないでしょう。
「離見の見」とは、自分の姿を心の目でもって観客になったように見なさいということです。世阿弥が60歳を過ぎて、能の心得をまとめた「花鏡」にある言葉です。

世阿弥は舞う時に「目を前に見て、心を後ろにおけ」といい、自分の姿を観客と同じ心になってみるようにしなさい。それも前と左右を見るだけでなく、自分の後ろ姿も見るように「離見の見」を体得して見えないところも見るようにしなさいと言っています。

このことは我々の日常のコミュニケ―ションにも十分活かせる考え方です。
「人の振り見て我が振り直す」だけでは不十分で、自分の言動がどう見えているのか、さらにいえばどう伝わっているのかを想像することは容易ではありませんが必要かつ重要なことでしょう。
但し、あくまで想像するわけですからそこには自分なりのバイアス、偏りがどうしても生じてしまいます。世阿弥ほどの熟達者であれば、他者が気づかないところにも気がつくのでしょうが、凡人である私にはまだまだ難しい境地です。

こうしたバイアスから逃れるためには他者からのフィードバックが有効です。
最近、企業では360度フィードバックのように、部下や同僚、関係者などから自分の言動について意見をもらうシステムが広まってきています。これなどは「離見の見」に近いものです。
但し、自分にバイアスがあるのと同様に、他者にもバイアスがありますから、何でもかんでも有用というわけでもないことに留意は必要ですが。

こうしたことによる気づきは現代風にいえば「Self-awareness」ということになるでしょう。
「Self-awareness」は1人ひとりにとっても重要ですが、とりわけマネジメント層にとっては忘れてはならない、最も重要な視点ですし、能力だと思います。
マネジメントを大胆にひと言で言えば、「人を取りまとめて成果を出すこと」です。
人をとりまとめるためには、人に対して働きかけなければならず、その際に人が自分の言動をどのように受け止めたのかに敏感になっていなければ適切な言動をとることは難しいでしょう。

わかってはいるけれど、どうしても自分のバイアスがかかってしまう。
「離見の見」を体得するのはどうすればいいのでしょうか。
おそらくそれは言語化できないし、「離見の見」行為を愚直に継続するしかないのではないでしょうか。

世阿弥さん、こうした考え方で合っていますか。