前回のブログで熟達化の4段階をご紹介しました。
そして最後の4つ目の段階「熟達者における創造的熟達化」にはどうすれば到達できるのかについて次回に書くと言いましたので約束に応えなければなりません。
「熟達者における創造的熟達化」に達した人は、きわめてレベルの高いスキルや知識からなる「実践知」を獲得しており、すべての人が到達できるものではなく、相当の努力の結果到達できるものと考えられます。
1つの考え方として、この前段階である「中堅者における適応的熟達化」にとどまってしまう理由を考えれば、打ち手がでてくるのではないでしょうか。
「適応的熟達化」は、状況に応じて規則が適応できる状態で、文脈を越えた類似性認識ができるようになり、類似的な状況において過去の経験や獲得したスキルを応用できる状態です。
つまり、過去の経験に似た状態でないと対応できないことを表しています。「経験至上主義」と言い換えてもいいでしょう。経験から法則を見出して、その法則に基づいて対応するのです。
我々の職業上の知識・技能はかなりの部分がこの「適応的熟達化」のレベルにあると言っても過言ではないでしょう。このレベルにとどまってしまう理由は、この法則を絶対視してしまう、いわば思慮不足にあるといえるでしょう。しかも成功体験はそれを助長することが多く厄介です。
これは思慮不足による判断、予測の甘さが出てしまっている状態といえるでしょう。
思慮不足を補うのは、言うまでもなく考えることですが、それはどういうことでしょうか。
たとえば、販売で考えてみましょう。
広告を打つことで一定の訴求効果(売り上げ上昇効果)があることはわかっています。しかし、ただ単純に前回と同じ広告を打てばいいのでしょうか。単純に前回を踏襲して(前回うまくいったからと考えて)広告を打つのが「経験至上主義」で、この場合の適切な教訓はそうではなく、「広告の効果は打つべき時期、対象と内容に依る」ということでしょう。
こうした教訓を引き出すには、相当の経験とそれを適切に振り返り考えることが必要で、それにより構造化・体系化された知識を構築することが「創造的熟達化」には不可欠ということになります。
構造化・体系化にはメタ認知能力と洞察力が不可欠です。1を見て10を語るのではなく、10を見て1を語ることが必要なのです。
熟達者は、単純に知識が多いのではなく、パターンやまとまりをもった知識を自ら作り出しています。そのため、効率的に知識の整理・統合ができ、新たな課題に直面した時に、その知識を適切に別のものに組み立てることができるのです。
こうしたことを実現するには、岡田(2005)によれば、ある程度の才能は必要ですが、内発的動機づけ、課題にかける時間、よく考えられた練習、知識の構造化のための自己説明、社会的サポート(良い教師やメンターの存在)、社会的な刺激が必要であるとしています。
熟達化には自分の努力はもちろんですが、周囲の支援がとても大切なのです。