私は政治哲学に詳しいわけではありませんが、「ハーバード白熱教室」のマイケル・サンデル教授の本をいくつか読むうちに、政治哲学のなかでも土台ともいえる正義論に行きつき、ロールズとノージックの対立が興味深いので紹介したいと思います。
ロールズは著書『正義論』において、才能や能力といった「自然資産」は各人異なり、それは自然の偶然性によって各人に分配されると言います。つまり、各人は異なった才能や能力を持って、この世に生まれてくるのであって、そうした「自然資産」の分配を社会制度が如何に取り扱うかによって、その社会は大きく異なるとします。
すなわち、「自然資産」をどのように扱うか、その位置付けが重要と言うのです。
ロールズはこの扱いを「正義の二原理」によって定式化します。
第一原理:各人は、全ての人に同様に与えられた自由の体系と両立する最も広汎で平等な基本的自由の全体系に対して、平等の権利を持つべきである。
これは今の日本に生きる人ならば良く理解できる広く行き渡った「原理」と言えるでしょう。
第二原理:社会的・経済的不平等は、次の両者であるように取り決められるべきである。
① 最も恵まれない人の便益を最大化すること
② 公正な機会の均等という条件の下で、全ての人に解放されている職務や地位に付随していること
第二原理の①を「格差原理」と定義して、「格差原理」は社会的・経済的不平等を認めるものであるが、その不平等は、最も恵まれない人の便益を最大化する場合にのみ許容されるとします。
つまりロールズは、生まれつき有利な立場にある人は、多くの恵みを得たからといってそのまま利益を得るべきではなく、有利な立場にない人を助けることにおいて利益を得るべきであると言っているのです。
ロールズの主張に対して、ノージックは反論します。
ロールズの主張は財の生産の視点を欠いており、分配されようとしている財は、誰かが権原を有する保有物であり、ロールズが前提とする自然の偶然性によって分配されたという「原初状態」の想定は不自然であると言います。つまり、自分自身の身体の自由と私有財産に関する権利を絶対的に認めており、「自然資産」から得られた便益はその個人に帰属するものであり、いかなる国家であっても、この権利を侵害することは許されないと言うのです。
この対立は「自然資産」は誰のものかということに集約できると思います。
ロールズは私有できない偶然物と考え、ノージックは誰も侵せない私有物と考えています。マイケル・サンデルはロールズに同意しています。私もロールズ、サンデルに同意します。
1980年代から始まった新自由主義による格差拡大をどうしていくかは、ロールズとノージックの議論に再帰するように思います。
生まれつきの能力と財産は誰のものか。
そしてそれらをどのように社会で扱っていけばよいのか。
あなたはどう思いますか。