「社会は、経済は、システムである。」
ずいぶん大胆な定義です。ちなみにシステムとは「大辞泉」によれば、制度、組織、体系、系統です。
社会や経済は無数の要素からなる複雑な体系ですから「システム」といっても間違いではないでしょう。
しかしながら、通常我々がイメージするシステムとは違いがあります。通常、我々がシステムと呼ぶのは、その中身、体系、仕組みがわかり、不具合が出たときなどは容易とはいえないまでも努力をすれば改善できるような可視化されているものを指すでしょう。しかしながら、社会や経済は違います。可視化はできないですし、どこをどう変更したら良くなるのか、複雑な体系ですから容易に対応できません。
容易に対応できないとしたら、不具合が出た場合にどうしたらよいのでしょうか。
このことを考える時思い浮かぶのは、不具合を“直す”のではなく、新たな価値体系を創造し、それをベースにシステムを作り直すことの重要性です。
社会や経済は無数の要素からなる複雑な体系です。複雑系の極みといってもよいでしょう。それを“直す”発想では、いつまでたっても直らない、いわばもぐらたたきの様相を繰り返してしまいます。
そういう時こそ新しい方向性を示し、その実現のために知恵を絞り、皆で協力して歩み続けることが求められるのではないでしょうか。
時代が変わる、社会の変動期にはそうした動きがあるのだと思います。
今の日本にはそうした動きが必要だと思いますが、新しい方向性は議論されていないように感じます。
岸田政権の「新しい資本主義実現会議」は投資環境の整備やリスキリングといった小手先の改善に終始しそうな様相ですし、「リフレ派」や「MMT論者」の人たちは、反対意見を真っ向から否定することにより自分たちの主張を正当化しているような有様です。
繰り返しますが、社会や経済はそんなに単純ではありません。一部を変えたたけで良くなるという幻想に囚われてはいけません。(会社のようなある程度大きな組織、集団でも同様です。)
中曽根政権の頃から「規制が全部悪い」「既得権益が全部悪い」といった単純思考が前景化してきたと思いますが、それはサッチャー、レーガン政権の「小さな政府」から始まり、当時は世界的なムーブメントだったでしょうが、今や世界はそこから脱しています。必要な規制は行うべきであり、必要な政策は充実させるのが当たり前で、もはや「小さな政府」、「市場至上主義」などと言っている指導者はいないでしょう。(むしろ、権威主義、全体主義の悪い方向も目立ちます。)
感じるのは「規制は悪」のマインドコントロールから解けていない、規制改革すればすべて良くなるといった、いわば思考停止に陥ってしまっている社会です。そこから問題を矮小化し、小手先の対応で乗り切ろうとする発想や、反対意見を否定するだけで根拠のよくわからない主張を繰り返すだけの姿勢が蔓延してしまうのだと思います。
戦後の官僚は、日本の社会経済システムを作り上げるという自負と気概があり、また民間もそれに応えていわば官と民が足並み揃えて尽力しました。そういった国を挙げての胎動はいまや見られません。
「規制は悪」の発想から、官邸政治が出現し、官僚から政策決定権を奪い、十分な能力がないのにリーダーシップを発揮するという「勘違いリーダーシップ」が定着してしまった観があります。
社会は、経済は、複雑なシステムです。ワクワクするような方向性を見出し、みんなで力をあわせ、努力して、試行錯誤していくしか良くなる方法はないのです。