今回は政治を例にとって対話について考えてみたいと思います。

政治の話題はビジネスの場では避けることが通例ですが、ここで政策論を述べるわけではないのでお許し下さい。

 

安倍元首相の国葬をめぐって意見が割れています。様々な意見があるのが当たり前でそのこと自体は問題ではありませんが、問題は国葬の決定過程にあります。そこには安倍、菅政権から目立ってきた対話の不足が続いていると感じるのです。

 

岸田さんは「聴く力」を前面に出すことで、前政権の強権的な手法を是正し開かれた政権を目指すように思われました。強権手法に批判的な人々は、岸田政権にその点を期待したのではないでしょうか。

私もそうでした。

しかしながら国葬の決定過程には、「聴く力」はもとより本来は重要事項を決定する際に求められる話し合い、対話のかけらも見受けられませんでした。首相を中心に政権内部で決定してしまう、安部政権から目立ってきた強権的な手法が継承されているのです。

 

なぜそうなってしまうのか、政治力学の観点からの分析は政治学者や記者にお任せするとして、人事コンサルタントの立場から申し上げるとすれば、偏狭な政治哲学が総理はじめ政権内部に依然としてあるのではないかと思います。逆にいえば、それを打破する強いリーダーシップの欠如でもありますが。

重要な施策に関して、政権内部で決めた方針を遮二無二につき進めるため、耳障りのいい言葉や言い方で国民を誘導し、党内や野党との対話を避ける手法が当たり前になってしまった観があります。

 

この傾向は小泉政権から目立ち始めたと思いますが、政権の方向性を批判なく広める一部のジャーナリズム、それを拡散するネット社会がその動きを強化しています。ネット社会では、アルゴリズムにより自分の好みの記事が多く配信されるような設定になっているため、批判的な内容や異なった視点のものを目にすることが少なくなります。そのため、自分の意見は多数意見だと誤解してしまい、ひいては偏狭な見方をしてしまう危険性が高まっているのです。

 

私はこのことが最近の政治の強権手法と無関係だとは思えません。

赤信号、皆で渡れば怖くない、という心理をネット社会が生み出し、その力学を国のリーダーといった重要な人たちが悪用する。そこに乗っかってしまう。

今回の国葬問題では国葬の是非よりも、ネット社会や政権の強権手法に着目すべきであり、あらためて話し合いや対話の重要性を認識することが大切なのではないでしょうか。

 

「聴く力」は対話をもって初めて効果を発揮するのです。