野球ネタで恐縮ですが、某球団のゼネラルマネジャー(GM)だった方の話しです。
当時そのチームは不調でBクラスは確定、最下位の可能性がありました。
そんな状況ですから、監督が休養に入りました。休養と言っても、実質クビです。
GMは、チームの運営責任者であり、監督を変えることも権限のひとつです。
その判断についてとやかく言うことは慎むべきでしょう。
しかしながら、監督という現場責任者の人事について、チーム内外への説明はありませんでした。成績不振のため休養してもらったくらいの説明はあってしかるべきです。
しかし、何も言わないのです。言わなくてもわかるだろう、と理解して当然だろうといった態度です。
会社でも似たようなことが時々起こります。
定期的な異動や組織改編とは別に突然役職者の交代があり、その理由が明らかにならないケースや、重要な決定を行った際に何の説明もないようなケースです。
何を言っても誤解される、批判がある、わかってくれないから説明もしない、余計な混乱を起こしたくない。そんな理由と思われますが説明をしないのです。
これも、説明しなくともわかるだろう、わかるべきだという押し付けが起きている例です。
こんなことがなぜ起きるのでしょうか。
私の解釈は、土居健郎が言う『甘えの構造』によるものだということです。
周囲に対して、わかって欲しい、認めて欲しいといった承認欲求は誰にでもありますが、そのためには何らかの行動を起こす必要があります。それなりの努力が必要です。
しかし、日本人は行動を起こさずに認めて欲しいと勝手に願ってしまうところがあるのです。
これは理由や根拠なく自己の感情や思考と他者のそれとの一体化を望む欲求で、それが『甘え』であり、日本人独特の精神構造ではないかと土居氏は述べています。
確かに、承認欲求ではなく、一体化欲求は日本人の特徴かもしれません。
だから『和をもって貴し』ですし、議論が下手で避けようとするのです。
何か複雑な事情が生じた時に、説明しなくても分かって欲しいという『甘え』が頭をもたげてきてしまうのです。
忖度、空気を読むなどの行為も『甘えの構造』の延長にあると思います。
相手を傷つけないための「沈黙」は必要ですが、単に『甘え』からの沈黙はご法度でしょう。
そんなことがはびこると、誤解や曲解が渦巻き、組織の一体化とは程遠い、『甘え』が期待するのとは逆の結果が生じてしまうのではないでしょうか。