組織のメカニズムには、潜在的に「命令と服従の原理」が埋め込まれており、誰もがそれに盲目的に陥ってしまうリスクがあると考えられます。
命令に従わなければ組織としての統制に問題が発生することは容易に想像できます。しかし、だからといって、倫理的に問題がある命令に盲目的に従うことにも問題があります。

「命令と服従の原理」に囚われないためには、精神性の独立が鍵になるのではないでしょうか。
精神性の独立とは、組織にいながら精神的には組織から独立していることですが、案外言うは易く行なうは難しです。
心理学でアイヒマン実験といわれる実験があります。ナチスドイツの収容所で殺人を罪の意識なく事務処理をするがごとく命じていたアイヒマンから名づけられた実験ですが、人間は閉ざされた環境に置かれると、自らの良心からとは異なる選択をしてしまうことを明らかにしたものです。全員ではないにしても相当な割合でそうなってしまうことがわかっています。
組織も一面では閉ざされた環境ですから、それを意識しないと倫理的に問題のあることであっても、アイヒマンのように罪の意識を感じないで行ってしまいます。
たとえば、役員があなたに粉飾を命じたならば、最初はまずいと思いつつ組織の同調圧力もあり行っているうちに罪の意識もなくなりそれが当たり前になってしまう。そんなことは実際によく起きています。

閉ざされた環境で利害得失ばかり考えていると、心が閉ざされてしまい、「命令と服従の原理」に容易に囚われてしまうのです。
誰が言ったか覚えていませんが、役に立つことだけをしていると、役に立てなくなる。役に立たないことが役にたつのだ、という言葉がありますが、これは精神性独立の妙を語っています。
すぐに役に立たないことを、なんだかよくわからないけれど役に立つかもしれない、あるいは自分はなぜか興味が湧くからなどという理由で、組織の論理から一歩離れて思考すること、行動することが精神性の独立です。
統制的観点からすれば、けしからん、勝手なことをやって、という批判になるのでしょうが、それに臆することなく行うことが大切なのです。

組織から一歩離れて、自らをサードプレイスに置き様々な刺激から学びを得ることも精神性独立には必要でしょう。普段と違う人々と触れ合うと、様々な価値観、考え方などに刺激を受けます。
場合によっては、自分の価値観や考え方を揺さぶられることもあるでしょう。これは精神性の再構成です。精神性独立を育むには環境を変えることも必要であることをあらためて感じます。

アイヒマンはいつでもどこでも精神性独立の意識が希薄になると再生産されます。そのことに企業や組織のリーダーは気づいていなければなりません。(そのことに気づいており、それを悪用する人も残念ながら時々いることに滅入りますが。)
我々はすぐに役に立つことに敏感です。こうすればすぐ儲かる、これをすればすぐ良くなる、最近は情報過多ですし、商業主義が強すぎて、鼻に付くコピーや著作、記事が溢れていると言うと言い過ぎでしょうか。
そんなすぐに役に立つという情報から自分を守るには、役に立たないことの価値をあらためて見直していくことが肝心です。

あなたは役に立たないことにどれだけ触れていますか。